シェアハウス・ロック(or日録)0127

ガース・ハドソンの訃報から3

 バンドの音を決めるのは、極論だが、通常ひとりかふたりである。だから、昨日まで万引き、カツアゲに血道をあげていても、血道の方向を音楽にうまく切り替えさえすれば、不良少年たちにだってなんとかなる。
 またまた、極論を展開するので、以下で述べるバンドのひとりかふたり以外のファンの方々には、あらかじめあやまっておく。
 ザ・ドアーズで音をつくっていたのは、チャック・マンザネラとジム・モリソンである。あとのふたりには悪いが、取替えが聞く。U2は、ボノとラリー・ミューレン・ジュニア(ドラム)である。この2人さえいれば、かろうじてU2の音になる。
 ザ・フーは、キース・ムーン(ドラム)とピート・タウンゼントだった。
 ザ・ビートルズは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、リンゴ・スターが揃えば、ビートルズの音になる。ジョージ・ハリソンのファンの皆さまごめんなさい。これは、純粋に音だけの話をしているのである。いまさら言っても間に合わないかもしれないが、私はジョージ・ハリソンのファンでもあるのよ。
 つまり、私が言いたいのは、4人編成で、そのなかで音をつくっているのが3人というのは、なかなかない。だから、あれだけのバンドになれたのである。
 ところが、ザ・バンドも稀有なバンドで、5人のうち誰がかけても、ザ・バンドの音らしくなくなってしまう。このへんの微妙な言い方が、今回の話のミソである。
 でも、上の極論をザ・バンドに適用すれば、ガース・ハドソンとレヴォン・ヘルム(ドラム)になる。ロビー・ロバートソン、ごめん。あのドラムは非常に特徴的だし、ガース・ハドソンの浮遊感そのものといったオルガンは、私はほかのところでは聴いたことがない。
 アマゾンプライムで『ラスト・ワルツ』を検索したところ、マーティン・スコセッシの映画とは別物が出てきたことがある。当然見たが、スコセッシのものよりドキュメンタリーっぽいつくりになっていて、そのなかでエリック・クラプトンが「ザ・バンドに入れてくれと言って、かけあいに行ったが断られた」と苦笑まじりに語るシーンがあった。
 これもよくわかる。
 クラプトンは、前回申しあげた「稠密」をやりたくなったのだろうし、ザ・バンドの側はその「稠密」が破綻するかもしれないのを嫌がったのだろう。私としては、どういうケミストリーが発生するのかを見たかった気もするのだが、断るほうの心情も理解はできる。こういう保守性はあってもいい。
『Before the Flood』は、1974年のボブ・ディランとザ・バンドのツアーの記録である。私はガース・ハドソンの訃報に接した日、一日これを聴いていた。

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