ラマダン明けの街にて
おとといの夕刻、この国のラマダンが終わった
イフタール(夕食)の時間を待ちかねたように街に出た
思いのほか人が繰り出し、少し華やいだ雰囲気も伝わる
たくさんの買いもの客の姿も
飲食可能な時刻を迎えるころには、食堂はすでに人で満杯
きのうからはラマダン明けのイード休暇
昼過ぎに街に出かけてみると
やはり人、人、人 ・・・
観光客も混じって市内はごった返している
イスラムの専門家でもなんでもないが
いろいろ考えてしまう
なぜムスリムは1ヶ月間にもわたって
過酷な断食に従うのか ・・・
日が照っているあいだは、飲みものも食べものも摂れない
唾液すらも飲み下せない
男女の交わりも
なぜムスリムは豚肉を食べないのか
なぜ彼らはハラールしか口にしないのか、できないのか
わたしなりの結論はこうだ
神は信徒に、生活上のいくつかのことを信仰の証しとして定めた
それらは高尚な務めではなく、身近な、だれもが実行できる務め
一年のうちの一か月間
日の出から日の入りまで なにも食べない 飲まない
空腹を覚えたら 渇きを感じたら そのたびに神のことを思え
異性への想いを断ち切って 神のみに思念を向けよ
だから性交もおこなってはならない
食べものにも神との約束を設けよう
豚肉は遠ざけること
酒もいけない
神の名を唱えて殺した家畜以外を食べてはならない
これが約束、信仰の印
これらをひたすらに守るのを見届けて、神はその者を愛し保護するであろう
こんなことなのではないか
要は、現代人からみて意味のなさそうな絶食や食べものへの禁忌
それを遵守することを
自らに忠誠を誓う証しとして神が求めたということ
われわれには理解のおよばない絶対神との緊張関係のなかで生を紡ぐ人々
次のラマダンまでの一年が もう始まっている
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