『正欲(朝井リョウ先生)』を読んで②


おはこんばんにちは!

お久しぶりです!

「毎日書くぜ!!」「12時に投稿するぜ!!」と言いながらも全く有言実行できておりません、『古本好き人間β』です!


絶賛、三日坊主が習慣化しております!!
(『三日も続けられてないんじゃないか?』と思う今日この頃ではありますが・・・)


今回も先日に引き続き、朝井リョウ先生の『正欲』の方の感想を書いていきたいと思います!


(・・・というか、notionで書いたメモがほとんどです。すんません)


今回の記事には登場人物のセリフやネタバレが含まれますので、気になる方はブラウザバックの方をお願いいたします!!


自分の抱えている欲望が日々や社会の流れの中に存在している。その事実が示す巨大な生への肯定に生まれながらに該当している人たちは気づかない。

自分の性欲が、ちゃんと社会とか経済とか、そういう目に見えるところに取り込まれているってこういうことなんだなって思ったよね。

→羨ましい。

誰かと繋がることで得られる安全性。

まともって不安なんだ。正解にいるって怖いんだ。

最後の砦→法律、良心

大多数の正義の手によって最も簡単に取り払われる。取り払った側は忍苦完了。取り払われた側は、そのあとの世界を歩き続けなければならない。

人間がセックスの話をするのは、常に誰かと正解を確かめ合っていないと不安だからだ。それほどまでに輪郭というものが曖昧なものだからだ。

(=人の性欲というものはそれほどまでに輪郭がぼやけたモノである)

自分はまともである、正解であると思える唯一の拠り所が多数派でいる

ということの矛盾。3分の2を2回続けて選ぶ確率は9分の4であるように、多数派に立ち続けることは立派な少数派である

多数派と少数派の違いとはなんだ?これすらも曖昧な輪郭。

たとえ皆さんはそういう問題に直面しても、意見を求められてもこう言うんでしょう

「そんなの私の考えることじゃない。関係ないことでしょうよ」と。

読んでみての感想。性欲というものに対して、当たり前に考えてきていた自分の中の概念が破壊され、自分が当たり前のように欲してきたものが見方によっては、時代によってはそうではないということを

それを人間の本能で一括りにできるものではなく法律で押さえ込むのも困難なものであるということを強く感じた

本を読了しての感覚的には己の腹に手を差し込まれかき乱されるような気分になった。


いろんな場面がごちゃ混ぜになっておりますが、特に言いたかったのは最後の文章になります!!

そう、

本を読了しての感覚的には己の腹に手を差し込まれかき乱されるような気分になった。

です!!この感覚は、他の小説を読んでいるときには陥ったことがほとんどなく、とても不思議な、でも、読んでいる途中からこうなることは予感していたような・・・
そう、読んでいる自分自身がこうなることは必然・・・的な、そんな感覚でした。


今日も、手抜きすぎる記事ですが、読んでいただきありがとうございました!

本日より連日投稿いたしますので、温かい目で

(冷めた目でも見ていただけるなら、喜びます笑)

見て、ざーっと読んでいただけたら嬉しいです!

それではまた明日!

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