なんとなく

今日11時頃駅に向かう途中の出来事
いつものようにバン様の曲を聴きながら向かっていた。
その途中
70歳くらいの男性が道の端で腰を抑えながら座っていた。
自分は一瞬声をかけようと思ったが、素通りした。
でもなんとなく素通りしたら気持ち悪いなと思って、戻って声をかけた。
話を聞くと、腰が痛くてどうしても歩けないから休んでいたらしい。
しかも、腰が悪いだけではなく目も見えないらしい。障害等級2級。調べると日常生活は極めて困難な状態。
さらにそのおじいさんは1人で生活している。
誰も助けてくれる人はいないそうだ。
残酷すぎると思った。
だから自分に何かできることはないかと思い
暖かいお茶を渡した。
そこでおじさんはこういった
「お構いなく。話しかけてくれただけで嬉しかった。」と
とても複雑な思いになった。
もっと何かしてあげたい、でもずっと一緒にいれるわけではないから一時的な優しさは無責任だな
という無力感。
裏腹に声をかけて少しでも喜んでくれたならよかったのかなという嬉しさ。
なぜ自分以外にも気づいている人はいるのに声をかけないのか。という疑問。
今の自分には正解はわからない。
正解はないかもしれない。
だからこそ自分の信念を持って、それが正解だと言える生き方しないと。

追記
乾杯の意味
1つだけ後悔がある。
おじさんと乾杯すればよかった。
自分は従来乾杯は飲み会を始める形式的な儀式と思っていた、
しかし、今日思った。それは違う。
本来の乾杯が持つ意味は暖かさ、思いの共有だと思った。
飲み会時皆んな、「お疲れ様!乾杯!」と始める
実は「お疲れ様!」つまり今日もよく頑張ったね!と思いの共有をしているのだ。
その思考が足りていなかった。

自分は乾杯をすることでおじさんに、
俺はおじさんのことをちゃんと見てますよと伝えたかったのかもしれない。
おじさんに出会って乾杯の本質を見れた。
これからもその思いを持って乾杯というものに向き合っていきたい。

自分の気遣いの出来なさを痛感。
「目の見えない人に、お茶ここに置いときますね」
こんなんで「自分は凄い」と思ってる自分が情けなくなった。
人の話をちゃんと聞いて、それに従った行動をする。これが気遣いだと気づかせてもらった。

今日の出来事なんとなく生きていたら気づかないことはたくさんあったと思う。
勿論行動できたことも、できなかったこともある。
それを作り上げてきたのは今までの意識的にしてきた行動の積み重ね。
なんとなくいいことがでできるように、
物事を意識的に捉え、疑問を持ち、思考して行動することが大事かもしれない。

色んなこと気づかせてくれてありがとう
通りすがりのおじさん。

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