シェアハウス・ロック(or日録)0220
まだまだ捨てたものではない
インチキ商売ネタは前回だけだと言ったが、舌の根も乾かないうちにもう一回。
私の使うコンピュータが不調になり、修理してくれるところに運び込み、翌日取りに行ったときにJRの駅頭で遭遇したことが今回のお話である。コンピュータ不調ネタは次々回あたりから数回続く。
前々回、「(町が本当におもしろかった時代があり、おもしろいことの坩堝だったが、)その坩堝は、いまはネット社会に移っているのだろう」と嘆いたが、まだまだ町も捨てたものではないというのが今回のお話である。
そのJRの駅頭には、40代くらいの人が、運び込んだ椅子に腰かけていた。彼の前には、
お金を増やす方法教えます。
と大書されたボードがあった。料金は2000円。さあ、これはどうしたものか。
2000円払えば、おそらくその方法を縷々説明した本でも渡してくれるのだろう。その本に、「私と同じことをやりなさい」と書いてあれば最高なのだが、私はその本を買わなかったので、本当のところはわからない。もしかしたら、本当に「お金を増やす方法」が書かれていたのかもしれない。買っとけばよかったかな。そう思わせるのが、こういった商売の妙味なのだ。
ものを売る人、それを買う人の立場は通常イーブンである。つまり、知恵比べみたいなところがある。イヤだったら買わなければいいし、疑わしかったらそのまま通り過ぎればよろしい。だから、そういう詐欺めいたことをする人たちを、弁護こそしないものの、そういうことはあるよなあというのが私の立場である。ああ、ここで「お金を増やす方法」の人が詐欺だと言っているわけではないよ。お間違えなきよう。
一方で、圧倒的優位に立っている連中が、その行為に対して手も足も出せない人々に対し、一方的に悪辣なことをすることは、絶対に許せない。だから政治家が資金を獲得するために行うパーティは許せないし(いやいやパー券を買わされ、参加する人もたくさんいるだろう)、ましてや、そうやって獲得した金に関して税金逃れをするというのも絶対に許せない。
個人的なことだが、四谷で10年暮らした物件の大家は、私が退去する際、敷金の大半を返さず、そのうえ原状復帰する工事(と称するもの。実際はしてない)の見積もりも、その工事に対する請求書も見せなかった。再三請求したのだが、それでも見せなかった。あまつさえ、当初は、精算書すら見せず、電話で、口頭で済まそうとした。
敷金は、大家の口座に入っているものの、そいつの金ではない。私の金である。「とりあえず返せ」と言えば、法的には返さざるを得ないのに、それもやらなかった。法律的には、こいつは立派に、業務上横領、詐欺をしていることになる。だが、再三請求するしか私には手はなく、私は絶対的な弱者であった。
あまりに腹が立ったので、少額訴訟というものを起こし(これは印紙代だけでできる)、申立書を書いた。こんなことをやったのは、生涯でこのときだけである。
これはいつか公開してやろうと思っている。申立書は公文書であるから、公開でき、当然その大家の本名、住所、そいつのやったことも書いてある。公文書であるから、相手は名誉棄損で訴えることもできない。それをするために、私は少額訴訟を起こしたようなものだ。
なんで長々とこんな個人的なことを書いたかというと、前述のように、圧倒的に優位に立っている連中が、その行為に対して手も足も出ない人々に対し悪辣なことをすることは絶対に許せないからである。たとえ私の身に起こったことであっても、原理は一緒だ。
だが、こういったことに比べると、夜店のインチキなどは可愛いもので、私にとってはユーモアすら感じさせるものである。なによりも、騙す人と騙される人の関係がイーブンであるというのがいい。