【コラム】イタリア映画「彫刻家(原題 La Scultura)」があまりにも刺さりすぎたので
【コラム】イタリア映画「彫刻家(原題 La Scultura)」があまりにも刺さりすぎたので
新型コロナで自粛ムードの中、お酒を飲む機会が減り健康的な生活を送っている僕だが、皆さんはいかがお過ごしか。
ところでネカフェやラブホで映画一覧を見ていると、どこから拾ってきたか分からないB級映画や、ほぼほぼビッグタイトルのパクリと思われる映画が見られるが、この手の作品を日本へ輸入している謎勢力が存在するのではないかと考えている。
イタリア映画「彫刻家」は、そんなネット世界の海で見つけた作品である。基本的に、視聴した映画や小説はツイッターで感想をあげることにしているが、140字では到底気持ちがおさまらないので記事を書くに至る。
恥ずかしながら本作は一周したのみで、見逃しや解釈違いも見られると思うが、そういった点は指摘していただきたい。あと、僕の内面に刺さったと言うだけで、かなりクセがあり人を選ぶ映画なので、約束された名作を見たい方にオススメするわけではない。
また、本作のオチやいわゆるネタバレは記さないことにする。
イタリア映画「彫刻家」は2015年公開の作品で、90分超程度の長さ。ラブホのテレビで映画欄を探していて見かけた。「おお、このくらいの長さならちょうどええやん!」
映画紹介文が短く書かれていて、うろ覚えだが、
「イタリア芸術の現実を克明に描く。売れない芸術、体を売る美女、自らも女装して快楽を得る男のさまをつづる」
みたいな文だった。名詞並べすぎの変な日本語感あるけど、こんなの気になるでしょ。
まあ本心を言うとハーレイクイーンが見たかったのだが、あいにく吹き替え版しかなかった。字幕版も用意して、どうぞ。
見る前に一応、ネットで「彫刻家」のあらかたの評価を調べたが、数件しかレビューが見つからない。その割に、いくらか賞を受賞しているらしいので、駄作ということはないだろう。という判断で再生した。あとで調べたが、原題「La Scultura」は彫刻という意味らしい。
余談だが僕は、多少の矛盾や粗は、オチや雰囲気が良ければ気にならないタイプである。それに「ダブルヘッドジョーズ」なる虚無の二時間を耐えた経験が常に背中を押してくれる。
さて本作の内容に触れるが、一言で言えば、彫刻家の男と売春婦がシェアハウスをするという話である。舞台は現代イタリア、特にファンタジーらしい要素はない。というより徹底的とも思えるリアルな描写が、「これガチで本物の彫刻家のドキュメンタリーか?」と思わせる。
主人公の彫刻家は、設定上の名前はあるようだが劇中一度も呼ばれていない(はずな)ので、本稿でも彫刻家と呼ぶことにする。彫刻家がアトリエで彫刻を懸命に彫っているシーンから物語は始まる。部屋の隅々にも彼の作品らしい彫刻が置かれ、あくまで素人目線だが腕前は十分らしい。あとから明かされるが、彫刻家は芸術大学出身で、相応の知識や技術は身に付けているものと考えられる。
そこに現れるはスーツでロンゲの男。あまり劇中で説明されないが、大家さんというよりはマンションのオーナー的人物に見える。ロンゲの彼は彫刻家に、今月の収入や生活の様子を聞く。そして一言。
「君は三か月家賃を滞納している」
この冒頭は分かりやすくて、彫刻家は四六時中彫刻を彫っているものの、お金になっておらず生活もままならないということである。
そこで舞台は一変して、美女とおっさんが交わっているシーンに変わる。この美女が、のちに彫刻家とシェアハウスをすることになる女性である。
本作のほとんどは、この女性(以下、女性と呼ぶ)がナレーションをしていると言ってもいい。女性は八時間で千ユーロ(約12~13万円程度?)を稼いでおり、その心中もすぐ語られる。
要約すると、「私の仕事をコケにする人もいるわ、けれど気にしてない。実際私は買いたい服を買って、その他欲しいものを買い、時間だって余っているもの」ということ。
まさしくその通りで、この時給なら月に数日働けば十分生きていける。女性は他のモブキャラや彫刻家に比べて、見るからに高価な服を着ているし、乗っている車だって見ればわかる金持ちの車である。これは女優さんのパワーもあるかもしれないが、コテコテの高級車に乗る姿も似合っている。いわば、背伸びしている小金持ちではなく、本物の金持ちなのである。
この辺りで察しの良い方はお気付きであろうが、彫刻家と女性は、その生活様式自体が対比になっているのである。
先述したとおり女性の生活は豊かであり、売春婦という、既存の職業ではコスパ最強レベルの仕事をしている。もちろんその職種特有のストレスやトラブルもあるであろうが、その辺の苦悩はほぼ描かれていない。客も同じ顔ぶれが多いので、ほぼ固定客だけでやっているのかもしれない。女性自身も割り切っている感がかなりある。
対して彫刻家は、四六時中彫り続け、生活のほとんどを捧げているにもかかわらず、一銭にもなっていないのだ。もちろんお金がすべてだとは言わないが、本作ではたびたび明示される。「芸術は死んだ」と。現代において芸術が死んでいるかはともかく、家賃も払えないのは死活問題である。
彫刻家は、家を出ろだの家賃を払えだの、その他の罵詈雑言を浴びせられたりしながらも、なんやかんや女性とシェアハウスすることになる。とりあえずよかったね。
この二人、一応シェアハウスしているものの、会話はほとんどしておらず、最初はお互いの職業も知らない。家にいても他人のように、ときどき目を合わせながらすれ違う程度である。男女で一緒に住んで、会話ほとんどなしってどういう状況なの?
