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宇和島紀行5

 最終日の午前中、宇和島城に行った。
 宇和島城は、藤堂高虎の築城になる。慶長元年(1596年)、もともと板島丸串城のあった陸繋島において、高虎は築城工事を始める。ほぼ六年を費やして、不等辺五角形の城郭は完成した。ほどなくして、幕府の密偵が潜入して目視図面を描くが、四角形に見誤ったという。この誤った図面は現存し、パンフ等々で見られる。
 慶長十九年伊達政宗の長子である秀宗が、徳川二代将軍秀忠より、宇和郡を拝領した。西国伊達の誕生である。西国伊達は九代宗徳まで連綿と続く。
 秀宗は、あっちに養子に出され、こっちに養子に出され、生々流転の人生だったが、やっと安堵の地を得たわけである。
 日本史の試験だったら、秀宗から七代目まではとばしても大丈夫。ただ、八代目の宗城(むねなり)は、出題される可能性があるので要注意。
 彼は「蘭癖」とまで呼ばれた開明的な殿様だった。このあたりのお話は数行では済まないので次回か、次々回に。
 この文章は、宇和島城に登った翌々日に書いているが、いま、両脚の筋肉痛と闘っている。確か、海抜80mのところに建っているようで、それだったらなんのことないと考えてしまったのだが、結構登りがきつい。階段が江戸時代の階段なので、一段一段の高さが異なり、とても登りにくく、よって負荷も大きい。
 それでも12時ごろには麓に降り、ホテルに預けていた荷物を回収し、宇和島駅から松山に向かう特急に乗り込んだ。次の駅を通り過ぎたあたりで、一昨日お世話になったセイケさんから、マエダ(夫)にメールが入り、内容は「いま、貴兄らの乗った列車を見送った」とのこと。見送りまでしてくれたのか! セイケさん、本当にありがとう。
 宇和島から松山へは、特急で一時間半程度。松山駅から空港は、せいぜい15分。
 空港で遅い昼飯を食い、チェックインのところでマエダ(夫)とは別れた。彼はANA、こっちはジェットスターだからだ。
 当日は、なんでも偏西風が強いとかで、到着便は40分遅れ。よって、フライトも40分遅れ。偏西風が強くて遅れたんであれば、東に向かうフライトは短時間で済みそうなものだが、飛行時間は普段通り。どうなってんだろうね。
 成田空港のビルを出た目の前に新宿行のリムジンバスが待ってたので、なにも考えずに乗り、新宿で降りた。私鉄で最寄り駅に向かい、まっすぐ帰るつもりだったのだ。
 ところが、私鉄駅構内で、マエダ(夫)とバッタリ会って、ビックリ。バッタリでビックリ。こんなことあるんだねえ。
 当然、最寄り駅で、例の立ち飲みバーで一杯やることになった。これで、なんだか画竜点睛の気分である。

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