✍海辺の狐 第3話
⯈海に釣られて
幼少期に生れ育った土地は海からはほど遠く、身近に海を感じる機会は殆ど無かった。
小学生の頃、毎年夏休みに家族に連れられて海水浴に行ったが、三浦海岸や江ノ島が主な行き先で、大勢の人が押しかける海水浴場に美しい海の印象は欠片も無かった。
子供心にいつか綺麗な海を見たいという思いが湧き上がり、大きくなったら必ず見に行くと、自分に言い聞かせたことが懐かしい。
後に中学生の時、14歳の夏に独りで伊豆半島を巡り、自らの願いを叶えたことは先に述べたが、幼少期の思いが当時の私を駆り立てたのか、別の何かが自分を伊豆半島に導いたのか、今となっては記憶に蘇らない。
そして大人になり、結婚して車を手に入れると、週末の休みは家内と共に憧れの海を目指して、たびたび車を走らせた。江ノ島や茅ヶ崎、大磯から小田原へと行き先は延びていき、やがて伊豆半島へ向かったのは自然な流れだっただろうか。
車を走らせた先はどこに行っても、港の堤防には釣り人がいて、サビキ釣りやカゴ釣り、クロダイやメジナ狙いのフカセ釣りなど、それぞれが海面の仕掛けに目を凝らしていて、その姿を眺めているだけで楽しかった。
やがて見るだけではつまらなくなり、自分で竿を出すようになったのは自然の成り行きだろうか、安月給から小遣いを貯めて、家内の視線を気にしながら買ったロッドやリール、その他の道具を手にして週末には湘南の海を目指していた。
サビキ釣りのアジやサバから始まり、やがてフカセ釣りを覚えてクロダイに傾倒していったが、伊豆半島に足を延ばしてからはカゴ釣りを覚え、夜釣りでアジやサバ、イサキなどの回遊魚を狙うようになったが、やがて夜釣りを止めると、磯から狙うグレ(メジナ)釣りへと興味は移り、雲見の磯と出会ったことでそれは決定的なものとなった。
⯈前途洋々、波高し
始めた当初から師匠はおらず、クラブにも属せずの海釣り素人、見様見真似の独学で釣りを覚えたが、それにしても相当に遠回りだったようで、上達は思いのほか遅かった。
唯一知識と情報を与えてくれたのは、毎月発刊される釣りの専門誌だったが、それらも最初の内は眺めるだけで、名人上手のロケ風景や、釣り場のグラビアを眺めるだけの楽しみでしかなかったのだが、本格的に釣りに傾倒していくうち、毎月の発刊が待ち遠しくなっていった。
サビキ釣りはすぐに覚えて魚もそれなりに釣れたが、次に手を出したカゴ釣りやフカセ釣りは、素人の私に容易く釣果を恵んでくれるほど甘くはなかった。
なにせ知識と経験が乏しい、そのうえ師匠もいないとなれば、当然のことながら分からないことだらけだった。
片っ端から雑誌を読み漁り、道具を仕入れて仕掛けを覚え、言葉を交わした地元の釣り人に教えを乞うなどするうちに、少しずつ釣果もついてきたが、通った先は東伊豆に点在する小漁港、北川漁港や熱川海岸堤防、片瀬白田漁港などが主な行き先だった。
なにせ単独釣行の為、行き帰りの車を一人で運転しなければならない、土曜日曜の休みを利用して釣行していたので、翌週のことを考えると当時はこの辺りまでが単独釣行の限界だった。
今とは違い、当時これら漁港の堤防は沖向きにテトラが入っておらず、非常に釣りがしやすかったのだが、どこの漁港や堤防もアジやサバ、時期になればイサキやイカが釣れ、とりわけイサキはシーズン初めに型の良いものが釣れ、40cm以上はあろうかという大型も混じった。
そのうち、せっせと東伊豆通いする私にも、共に釣行してくれる相方が現れた。名前は「寺さん」としておく、知りあった経緯など話せば長くなるので省かせて貰うが、仕事上の取引先で私より10歳も年上の先輩であった。
あるとき、商談後の雑談中に思いがけず釣りの話しになり、海に通っていることを告げると、自分も連れていけと脅されたことがきっかけである。(笑)
