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【さんを付けろよ】映画『AKIRA』とかいうロマンの塊【デコ助野郎】

※本稿はアニメ映画『AKIRA』のコラムです。漫画版AKIRAのコラムではありません。
画像は全て『AKIRA』大友克洋より

僕「AKIRAのコラム書きたい!」
?「ピーキーすぎて、お前には無理だよ」

 2019年、オリンピックを翌年に控えたネオ東京は、反政府勢力の暴動が激化し、不良少年も溢れ、混沌の街であった……1988年公開の名作映画、AKIRAの基本設定である。
 もともと世界的に有名であった本作。国内で評価が高かったのはもちろん、特に海外では、頭身のリアルなキャラや血肉の描写などが新しがられ、「アニメは子供の見るもの」という概念を覆して、ジャパン+アニメ、ジャパニメーションという言葉を発生させた。
 現実の2019年には、劇中にある東京オリンピックの設定、クライマックスに起こる緊急事態宣言の発令などが現実に起こったことで、「予言映画」「動く予言」など再度話題沸騰したことも、記憶に新しい(本当にビビった)。
 AKIRAを見た人、一緒に楽しもう。見たことがないひとは、今から見よう!

はじめに

 まず、何ゆえAKIRAのコラムを書くに至ったのか、事情を説明しよう。自分語りは結構です、という方は次の項から読んでいただきたい(たぶんそれで問題ない)。
 僕の友人にAKIRAアンチがおり、彼とやりとりをする中でこれまで放棄していた言語化が進み、「こんなに長いやりとりするならもうコラム書こう」と考えたためである。
 僕は基本、「自分の大好きすぎる作品」については批評しないことにしている。というのも、オタクとは愛が大きいと「尊い」「神」などと語彙を失い、同時に俯瞰もできなくなるからである。語彙力と俯瞰は、作品批評において必須である。つまり今回は批評というよりただの激推しになるのだが、了承いただきたい。

こんとき劇場行きたかった過ぎる。

AKIRAの魅力

 本作がどのくらいの収入でどんな賞をもらったかはWikipediaを見れば一目瞭然であるから、本稿ではそういった利潤については語らない(定型句)。
 本作の魅力は主に四点。「洒落たセリフ回し」「圧倒的な作画」「超能力描写」「芸術的な音楽と音響」だろう。こう並べると、ありがちな宣伝文句に聞こえるかもしれないが、本当に各項目ぶっちぎりである。
 「さんを付けろよデコ助野郎!」は言わずもがな、数々の名言を生み出し、これでもかというほど声に出して読みたい日本語が出てくる。「お前も王様になったんだろ、このガレキの山でよォ?」「葬式帰りかァ!?(黒服に対し)」「俺の手はそっちには回らねえんだよ!」など、枚挙にいとまがない。まじでどっからこんなセリフ出てくんの? LINEスタンプでも大活躍……と言いたかったのだが、調べてみたところ現在は販売終了しているらしい(2023年11月)。買いたかったんですけど! なんで俺がこんな目に……(鉄雄並の感想)。
 圧倒的な作画は、凄腕作画陣と当時破格の予算の賜物だ。冒頭のバイクシーンを見ただけで、この映画はひと味もふた味も違うものを見せてくれると確信できる。「先輩AKIRA見たことないんすか!?」と言われ、後輩宅で初めてAKIRAを見た学生時代。ネオ東京のサイバーパンクな街並み、金田たちのバイクレース、それに伴って描かれるライトの軌跡。あのとき、僕の魂は間違いなく2019年ネオ東京にあったのだ。それまで、映画といえば実写で、ジブリ映画すらほとんど見ていなかった僕に「アニメ映画って僕の知らないことがきっとたくさんあるんだ」と気付かせてくれた。

 超能力描写は漫画界でも評価されている。本作以前、超能力は結果だけが起こったり(触れずしてコップを割るとか)、炎や雷を出すなど可視化されたものだった。これを革新させたのが、AKIRAの「球状に壁や物体が凹む」という描写だ。パワーが広がって、周囲を押し退けて破壊しているのが分かる(余談だが、漫画界の大きな流れとして、このあとの革新は超能力を擬人化した、ジョジョの『スタンド』だとも言われている)。劇中でも、とにかく「なんかやべえ力」なのがひしひしと伝わるから、見ていただきたい。
 音響なのだが、バイクのエンジン音やブレーキの音、レースシーンはすべて素晴らしい重量感とスピード感を味あわせてくれる。それに曲も欠かせない。かなりポエミーな表現で申し訳ないが、なんというか「近未来的だが和風民謡のようでもある」「和を感じさせるが同時にSF的でもある」のだ。この絶妙なバランスが、興奮と浮遊感を与えてくれる。これさ、聞いた人全員分かるよね? よね!? 本作の音響が好きな人は、『カウボーイビバップ』『Ghost in the shell 攻殻機動隊』辺りの曲も気に入ってくれると思う。絶対そうだ(決めつけ)

