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【凄いだろ】Mr.インクレディブルとかいうアニメ映画界屈指の名作【ゼロポイントエネルギーだ】

「凄いだろ。Mr.インクレディブルのコラムだ」
 このセリフ、ニッチすぎるのかあまり分かってもらえない。残暑ってレベルの暑さではない本日、アニメ映画界屈指の名作、「Mr.インクレディブル(2004年公開)」について語っていこうと思う。評論家にも絶賛され、数々の賞を受賞した本作、いまさら僕が語る必要があるのか? 映画は見ないが僕の小説は読むという変わり者もいるので、まあ良いだろう(思い出語りしたいだけ)。なんといっても本作は音楽が良すぎる。テーマ曲は誇張抜きに映画音楽のお手本と言っても過言ではなく、数々の視聴者を虜にし、バラエティ番組で使用され、吹奏楽部で練習されただろう。吹奏楽演奏などYouTubeに上がっているから、聞いてみると曲だけでも知っている方は多いかもしれない。ある日の金曜ロードーショーでそのカッコ良すぎる曲とEDが丸ごとカットされており、これには僕も憤慨……することなく、「まあ地上波だし尺もあるから仕方ねえわな」と思って心を落ち着かせた(大人の対応)。だがTwitterでサーチしてみると、EDカットに激怒するインクレディブルファンのツイートが百件と言わずヒットして驚いたものだ。やっぱり許さないことにする(手のひらドリル)。
 このままでは僕の軽蔑する、中身スカスカのくせに字数だけ稼いでいるラインニュース記事と同じになってしまうので、さっさと本稿へ入ろう。インクレディブルとは、ファミリー向けアニメ映画でありながら、大人も楽しめる脚本、上手すぎる伏線回収、素晴らしい音楽、2004年とは思えないCGアニメ技術を誇る、とんでもない映画なのである。アニメ映画初心者にもオススメだ。

1大人でも楽しめる映画

あくまでカートゥーン系のキャラデザインなの、すこ。

 本作は、少年期に見たのと大人になって見返したのとでは、また印象が変わる。例えば、序盤、インクレディブルは飛び降り自殺者を助けるのだが、力任せに突っ込んだためか、自殺未遂者は生き延びたものの、首の骨を折ってしまう。未遂者は「死にたいのに中途半端に助けた」という理屈でインクレディブルを訴えるという法的措置に出て、この件は新聞などのニュースになってしまう。これなど、幼少期に見たら、「ナンデ⁉︎」となるだろう。というか、一緒に見ていた妹も、何が起こったのかすら分かっていなかったと思う。
 上記の事件や、ヴィランズとの戦いで街を破壊していることなどが社会問題となり、冒頭ではアイドル的存在だったヒーローは、一気に批難対象になってしまう。そして、ヒーロー活動を禁止する法案が立てられたのであった……というのが、本作のストーリーの始まりだ。切なすぎるだろ。
 そういうわけでヒーロー活動そのものが法令違反となり、ヒーローたちはマスクを脱いで社会に溶け込むことを余儀なくされた。
 年月が経ち、かつて大人気ヒーローのインクレディブルであった主人公ボブも、家庭を持ち、どこにでもいるパパとして過去を隠して生活していた。このボブ一家が主役にあたるのだが、視聴側としては、年をとればとるほど親側への感情移入が容易になっていく。
 ボブは保険会社で働いているのだが、元々の優しさから簡単に顧客のお願いを聞いて保険金をおろすため、上司にはしょっちゅう叱られている。心の中ではヒーロー時代の栄光を懐かしんではいるが、家族を守るためには息を潜めるしかない。この辺りの世知辛い設定は、「マイノリティは社会で苦労する」という、本作の監督であるバード監督自身の社会経験からきたものらしい。そんなところまでリアルにしなくて良いから(良心)。
 とはいえ、ここが本作の魅力。ディズニー映画、ヒーロー映画だからとリアリティを排除せず、既存のディズニー作品になかったシビアさ、時としてヒーローが暗殺じみた被害を受けるシリアスさが、作品の緊張感を高めているのだ。

2キャラ立てが神がかっている

ヴァイオレット「普通? 普通って何? この家で普通なのはジャックジャックだけ! オムツもとれてない赤ちゃん!」
ジャックジャック「ベロベロbrbrバァ〜!(爆笑)」

