名優ハラダリャン
2022 10/19(水)
演劇をやろうかと思っている。
というのも、元々俺は、ハラダリャンという芸名で関西で演劇をしていた。
なんなんだその名前は。
本名が、原田亮からきている。
ハラダリャンは、18歳の時に芸能系の専門学校「放送芸術学院」へ入ったのがきっかけで、21歳の時に自ら劇団を旗揚げした。
劇団員は4名からはじまって、最大時で6名。
モンティパイソンのような雰囲気を想像して頂けたらイメージはカッコよくなるので、勝手にそう思って欲しい。
劇団名は「劇団・弾丸列車構想」
名前からは、モンティパイソン感は全くない。
なんだか、怪しげである。
由来は、交通博物館にて。戦前に計画され、幻となった電車、弾丸列車の記事に「弾丸列車構想というのがあった」という一文があって、それに浪漫を感じたので、劇団名にした。
それまで、何度か即席で劇団名をつけていたが、メンバーもこの「弾丸列車構想」というネーミングが気に入り、以降24歳頃まで大阪を中心に細々と活動した。
この劇団時代についてのエピソードは俺のドキュメンタリー落語でも度々ネタにしており、若さゆえの馬鹿さが暴走していた、正に弾丸列車のようなチームだった。
初期のメンバーには、お笑い芸人のキャプテン渡辺も参加しており、渡辺は当時から志が強く、一早く東京に上京してしまった。
のちに、R1グランプリの決勝に2年連続で出場したり、現在は、競馬番組の司会をやっているから知っている方も多いだろう。
最後までいたメンバーでは、格闘家の瀬戸信介もいた。
瀬戸は、元々、キャプテン渡辺と漫才コンビを組んでおり、専門学校時代、将来を期待されていた。
だが、瀬戸は演劇の方にシフトし、渡辺はどうしても、東京でお笑いがやりたかったのもあってか、解散した。
瀬戸は、俺の劇団に参加したあとは、ミュージカル劇団など転々として、どういう訳だか、現在は格闘家に落ち着いている。
数年前から、格闘技好きなら知っている「カマキリ拳法」でCMに出たり、本を出していたのは彼である。
その他、個性的なメンバーだったが、今は芸能の世界から足を洗っている。
そんな劇団を経て、俺は25歳からピンで一人芝居を始めた。
京都の伝説の小劇場「アトリエ劇研」を中心に活動を行っていた。
そこから、実に多くの演劇関係者と出会い、多くの劇団に出演させて頂いた。
今思えば、あれは俺の青春時代だったと思う。
毎日めちゃんこ楽しかった。
その時に出会った演劇人の仲間たちの多くは、今も現役でいて、時々、俺を芝居に使ってくれる。
最後に参加したのは、1年以上前だが、ズームで朗読劇をやったので、リアルに観客前に立ったのは6年前になる。
脚本家の田辺剛さんの劇団・下鴨車窓の「旅行者」という作品だった。
あれ以来、生の観客前で発表していない。だから、最近、演劇熱が非常にうずうずしてきた為、
今度、11月に自分の落語会のワンコーナーでやってみようと考えている。
詳細は間もなく告知します。どうか、みんな、
ハラダリャンの名演技を見てくれ!
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