自由席
引越しの荷出しをして、掃除して、鍵を預けて、東京から自宅のある広島に戻る新幹線の中でnotionにメモしていた内容を記録としてそのまま貼り付けます。
まだ熱量や思いが残っているときのメモ。
20年働いた会社を辞めた。正確には19年10ヶ月。妻と長男を連れて、競合他社から営業としてこの外資系企業に「勝負」しにきた。
結果、10年以上マネジメントを経験させてもらった。得難い経験だったと思っている。
営業マン時代は、スタローン演じるランボーが、ベトナムを回想したように、戦地では戦車やロケットランチャーをぶっ放して暴れまくった。お客さんと六本木で飲んで、釣りして、馬鹿なことも、教授への説明も、診察中のアポも、研究会を立ち上げることも、学会発表も、全国会議の司会も、表彰も、人事部への異動、面接、就職説明会、徹夜も、取っ組み合いも、海外視察も、コロナ禍も。
長男に続き、長女次男が生まれいつの間にか賑やかな家庭をこの会社で働きながら妻とともに天塩にかけて育てることが出来た。
思えばあっと言う間の出来事だった。
この会社に外人部隊として勝負をしにきて、サラリー以外は特に望んでもいなかったのだが、不思議と順風満帆に昇格をした。
賞賛や羨望の陰では、耐え難き誹謗中傷やら理不尽なことを言っている奴らもいるが、当時も今も意外と気にならなかった。そんなことに執着しなかったのは、自分でも意外に思う。評価は他人がするもので、自分はあまり気にしないようだ。そもそも自己肯定感が高くないからかもしれない。
1ヶ月半前にに上司に統括長を辞めると伝えた。驚いていた。
最初は家族と暮したいてのが理由だったような、次の日大学院に行くことを思い出した。嘘ではなかった。
全国マネジャー会議、ワークショップなどで全社員とまではいかないが、釈明とお礼ひたすら感謝と涙とアルコールの日々。 1ヶ月半やり切った。引き継ぎも送別会も。
そういうのがとても苦手だが。
本当にありがたい会社員時代だった。
辞めた翌日の午後、あまりに自由すぎて、電話もメールもなくなって少しビビったけど、もう大丈夫。
外に出た。心なしか自分の笑顔がよくなって、あたりの誰もが自分を警戒しないような気がする。いつもしかめっ面してたと思う。
昼間から汗だくで日高屋で天津飯とビール。
帰りの新幹線もグリーン車でも指定でもなく、自由席。
何でも楽しめる予感、自信がある。
近くのサラリーマンの声が聞こえた。「○○さん飲み会来れないんだって?」少し苛立ちの気配を感じた。
自分もそうだったんだろうなと。
なんか、どうでも良いことにこだわってた。
これから自分で稼いで生きていかないと。ペットがいきなり野生に出るみたいな感覚。
1日も早くサラリーマン根性を消し去り、野蛮と知性を取り戻す。
そのために本を読むし書くし、営業、宅建、Iotなどのテクノロジー、メタクエストとかドローンとかユンボとかなんでもチャレンジしよう。
そして何より大事にしたいのが、人としてどうあるべきか、自分との対話をする。どう生きたいのか。
転機が夏のように終わっていく。
奇しくも会社を辞めた翌日、株の大暴落、イスラエルの戦争など、世界の軸が軋み始めた。
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