シェアハウス・ロック(or日録)0206

【Live】亙尾根亙窯跡1

 町田市と八王子市の境に、小山内裏公園がある。相当に広い公園で、日比谷公園の4~5倍はあるはずだ。小山内裏公園には、南大沢口、多摩境口がある。つまり、京王相模線で言えば、南大沢と多摩境の間になるわけだ。
 公園の中央には分水嶺が走っていて、この分水嶺の北に降った雨は最終的に相模湾に、南側に降った雨は東京湾に注ぐ。
 公園の、おそらく半分くらいはサンクチュアリになっている。金網で区切られ、そこで野生生物、植物などが保護されている。かなり自然が保存されている公園なのである。
 そのサンクチュアリに入れるチャンスがあった。市民講座である。普段は、あたりまえだがサンクチュアリには立ち入ることができないので、勇躍応募した。
 講座は2月1日であった。我がシェアハウスのおばさんと私、マエダ(夫)が参加した。マエダ(妻)は足があまり丈夫でないので不参加。
 参加するまで、なんの講座かはわからなかった。ようするに、私はサンクチュアリに入りたかっただけなのだ。だから漠然と、「これがキジの巣跡です」とか、「タヌキの巣です」とか、そういう講座なのかなと思っていた。つまり理系の講座なのではないかと思ったわけである。
 文系の講座だった。
 まず、座学で、八王子市に伝わる昔話を聞いた。これが、実はなかなかに優れたプロローグだったのである。なかで私が知っていた話は、日野あたりの子どもが、5歳くらいのとき、突然「自分は、○○村の○○の生まれ変わりだ」と言い出したというものである。平田篤胤がこの話を扱っていたことを思い出した。
 メインの講座が、標題である。「かわらおねがようあと」と読む。
 分水嶺(亙尾根)を下ったところ、谷底に近いあたりに亙を焼く窯の跡が発見され、それにまつわる話が講座の本筋であった。
 現地には調査が複数回入った。昭和32年(境村教育委員会)、35年(東京都)、44年(町田市教育委員会・国士舘大学)で、もう半世紀も前のことだ。
 35年は、東京都埋蔵文化財センターが調査にあたった。
 こういう地形では登窯がつくられることが普通だが、なぜか4基ともロストル式平窯だったという。
 登窯は、斜面の下が焚口になり、掘った穴に階段状に焼くものを並べ、斜面の上に煙突をつくる。それに対して、ロストル式平窯は、基本構造は大同小異なのだが、小異の1は燃焼部と焼成部の間に隔壁を設けること。その2は、階段状ではなく、焼くものを平らに並べること。焼成部には畔(ロストル)を設け、その畔にかぶせるように焼くものを並べ、その下に火が通るようにすることである。
 解説をしてくれた東京都埋蔵文化財センターの方によれば、なぜこの地形に平窯を設けたのかはわからないということだった。
 こういうプロフェッショナルな方は、立場上うかつなことを言えないのだろうが、素人の特権で言わせていただくと、地の利がいい(これは次回に申しあげる)場所に、新式の平窯を新たにつくったということなのだと思う。近くには登窯も発見されていることだし。

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