シェアハウス・ロック1114

吉田簑助さん逝去

 文楽の人形遣いで、人間国宝の吉田簑助さんが亡くなった。91歳だった。
 我がシェアハウスのおばさんと私は、もう20年近く、東京公演ではある太夫さんが出る「部」を、必ず見に行くことにしている。その太夫さんに、チケットを斡旋していただいているのである。「部」は、通常は昼の部と夜の部になっている。
 私らは、その太夫さんの追っかけなので、毎回必ず簑助さんを見られたわけではない。それでも、20回やそこらは見ている。
 タイミングが合えば、太夫さんとおばさん、私、たまには三味線の人や人形遣いの人と、観劇したその夜一献傾けることもある。ささやかなスポンサーシップである。この何回かは、マエダ(夫妻)もこの「一献」の常連になっている。
 その席で、「簑助さんの使う人形は4人遣いになる」という楽屋話が出たことがあった。数年前の話である。通常、人形は頭と右手、左手、足の3人遣いだが、簑助さんの場合、お弟子さんが簑助さんの腰を支えるという。それだけ簑助さんが弱っているということだったのだろう。
 太夫さん、三味線、人形遣いの三業は、それぞれに重労働であるが、なかでも人形遣いは一番の重労働である。文楽の人形は、小柄な小学一、二年生くらいの大きさだ。頭、手、足(男の場合。女の人形には原則足はない)、それに衣装を加えると、20㎏近くになるのではないか。それを不自然な姿勢で遣うわけだ。
 しかも、足元もよくない。高下駄である。場面によって高さは異なるが、50cmくらいの場合もある。遣う人の体力によっては、4人遣いになるのも無理はない。
 こんなことを書き始めたのは、これを書いている日の毎日新聞の読者欄「みんなの広場」に安賀卯衣さんという方の、簑助さんを悼む投稿が掲載されていたからだ。「吉田簑助さんの芸に出合えた喜び」と題されたそれの一部を引用する。

 2階の窓から身を乗り出したお軽は本当に恋をしている娘そのものだった。私はお軽の上気した頬が酔い覚ましの風を受け、ほつれた前髪が初夏の風にそよぐのを見た気がした。それなのに、お軽が2階からはしごを下りた途端、皮膚の柔らかさが消え人形に戻ってしまった。人形遣いが交代したのだった。

 この方のご意見に、100%同意する。ちなみに、この演目は『仮名手本忠臣蔵』である。
 4人遣いの話を聞いて、ほぼ一年後に簑助さんは引退した。文楽鑑賞者としての私は、竹本住太夫さんにも吉田簑助さんにも間に合い、幸せだった。
 簑助さん、ありがとう。ご冥福をお祈りします。

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