「寺さん」は釣りの心得があったようで、海釣りの経験は無いが川や池などではそれなりの腕前らしく、私よりも自信があるという。こちらとしても相方がいれば、車の運転も楽になるうえ、夜の堤防に一人居ることの心細さも紛れるので断る理由は無く、早速行きましょうということになった。
次の週末に「寺さん」と連れ立って、仕事終わりに伊豆方面へと車を走らせたのは、私が30代で「寺さん」が40代の頃の話なのだが、以来、20年以上も釣友として付き合うことになるとは、この時つゆとも思わなかった。
⯈夜釣り 千夜一夜
一口に夜釣りといっても、狙う魚の種類によってポイントや釣り方、仕掛けなどは異なるのだが、私がはまっていたのは、カゴ釣り仕掛けを投げて沖のアジやサバ、そしてイサキなどの回遊魚を狙う「遠投カゴ釣り」だった。
初めて訪れた白浜の板見漁港で、釣果の乏しい私に、地元の釣り師が見せてくれた道具と仕掛けは、4号の遠投用磯竿にアンバサダー6500番のリールを装着して、道糸はナイロンラインの10号を使用したものだった。
ラインには遠投用のウキが装着してあり、その下の仕掛けはコマセカゴと天秤、10号の錘、そして3号のハリスにセイゴ針が結ばれていた。
詳細を聞いた時の感想は、正直なところ戸惑いと驚きだった。
驚いた理由について思い浮かぶのは、強靭なロッドとベイトリールの組み合わせもさることながら、使ったこともない道糸やハリスの太さ、10号の錘を使用することなどだった。
色々質問すると、強靭なロッドとベイトリールの組み合わせは、スピニングリールを使うよりも遠投に優れていること、道糸に10号のナイロンラインを使うのも、コマセカゴと10号の錘を遠投した時に、ラインが切れないようにするためなど、全て遠投を意識したマッチングであることを教えてくれた。
「下田辺りでは多少の違いはあっても、地元の釣り師は皆、同様の道具と仕掛けで釣ってるよ。」との言葉が痛く刺さり、以後は教わった道具や仕掛けを忠実に再現して釣行を重ねた。
話は戻って「寺さん」のこと、「寺さん」とは初めて一緒に釣行して以来、月に1〜2回ほどのペースで伊豆半島に通っていたが、行き先は主に東伊豆の小漁港や堤防だった。
北川漁港や熱川海岸堤防、片瀬白田の堤防などの他、稲取漁港にも脚を延ばした。
私にとっては慣れた先が主な釣行先であったが、とりわけ、北川漁港と片瀬白田の堤防は私達のお気に入りで、どちらの堤防も丁度良い高さで釣りやすく、夜釣りには絶好のポイントだったが、現在はポイント方向にテトラが入れられて、限られた人数でしか釣りが出来なくなったのは残念である。
これらの堤防では夜釣りでアジやサバ、イサキといった回遊魚のほか、アオリイカなどのイカ類が釣れ、日中にはフカセ釣りで大型のメジナやクロダイも出るという、初心者にはまことに嬉しい堤防であった。
とはいえ、慣れたポイントでも釣果に恵まれない時はあり、悔しい思いをしたこともままあるが、単独釣行では捌け口の無かった悔しさも、帰り道にラーメンをすすってお互いを慰め、車中の反省会で「寺さん」と会話をすることで、当時は随分と慰められたものだ。
そして東京に着く頃には気分も晴れて、早くも次回の釣行に想いを馳せたことが懐かしくもあり、それらは今も尚、記憶として蘇るのである。
「寺さん」とはこのあと、20年以上もつきあう釣友になるのだが、釣り以外にもエピソードがあり過ぎて、ここでは語り尽くせない。
これらは別のテーマを設けて、後々に紹介させて頂ければ幸いである。
次回は夜釣り千夜一夜のシリーズから、下記3題のエピソードを綴ります。
千夜一夜の壱 「深夜の爆釣」
千夜一夜の弐 「残り物に福」
千夜一夜の参 「丑三つ時の怪」
引き続きお読み下されば幸いです、どうぞ宜しくお願いいたします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?