シェアハウス・ロック0912

音韻(音声)とかなの関係
 
 しばらく、オーラルとリテラルの話をしてきた。前回、前々回は我が長女に字を教えた話だったが、これもオーラルから教えたと言いたかったからである。つまり、「オーラルが先」を言いたかったのである。
 言語はまずオーラルだった。「言語」というよりも、まずは「音声」である。
 ここからは口からでまかせだが、海を初めて見て「うっ」と言ったり、雨に降られて「あー」と言ったりした。「うっ」「あー」がしばらく続き、やっとまとまったこと(「うみ」とか「あめ」とか)が言えるようになり、二分節語(「うみひろい」とか「あめふる」とか)が言えるようになり、さらにまとまったことが言えるようになった。「うっ」からここまでで、たぶん数十万年近く経っている。
 口からでまかせとは言ったが、我が長女を観察した結果から、これは言っている。「個体発生は、系統発生を繰り返す」はここでも適用できるのではないかと思う。
 このあたりのことを、「動物に言語はあるのか10717」では、「初期マルクスだったら、『無意識から疎外されたものが言語である』などと言いそうな気がする」と申しあげた。
 文字を使うようになったのは、必然ではなく、たぶん偶然がいくつか重なったのだろう。その証拠に、無文字文化というものがあちらこちらにある。日本も、無文字文化だった。7世紀、8世紀くらいまで、無文字文化である。
 まとまったことが言えるようになってから、文字を開発するのにも、たぶん数万年はかかっているだろう。
 これも初期マルクスだったら、「(もともとオーラルであった)言語から疎外されたものが文字」と言いそうな気がする。
 つまり、私が言いたいのは、オーラルがなければリテラルはない。絶対に逆ではないということだ。
 ヘンな言い方をすれば、オーラルとリテラルの関係は、歌と歌詞の関係のようなものだ。歌と歌詞よりはオーラルとリテラルは近いが、それでも脱落する情報は相当にあるだろうというところで近似できる。。
 言語における「意味」「論理」を問題にしている限りにおいては、このことはあまり(というかほとんど)問題にならないはずだが、いずれオーラルを軽視していたツケが、多大な請求書として突きつけられるような気がする。
 オーラルの復権への手掛かりは、いくつかある。
 まず、ポルトガルの宣教師たちがつくった日葡辞典がある。これには、当時の人たちの話し言葉が、少なくともかな書きよりもだいぶ精緻に記録されている。
 そこからはだいぶ時代は下るが、音源もいくつかはある。小沢昭一がプロデュースしたレコード(タイトルは忘れた)には、初代快楽亭ブラック、初代桃中軒雲右衛門、添田啞蝉坊、川上音二郎の音源が入っていた。
 明治時代も後半になれば、けっこういろんな録音が残っているはずである。
 この程度の資料があれば、かなりな程度は復元でき、さらに推測によって、いずれ屋上屋を重ねるような作業も可能なのではないか。 

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