シェアハウス・ロック1230

音痴について

 立呼出しの次郎さんが、初場所だかに定年退職するらしい。それはそれとして、どうもこの人は音痴らしい。
 ちょっと前に、発達障害について何回か書いた。これは、発達障害を考えることで、人間の脳がわかるようになるのではないかと、私は考えているからだ。精神病への興味も、サヴァン症候群への興味も同様。特異点を理解することで、「通常」を理解できるようになるのではないかと考えるからである。「通常」より特異点のほうがわかりやすい。それが手掛かりになるのではないかということである。
 音痴についての興味も同様である。
 よく、カラオケなどで、「私は音痴なんで…」などと言い訳をする人がいる。こういう人は思いあがっているだけであって、だいたい音痴でもなんでもない。ただ、単に歌が下手なだけである。音痴は、こういう人が考えるよりもずっと奥が深い。
 色盲の研究はそれなりに進んでいる。精神病、発達障害に関してはもっと進んでいる。だが、音痴の研究はあまり聞いたことがない。音痴で困る人はあまりいないからだろう。ただ、周りの人が困ることはある(笑)。
 さて、音痴である。
 それも、とりあえずは邦楽における音痴問題である。次郎さんも、音楽ではないかもしれないが、呼出しにもメロディはあり、あれは譜面に書ける。あれを邦楽の一種と言っても、それほど見当外れでもないだろう。
 実は、文楽の太夫さんにもお一方、音痴の人がいる。お名前は出さないが、数人で、ギリシャ悲劇のコロスにように語るところでそれが判明する。その人だけ、なんだかメロディラインがおかしい。
 ただ、浄瑠璃は謡うところもあるが、基本「語り」であるし、厳密に言えば音楽ではないような気もする。浄瑠璃語りとは言うが、浄瑠璃歌いとは言わないし。浪花節も語りだな。
 だから、浄瑠璃では、音痴でも差し支えないのかもしれない。事実、その人はずっと太夫さんをやっているし、うまくなってもいる。でも、浄瑠璃節とは言うもんなあ。「節」はメロディだろう。こうなると、私にはよくわからない。
 これで、民謡をやる人なんかに音痴がいれば、もっとわかりやすいんだけど、さすがにそれはいないようだ。
 昔々、大がひとつでは足らない大親友のタダオちゃんの子どもたちがお囃子を習い始め、下の女の子は三味線も習うことになった。教則本と三味線があったので、遊びに行ったときに貸してもらい、弾いてみたのだが、その教則本には、「三の糸は低からず、高からず合わせる」と、ヘンなことが書いてあった。これではわからないのでしばらく読み進めていくと、「ピアノで言えば『ラ』の音」と書いてあった。先に言ってくれよな。
 西洋音楽では、ハ長調の『ラ』は440Hzで、これは天地がひっくり返っても「低からず、高からず」には絶対にならない。邦楽は、音痴に寛容なのかねえ。
 そう言えば、ロナルド・マクリーンという知人は、音痴だったが、日本に琵琶を習いに来ていたっけ。彼の琵琶習得はなんとかなったのだろうか。

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