シェアハウス・ロック1130
宇和島紀行4
翌日は、セイケさんが週一の通勤日だったため、レンタカーを借り、マエダ(夫)の運転、解説で観光。
まず、昨日未遂だった遊子水荷浦(ゆすみずがうら)の段畑というところに行った。要するに段々畑であるが、勾配が急。45度はあるんじゃないか。土留めのためにミニ城壁のように石を組んでいる。それが見事。ちょっと感動する。「こうやって、みんな生きてきたんだなあ」という感動である。石垣を補修し、補修し、長年畑をやってきたのだろう。一部、レンガで補修されているので、それがわかる。
昔は主に甘藷をつくっていたという。さつまいもを鉢などで搗き、それにジャコをまぶして食う。それを「かんころめし」と呼んだそうだ。
現在は馬鈴薯が主で、なおかつ観光農業化している。つまり、ほら、よくあるでしょう、「梨もぎツァー」とか「いちご狩りツァー」とか。ここでは「ジャガイモ掘りツァー」である。
次に行ったのが南楽園。比較的新しい庭園だというが、まずその広さにびっくり。新宿御苑3個分はある。手入れもとてもよくされている。感激したのは四阿にあった灰皿だ。
松山では、道後温泉の後に松山城にも登ったのだが、喫煙所が少ない。道後温泉、松山城にはあったのかもしれないが見当たらず、そのすぐ下の商店街にも見当たらず、私は、商店街で内装工事をやっている職人さんたちに混ぜてもらって、彼らの灰皿を使い、やっと煙草を吸ったのである。
それに対して、宇和島は喫煙者にやさしい。
南楽園の次は、天赦園。庭園ばかり行ってるな。ここにも灰皿があった。ここは大名庭園で、宇和島藩七代目藩主・伊達宗紀がつくったものだ。パンフレットには、ご本人もここに住んでいたと読める記述がある。名前は、「このくらいなら天も赦してくれるだろう」という意味らしい。いまなら天も私も許さない。まあ、当時のことだから、大目に見てあげようね。
次は、すぐ隣と言っていい市立の伊達博物館へ。
建物が小さかったのであまり期待していなかったのだが、展示は充実。特別展示期間で、『洛中洛外屏風図』を見られ、感激。これは堺市博物館からの出張展示だ。むろん私は本物を見るのは初めてである。東京の国立博物館あたりで展示したら、連日行列ができること必定である。館内には、私ら以外に2名×2組。ゆっくり見られた。
「黄金の茶室」というのも展示されていた。こっちは復元。こんなもんつくったら、秀吉クン、そらあ千利休にスカタン言われますわなあ。
夕食は、昨日に続き、割烹「有明」へ。前回言わなかったが、ここは宇和島料理の店である。地酒がたくさん置いてあり、そういう店では、ほら、よく「美少年(熊本)」なんてメニューに書いてあるじゃないの。ところが、ここでは、たとえば「吉日(〇〇町)」と、町名で書いてある。全部、愛媛県どころか、宇和島の酒だぞということなんだろう。これも感激因である。あっ、いま造語した。いや、あるのかな。あったとしても、この言葉は知らないや。
「有明」の女将さんが話し好きなのか、マエダ(夫)が上客なのか、両方なのか、いろいろ話しかけて来る。なんかの加減で、写真集を持って来てくれた。原田政章さんという方の写真集で『由良半島』『段々畑』『宇和海』の3冊。すべて、アトラス出版発行。マエダ(夫)が出発前日に貸してくれた(もっと前に貸してくれよ! 予習時間が足らなかったよ)資料の1冊もアトラス出版発行だった。松山にある、いわゆる地方出版社である。
これはいい写真集だった。人々の顔がいい。特に、段畑の子どもたちの笑顔がいい。とびっきりの笑顔であり、昭和の顔である。前述の地酒を飲み過ぎていたので、子どもたちのところで涙が出て来た。