これは二作目。まだオムツがとれてない。

 本作では、ヒーロー活動禁止後のボブ一家を中心としてストーリーが進んでいくが、この家族五人、それぞれに魅力や問題がある。

ボブ(インクレディブル)……スーツを着て保険会社で働いているが、やつれて太っており、ヒーロー時代の栄光を捨てきれていない。
ヘレン(イラスティガール)……最も時代に適応し、ヒーローを諦めママとしての生活に集中。子供たちにスーパーパワーは使わない約束をさせ、『普通』に過ごすよう教育。
ヴァイオレット……一番年上の姉。親の教えからか控えめ過ぎる性格に育ち、好きな男子に挨拶もできないシャイガール。
ダッシュ……弟くん。姉と逆に目立ちたがりで、スーパーパワーを使いたくて仕方がない。カメラに映らぬ高速移動で先生の椅子に画鋲を置くなどパワーの無駄遣いをしている(こいつ育ちが悪かったら不良待ったなしだろ)。
ジャックジャック……オムツも取れてない赤ちゃん。

 各々に危ういところがあり、この「弱点のつくり方」が上手過ぎる。ボブは部屋中にインクレディブル時代のフィギュアやポスターを飾り、警察無線を傍受してはヒーローまがいの違法活動を続けている。ヴァイオレットはバリアの能力を持っているが、日頃隠しているせいで使い方が分からず、ヴィランズの攻撃を被弾してしまうなど、分かりやすく彼らの弱み(能力ではなく、心の弱みである)が描かれている。だからこそ、家族が支え合って一歩ずつ歩み寄る様に感動するのだ。
 ならば本作はシリアスすぎるか? 決してそうではない。例えばダッシュが先生の椅子に画鋲を置いた件で、夕食のときに家族会議が起こる。

ヘレン「あなたからも言ってやって」
ボブ「あのなあ」
ダッシュ「でもカメラにも映ってなかったんだよ!」
ボブ「なに⁉︎ カメラにも映ってなかったのか?」
ダッシュ「(自信ありげにニッコリ)」
ボブ「凄いじゃないか! どのくらいの速度で走ったんだ!」
ヘレン「ちょっと」

 このあと、会話に盛り上がりすぎたボブは、話しながらナイフで切っていたステーキを、超パワーで皿ごと両断してしまうのだが、このシーン笑わずにはいられない。この辺のギャグとシリアスの塩梅が秀逸なのだ。

 特に、ボブがシンドローム(本作の実質的なボス)に敗走し、命からがら逃げ出してから事件の真相に迫るシーンは、ミステリ風なドキドキ感と、シンドロームの目論見のおどろおどろしさが出ていて素晴らしい。記憶を消してもう一回見せろ(無理)。

3保護対象に助けられるという美しい構図

ボブ「家庭こそパパの守るものなのに、それを失うところだった!」

顔は有田さんだが、声優は宮迫さんというヴィラン。無能力でよく頑張ったよ。

 「子供にどう接するか?」という問題に対して、ボブはスーパーパワーを評価しすぎ、ヘレンは逆に隠そうとしすぎており、この話題から夫婦喧嘩にも発展する。
 物語中盤、両親は離れ、ジャックジャックはシッターと留守番、ヴァイオレット&ダッシュは別行動になるのだが、この辺りからの子供たちの成長も本作の見どころだ。
 作中、ボブ一家は、本作のボスキャラ的ヴィラン、シンドロームにまとめて捕まってしまうが、ヴァイオレットがバリアの能力を応用したことをきっかけに、脱出して逆転を狙う。
 これまで「守るべき子」と思っていた存在に助けられるという構図は、「ファインディング・ニモ」でも見られた。
 危機を共に乗り越え、親は子を一人の人間、自我を持ち自由意志を持つ人間として認識していく。


4そしてヒーロー一家へ

 本作はヒーロー映画の例に漏れず、事件が落ち着いた後の様子がエピローグ的に描かれるが、ここも短いながら全てが圧縮されている。まずヴァイオレットは女子らと気さくに話し、好きな男子にも笑顔で対応してデートの約束をとりつける。ダッシュは運動会(みたいなイベント)で走るが、あれだけ目立ちたがりだったのに、スピードを調整して二位をとる。
 これらはヒーローに必須級の能力、つまり社会に溶け込む能力を得たことを示している。他作品でも例えば、バットマンのブルース・ウェインはウェイン産業の社長であるし、ワンダーウーマンのダイアナは学者という「昼の顔」を持っている。ヒーローには必ず、昼の顔が必要なのだ。そういった意味で、ヴァイオレットら姉弟は、学校の生徒という昼の顔を身につけ、心身ともにヒーローになったのだ。
 両親は子を対等な個人として捉え、支え支えられ、ときに応援し、ときに注意する。本作は老若男女楽しめるエンタメアクション作品でありながら、「スーパーパワーを持っていただけの一家」が、「家族という集団として、完成された一家」に成長する、骨太な作品でもある。
 だからこそ、20年経った今でも『ファミリー』向け映画の金字塔として、変わらぬ輝きを放つのだ。

追伸 「マントはダメ!」

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文園そら
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