シェアハウス・ロック(or日録)0131

『うんこの世界』のついでに

 私は、生まれてからこの方、いろいろなものをつくってきた。これは、誰だってそうだろうと思う。昆虫標本をつくったし、植物標本をつくったし、鉱石ラジオをつくった。これは、小学生のころね。
 大人になってからは、音楽をつくったり、本、雑誌をつくったりした。
 でも、私がつくったもので一番役に立ったものは、便座である。長女が生まれ、おむつが取れ、トイレのしつけをしようというときに、大人用の便座にかぶせる形式の子ども用の便座をつくったのである。
 どこで調達したのかは忘れたが、合板をくりぬき、外側を切り落とし、やすりで仕上げ、目止めのとのこを塗った。また、大人用の便座に接する部分には、滑り止めのつもりで、ゴムのシートを一面に貼り付けた。仕事が忙しくなりつつある時期だったのだが、土日を二回ほどつぶし、結構楽しんで作業をやった記憶がある。
 塗ったとのこを外で乾かしているときに、同じアパートに住むサトウさんがそれを見て、「塗るのはおれがやってやる」と言って協力してくれた。サトウさんはペンキ屋さんだったのである。
 かくて、アパートの住人合作の子ども用便座は完成した。
 サトウ家には、サッチャン、アッコがいて、我が長女と仲よしだったのである。2階にはノブくんという子がいて、この子は我が長男とは5歳違いで、長男の面倒をとてもよく見てくれた。
 ノブくんが小学校3年生のころ、学校から帰ってくるのを、学齢前の我が長男が手提げにおもちゃを満載にしてぶら下げ、階段で待っている姿を思い出す。
『シェアハウス・ロック』「32.フジイタダシちゃん(23)0827」の記事は私の子ども時代の話である。ちょうど私の初代親分タダシちゃんと私の歳も5歳違いだったので、ノブくんと我が長男の姿を見て、私らもちょうどこんな感じだったんだろうなあと、なんだか懐かしい感じがした。これも、いい思い出である。
 もちろん、我が長男も、私が製作した便座のお世話になった。
 いまでは、こういった大人の便座にかぶせるタイプの子ども用便座は市販されているけどね。あの当時もあったのだろうか。
 便座で思い出すのは、ベンジョーという楽器である。バンジョーではない。ベンジョーである。考案したのは世志凡太という芸人さんで、たぶんこの人はミュージシャンあがりの芸人だったのではないか。「セシボン」太という芸名から、そう思う。
 ベンジョーは、便座にネジを取り付け、そこにギター弦を張り、調弦して鳴らすというものだった。いまの便座はおおむねプラスチック製で(当時もそうだけどね)ネジを取り付けるのは大変そうだけど、世志凡太は木製のそれを探しに探して、日本橋某所で手に入れたと言っていた。ギッたんだろうなあ。
 なかなかいい音がした。便座型の竪琴は昔々の絵画によく出てくる。あれは、「リラ」と呼んだのだったか。

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