Vol.3 あの時の私(2021年11月17日)
すでに前の回を書いていて、改めて感じたことがありました。
クリアした、と思うことの中にいろんな発見が埋もれているんだろうな。
レッスン開始から半年後の11月へ遡り、ちょっと緊張しますが、正直に振り返っていこうと思います。
母親に対する感情
「許せない」を紐解く
母は、団塊世代でお見合い結婚。嫁いだ先は、分家で自営業(農業)、私の祖父母が一代目、という環境でした。結婚した年に私が産まれ、続いて弟が誕生しました。母は、みんなと一緒に働き、加えて、家事全般も担っていました。
そんな母が、本当に嫌いでした。「許せない」という気持ちもありました。
なぜそのような感情を持つようになったのか。
・一緒に遊んだり、愛情を注いでもらった、という記憶があまりというかほぼない。
・祖父母が私を連れて出かけるため、物理的にも距離があった。
補足:祖父は近所の用足しによく私を連れて行っていたようです。また、オムツが取れない頃から、夜は祖父母が寝室へ私を連れて行ってしまい、一緒に寝ていなかったようです。
・幼稚園の頃、どこに行くのか知らされないまま、母の実家に何度か連れて行かれた(家出ですな)。母の実家が苦手だった私は、これがとても嫌でした。ちなみに、母の実家で特に何か嫌なことをされた訳ではありません。みんな優しくて温かい方でした。
・祖母から母の愚痴を聞かされ続ける(今思うと洗脳されていた)。
・家族でおやつを食べていた時、母の背中に寄りかかっていたら「重い」と不快な顔をしてよけられる。母に拒否・否定された、と強烈なショックを受ける。
・小学校の時、母が作ったお弁当で恥ずかしい思いをした(周りは可愛いい弁当箱と中身。私はタッパーに明らかに失敗した卵焼きと焼肉。字面は悪くないけど、小学校の私には衝撃すぎる見た目だったのです)。
・機嫌の良い時とそうでない時があり、人としての優しさを感じられなかった。
・親、というよりも私と同じ視点で関わってくる。頼れるような存在ではなく、むしろこっちが話を聞くことが多々あった。
母を一生「許せない」と思っていた。「母を許せない私でいい」と私を許し、一定の距離を置いて付き合うことでバランスを保っていた。ただ、根本的なところで許せていないので、家族の中で何かある度に、私の感情は簡単に炎上していました。
変化する感情
許せない中身を書き出し、その時傷ついた私に会いに行き(イメージ!)、ひたすら癒しました。おんおん泣きました。
ごめんね。悲しかったね。傷ついていたことに気がつかなくてごめんね。違う、気づかないふりをしていてごめんなさい。もう大丈夫だよ、って。許していると思っていたけど、実はぜんぜん許せていないことに気づきました。相当ショックでした。
この時、自分の腕を抱きしめる、お気に入りのぬいぐるみ(肌触りがとびきりいいやつ)を抱きしめながらすりすりする、とか、心地よいと感じながら、涙が自然と落ち着くまで、ひたすら自分をヨシヨシしました。目もぼよよんでした。
そして、ひとしきり泣いたら、なんか、
気持ちがすーっとしていました…
そして、書き出したことを読んでいたら、なんで私はこんなことに今まで縛られていたんだろう、って思ったのです。そんなに大したことではないね、と。
次に、母が嫁いでから今までのいろんな感情が、私の中にぐわーっと入ってきました。
母は孤独だったと思うのです。寂しくもあったでしょう。重労働をしながら、家事はやって当たり前で、誰からも労われることはなくて…。それはそれは私の想像を超える経験をしてきたのです。
そんなことを考えていたら、母に寄り添おうとしていない父が見えて、父を叱りつける私。←そうじゃないよー。
次の瞬間、父ではない、私だ。寄り添わないのは私でした。分かろうとしなかった私がいました。
これまでと違う母への思いが生まれました。思考レベルから、より深い感情レベルでありがとう、って思えたのです(目から鱗)。
両親が生きているうちに、気づけて良かったし、ちゃんと親孝行していこうと思いました。
今、思うこと
この時、自分の中から、こんな気持ちが出てくるとは思いませんでした。とてもびっくりしました。
そして、今、「私は、母に愛されたかったんだ」と再認識しました。甘えたかった私がいたのです。小さい私が、ママーって呼びながら、駆け寄る姿を想像しました。
ぎゅっと、そっと、抱きしめて欲しかったんだ。
あ、そう言えば、あの時、母にスキップを教えてもらった!思い出した!!嬉しかったな、あの時。
「私は平気」って、ずっとわたしにウソをついてきました。
もちろんね、今もね、母に対してうん?って思うことありますよ(←掘り下げポイント!)。
そう簡単には問屋がおろしませんが、第一関門を通過したようです。