しばらくして、彫刻家は、日頃しているヨガや、洞窟探検を女性に教える。彫刻の合間に行っているらしい。そこからお互いの仕事の話をし、彫刻家は自分のアトリエを女性に見せるのである。
そこで女性は、彫刻を絶賛する。「素晴らしいわ」と。また直接は言わないが、「彼の両手は平凡な者の両手とは違う。もちろん常識だって大事だわ。けれど、彼の手は唯一無二の、独創性と創造性を持つのよ」とも。
この点、自身の生活では体を売ってでも高時給を重視している女性が、彫刻という死ぬほど時間のかかる行為を称賛するところが良すぎる。
女性の言葉が、彫刻家の支えになったことは言うまでもない。また、彫刻家は、女性をモデルにした彫刻をつくりたいと言い始め、裸にフードを纏った姿でモデルになってもらうのであった。
ただ、こんな風に持ち上げてくれるのは女性くらいで、大家さんやパトロンらしき人からは常にボロカスである。特に、イタリア語らしい巻き舌で言われる悪口は、破壊力が半端ない。「お前は芸術大学に入って、永遠の思春期を生きる腑抜けになった! 自分では芸術家を名乗っているが、実際はこじきだ! そうやって石に価値を見出していろ! ただの石に!」
ちょっとさあ、アメとムチの比重おかしいだろこの映画。アマチュア作家にはことごとく響きそうなセリフである。
よっぽどの自信家か楽観主義者でない限り、一度や二度は思うのではないだろうか。自分が生み出しているものは、ゴミか、芸術か、と。実際に評価する人の中には、ゴミと言う人もいれば、崇高な作品と褒めてくれる人もいる。
彫刻家の前では、ただひとり女性だけが、彼の作品を認めてくれたのだ。彫刻家は珍しく楽しそうに話した。「ミケランジェロの彫刻を見たことがある? 彼の作品は永遠だよ。本当に美しいものは永遠なんだ」
結局のところ彫刻家は生活が厳しくなり、女性に助言してもらいながら、女装して体を売ることになる。長い髪のカツラをかぶり、スカートを履いて。彫刻家の頭の中には、女性の言葉が反芻される。
「常にコンドームを持っていて」「顧客の要望に応えるのよ。彼らの望みをかなえてあげるの」
彫刻家はこれまで、有り余る時間を使って石を彫り続けてきた。周囲の評価や要望を無視して、自分だけのものを練り上げてきた。そんな人生の中で、初めて相手の要望に合わせ、お金と時間を交換するようになったのである。八時間で千ユーロ。
本編を通して、彫刻家がほとんど無表情であり、女性以外の人物にはだいたい罵られているので、当然雰囲気は明るくない。リアリティーに寄っているので、ファンタジックな救いもない。
だが本作には、絶妙に希望と絶望が混ぜ合わされていて、終盤、女性をモデルにした彫刻が映し出されるシーンはその最たるものだ。
オレンジのローブを撒いて、肩や谷間をあらわにした女性の美しい彫刻。時間と体を売って、お金に交換してきた、刹那性の高い女性の人生は、彫刻を通して永遠性を帯びたと言える。それこそが、本作の救いだと信じたい。
おわり
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