 ともかく、以上のような魅力が、たくさんの視聴者をネオ東京へ引きずり込むのだ。

ちょっとした考察と丸投げ

 ところでAKIRAとは誰、あるいは何なのか。「え? あの赤い服の男の子じゃないの?」未視聴の方、違います。それは健康優良不良少年の金田くんです。

鉄雄「アキラ? そんなヤツ俺は知らねェ!」

 真剣に本作を見る場合避けられない命題であるが、そもそも本作の超能力とは劇中で示唆されていることをそのまま受け止めると以下のようになる。「宇宙が誕生しビッグバンが起こり、恒星が生まれ惑星が生まれ、溶岩や水が生まれ生命が誕生し、単細胞だった生物が多細胞になり、海や陸に栄え、人間に至るまでになった。宇宙全体を構成するものが流動し続けているなら、我々人間の体はもともと星屑や宇宙のかけらだったはずだ。もし体やDNAか何かが、星屑だった頃の思い出をずっと記憶していたとしたら、人間には恐ろしいほどの潜在能力があることになる」この、人間誰もが持っていると仮定される宇宙誕生からの記憶とその力が超能力、『AKIRAの力』なのだろう。異論は認めるけど、その際は論理立てて説明してください(迫真)。これ何度も考えているけど、AKIRAの力は本来誰もが持っていて、目覚めているかどうかの問題なのは間違いないと考えている。そして、この宇宙誕生から現代までの記憶と力を全て、あるいはほとんど使いこなせるのがアキラくんだったんじゃないかな(もう未来も見えてそうだけど)。アカシックレコードとかその辺のSFと近い気がする。

 ここまで書いておいて、実はそんなことはどうだって良い。それが本作の魅力だ。本作には大きく分けて二つのテーマがある。ひとつは、上記の宇宙と人間との関係や、AKIRAとは何かという大きなテーマだ。
 もうひとつは、冒頭から身も心も完璧で最後の最後まで「ただの人間」のまま事件に立ち向かっていく完璧な主人公金田(体が頑丈すぎるだろ)と、常に助けられコンプレックスの塊のまま人智を超えたパワーを身につけてしまった鉄雄との、対比と分裂という小さなテーマだ。
 本作は壮大な話でもあり、不良少年二人の友情の物語でもある。小難しい話は放っておいて、二人の人間ドラマを追ったって良いし、そもそも金田のバイクはかっこ良い。スタイリッシュで、現実ではまず見ないデザインでありながら、丸みがあり、それなのにかっこよく、どこまでも「バイク」だと分かる神がかったデザイン。金田のバイクが走る映画冒頭のシーンを見るだけでも、本作を見る価値は十分にある。

 哲学的でありながら、目と耳で楽しめるエンタメも忘れていない。ここに、本作が世界的かつ歴史的に愛される理由があるのだろう。

アニメはもう進化しないのか?

 ここまでずっと、昭和の名作アニメAKIRAを語ってきたわけであるが、本稿を読み返して、懐古厨のアラサー感が半端ないな自分。実際のところ、『Ghost in the shell 攻殻機動隊』『AKIRA』らの名作アニメは大好きであるし、これらの映画のように、セル画で長編映画が描かれることは令和の時代ではもうないだろう。実際、AKIRAのバイクシーンは現代の映像技術では再現不可能だとも聞く。では、令和のアニメにはもう期待できないのだろうか? これから先、平成以前のような名作アニメは生まれないのか? 僕は、そうは思わない。

 劇場版『The first SLAM DUNK』は、原作者が関わることで大幅に新解釈を加え、漫画の試合展開はそのままに、不朽の名作漫画を名作映画として生まれ変わらせてくれた。既存のファンには当時の感動を新鮮に蘇らせ、新規視聴者には当時読者が味わった感動や情熱を与えた。
 『進撃の巨人 完結編』は、原作が名作であるのは言わずもがな、その歴史的名作に素晴らしい音響と動きを吹き込んでくれ、ファンはもちろん、原作の諫山先生すらも大満足の神話(そう、もはや神話)を見せてくれた。
 僕たちが素晴らしいものを素晴らしいと言い続け、好きな作品にお金と時間と愛を使い続ける限り、きっと作品は応えてくれるはずだ。これから、どんな令和の名作が待っているのだろうか。
 僕はこのワクワクを胸に持っていれば、不幸なニュースが多い昨今でも、少しだけ未来が楽しみになってくるのだ。

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