シェアハウス・ロック(or日記)0102

『真夏の夜のジャズ』

 本日は『真夏の夜のジャズ』のお話から始まる。真冬だけどね(笑)。これは、1958年に開催された第5回ニューポート・ジャズ・フェスティバルの記録映画である。私が10歳のときだ。大昔である。
『(真夏の夜の)ジャズ』なのに、チャック・ベリーも出て来て、『Sweet Little Sixteen』を歌っている。
 セロニアス・モンク、アニタ・オデイ、ジュリー・マリガン、チコ・ハミルトン、ルイ・アームストロングなんかが出演しているが、今回お話ししたいのは、マヘリア・ジャクソンである。マヘリア・ジャクソンもジャズではない。
 マヘリア・ジャクソンは、このなかで『Shout All Over』『Didn't it Rain』『Lord's Prayer』の3曲を歌っている。3つ目は、要するに「主の祈り」である。教会に行ったことがある人は、「天にまします我らの父よ 願わくば御国を来たらせたまえ」で始まる祈りの文句を憶えておられると思うが、あれである。歌詞はあのまんま。
 昨日はキリスト教関連の話が多かったんで、たぶん、その続きとして今日はゴスペルの話なんだと思う。自分で書いててヘンなもの言いだけど、ここまで書いてきて、そんな気がする。
 もの凄い拍手があったので、マヘリア・ジャクソンは、曲と曲の間で「You make me that I'm like a star.(スターになった気分になっちゃう)」と言っている。自己認識では、自分はスターではなく、単なるゴスペルシンガーなんだろう。この自己認識はとても好ましいが、私から見たら、マヘリア・ジャクソンは十二分に大スターである。私は、レコードで6枚、CDで7、8枚は持っている。
 だが、当時の伝統的黒人コミュニティでは、彼女をゴスペルシンガーと認めない人が多かった。「あれは違う。ゴスペルではない」ということなのだろうね。保守的な人たちは、自分の趣味に合わないものは、だいたい認めない。一般的に、保守というのはそういうものだ。
 彼女は、ピアノ+オルガン程度の伴奏で歌うことが多く、彼女の意識では正統的なゴスペルを歌っているつもりでも、天才というのは仕方のないもので、どこかしらはみ出してしまい、R&B、ロックの前駆のような感じが出てしまう。それを保守的な黒人コミュニティは嫌ったのだろうと思う。
 マヘリア・ジャクソンより20歳若いサム・クックになると、出発はゴスペルシンガーだったが、1957年にR&Bに転向している。ポップスのような曲もだいぶ歌っているし、だいぶ「漂白」されているが、それでも黒人の歌である。
 さらに10歳若いアレサ・フランクリンもゴスペルシンガーがスタートだったが、メジャーデビューの際はゴスペルフィーリングは矯められ、モータウンっぽい曲を歌わされたりした。
 アレサ・フランクリンが本来のスタイルになったのは、1966年11月、アトランティック・レコードに移籍してからである。ここからアレサ・フランクリンは、本領を発揮する。
『One Lord, One Faith, One Baptism』(1987)は2枚組のゴスペル・ライヴアルバムであり、名盤である。ジャケット写真のアレサ・フランクリンは、アフリカの民族衣装をまとっている。これはアレサ・フランクリンの矜持だろうし、そういうことが許される時代になってきたのだろう。
 晩年のアレサ・フランクリンが、おそらくネルソン・マンデラのトリビュート・コンサートだと思うのだが(バックにマンデラの大きな写真があったから)、サム・クックの『A Change Is Gonna Come』を歌っている。YouTubeにあげられている。名曲、名唱である。あれはぜひご覧いただきたい。
 昨日、今日と、キリスト教関連の音楽の話のように聞こえるかもしれないが、私はクリスチャンではないし、本日のお話のテーマは「歴史の善意」についてだと思っている。また、正月にふさわしい話題だとも思っている。

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