正義と悪の考察

この正義と悪の概念は2つで1つ
考察を簡単にし過ぎたと反省する。
もっと厳密に言えば認知の歪みと言うのが答え。
認知の歪みと言うよりも動かない思想。
不快感と快感。それによって簡単に2分割された物。

例えば、よく漫画とかに天使と悪魔が
自問自答の場面でよく現れているのが描かれる。
堕落させようと怠惰な発言をする悪魔と
それを制する天使が描かれているが
本能的に生きている人間にとって
悪魔が正義となりうるし
本能的に生きたいと望む人にとっても
悪魔は正義に映る。
本能と理性に善も悪も本来無い。

認知の歪みと言うのは、
よく子供時代に言われた事があるだろう
「自分がされて嫌な事は人にしない」
自分が嫌だと感じるものが悪で
それを討伐する事が正義と信じて
疑わないと言う様な。
自分がされて嫌な事が人と同じな訳も無い。
仲間外れが自分は嫌いだから一人で居る子を呼ぶ
一人で居る子が1人静かに本を読みたい人の場合。
察して欲しい。

何が言いたいかと言えば、
正義と言う概念は
正しくありたい人間の妄想によって生み出され、
悪と言う概念はその副産物に過ぎない。
立場が変われば変わるもの環境で変わるもの。

ルールや法律は秩序を保つ為に存在し
それを破る=悪では無いが
秩序が乱れて困る周りの事を考え無い悪とされ
排除されるのは目に見える。

自分と周りの為に動ける事が正義だとも思わない。
動いた結果が失敗したとなった時に
その責任から逃れてしまえば全てが台無しであり
自分と周りの為であったはずの行為は
自分と周りを巻き込むだけの行為へと変わる。
動いただけで正義に酔える人間は悪だと思う。

正義と悪は使い場所を間違えた瞬間
全てが覆される。
作品での正義が感動的に描けるのは
利害の一致を上手く噛み合せる事が可能だから。
作品でのヴィランに心動かされるのは
その真っ直ぐな願望がひたむきに描かれるから。
サイコパスやソシオパスやハッカー
そう言う犯罪者傾向の作品で胸糞悪いのも
逆にスッキリするのも。
正義と悪が描かれているのかどうかと
それが自分であった場合にどうなるかと言う
憶測と予想だろう。

正義と悪は2つで1つなので
この世に善人等存在して居ないし
悪人も存在して居ない。

もし仮に悪人が悪人だとマジョリティーから
判断されたとしても
僕のようなマイノリティーはこう思う。
欲しい物が得られずに獲得する方法や
環境や方法、手段が無かった、或いは成長段階で
歪んでしまった思想によって齎された被害者だと。
ソニー・ビーンと言う一族の様なね。

善人を主張する人間も
悪人ですを主張する人間も僕は嫌い。
それは決まった思想に塗り固められた
動かない思考によって犠牲を厭わないと言う
側面を孕んでいる様にも感じるからだ。
どちらでも無いと真っ直ぐに言う僕はきっと
酷く正直であり、どちらにも付かない八方美人だと
真っ先に排除し淘汰される様な人間だ。
今までの人生でそう思うし覆される事も無かった。
サイレントマイノリティー。
多数決を決める時匿名であれば少数派の人間。
ただサイレントなので巻き込む事もしないし
自分が善人で居る事にも悪人で居る事にも
最早興味すら無い。