ペイントロード横浜

横浜生まれ横浜育ち。一般建築塗装防水業を少年頃から先代から引き続き趣味の車バイク塗装も…

ペイントロード横浜

横浜生まれ横浜育ち。一般建築塗装防水業を少年頃から先代から引き続き趣味の車バイク塗装も35年程携わっております。車やバイクのオールペンを横浜で安く施工しております。料金表HP> https://b3067f13.smartlp.site/

最近の記事

塗装屋の兵たち11

日曜日、本来なら身体を休めて寝ているが、だいたい車、バイクの塗装の仕事があるものです。 平日の建築塗装の仕事で疲れきっているが、車やバイクの塗装が好きだから 休まず予定に入れてしまいます。 車バイクの塗装している時の自分が好きでして、自己満足ですね。 この塗装の仕事に関しては自病ある私にはとても自由がきいて何回辞めてもまた仕事がすぐに出来たりなんとなく出来る仕事だから丁度いいのかもしれない。 塗装屋は誰でも出来る訳でもなく 下積みがやはり必要で、真面目な人には向かない仕事です

    • 塗装屋の兵たちNO10

      横浜に戻ってきてから Nオイリオの工場にある工場の壁塗装の仕事する為に現場へ入った。 船で大豆などを運んできて下ろして工場で油にする為に色々と潜り抜ける。 その大きな工場の温度計は上にいけばいく程高く35度近くある。 24時間動き続ける機械類などから出るほこりやカス、ネズミや見た事のない 生き物が生息している。 汚れた万年壁を白く塗装して綺麗にする。工場内は機械が動いていて機械音が凄く熱さとの闘いになりますね。 組まれた足場に乗り塗装していく訳ですが永遠の約一年の仕事に感謝し

      • その五

        その五 M保との付き合いが半年もたった頃の夜精神薬をオーバードーズして自殺を図ったと所轄の警察署から入電がありM保自宅付近に着くと警察と救急車が来ていた。部屋にある薬のカラを全部持って来てくれと救急隊に言われたので部屋に入ると荒れ果てていた中ベッド付近に薬のカラが11シートあり救急隊の元へ持っていった。本人は救急車の中でぐったりしていた。元々ポン中で癖が抜けずたまにキチガイになる。とりあえず病院へ運ばれて胃洗浄をした。自分は朝から仕事だから目を覚ましたらタクシーで本人帰らせ

        • その四

          その四 東京駅に新幹線が到着して 正直行く所が無く困っていたんだ。 横浜へ戻ればポン中生活に再びなると 感じて足は千葉県の知らない土地へ 旅だっていた。とりあえず職業安定所へ 行くと寮つきの塗装屋を探していた。 なんと一件だけヒットして これから社長が面接して会ってくれる 約束までたどり着いた。 事務所にたどり着くと汚い爺さんが 座ってペンキの下げ壺の塗膜を一人で 剥いていた。まさかと思ったが 「社長さんいらっしいますか?」と声かけると私の顔を見上げて「オレが社長だよ」と言

          その三

          その三 仕事が軌道にのり家庭も支えて月二の 当番と街宣という二足の草鞋を履いて 毎日が生き生きとしているのを感じながら日々精進していった。 正直やってること疲れるが夕方帰宅して 子供たちと一緒に風呂に入ってる時が私にとって一番良いと思う時間であった。 風呂を次から次へと出ると元嫁がバスタオルを構えて抱き抱えて拭き上げてくれて最後に私は風呂場を片付け湯を流し小窓を開けて換気して一日の仕事が終わりを迎えるのであった。 出来てる晩御飯をテーブル囲んで皆座り いただきます、お疲れ様

          その一

          つわものたち その一            菅野國彦 夏が終わり秋風に包まれて住まいの塗り替えのシーズンにもあたる心地良 い風が頬を通り過ぎる陽気が気持ち良い。外壁をローラーで転がしながら 何も考えず替え歌でも口ずさみたいところだがこの時代、現場では私語禁 止、煙草はコンビニ、昼飯もコンビニである。そんな昼のコンビニでは 知り合いの塗装屋によく生き合ったりする。「おぅ、久しぶり~、元気 か?」など生存を確かめ合ったりする。たまに足場屋さんの営業もあった り

          そのニ

          そのニ とりあえず高校へ進学出来た。 補欠なだけに少し遠慮気味ではあったが 昼は現場で塗装職人として働き夜は勉学に励む日々になっていった。 ある休日の朝先輩の車がうちの前に来た。車の爆音に気づき出ると「行く ぞ、荷物積め」と急に言われたが家を出たかった自分はせっせと生活する 荷物を積み始めた。車に乗り込みしばらく走り「これ~拉致られた」と勘 違いをしながら、どこへ行くのか行き先も告げずT区にある住宅地の一角 にベンツが止まっていた。 車から降りて扉を開ける先

          塗装屋の兵たちNo9

          茨城県から塗装のまとまった仕事がある横浜に戻ることになって 当時からネットで知り合った女性理Eが 車を買ってくれたんだ。 エブリィワゴンが納車して塗料を積むにはもったいない感じがした。 なんて優しい女性なんだと、 関心していた矢先三日後に車に突っ込んで廃車になってしまった。 申し訳なく理Eに謝るが許してくれず、 しまいには別れ話になっていったんだ。足の車が無くなり裸一貫になりながら横浜に初期費用5万円で移住することになった。 暫く辛抱しようと不便な場所だったが 我慢したな。ま

          +3

          オールペン塗装編

          +2

          塗装屋の兵たちNo8

          塗装屋のつわものたちは 歴史は古く個性溢れ過ぎた人間です。 風呂に何ヶ月も入らない人、 形のあるポン中やアル中、他様々な 遊びを備わっている集団である。 昨日出所してきた者、フルスモークの作業車の中で一時、 そんな塗装屋で自分もセンチュリーを 作業車にしていて現場になかなか駐車出来ない事もしばしばあったんだ。 赤色灯を隠しもちここぞという時、 回してしまうのであった。 持病があり会社に定着出来ない訳もありただただ前だけ見て今日まで生かされてきました。病院へ月二回の通院、 母の

          塗装屋の兵たちNo7

          この世の表社会の現場で塗装に関わる仕事を続けていると色々な事が起きることがあるんだ。 マンション野長馬でベランダ伝いに 上5階から1階まで塗装しながら 足場を降りていくというもの。 5階のベランダ内塗装が終わり4階に降りてベランダに入ろうと試みたところ 高そうな盆栽に足を引っ掛け倒して盆栽の枝を折った時、たまたま腰袋に入っていたアロンアルファでくっつけるしかないと思いたっぷりとくっつけた。 とりあえず大丈夫だろうと思っていたが 次の日朝礼の時、クレームからばれていた。 幸い身

          塗装屋の兵たちNo6

          ある夜スマホでSNSを眺めていた。 するとメーセージが飛んできた。 なんだろうと読んでみる。 なんでも東海方面に住む30過ぎの女性が明日そこ行くから用意してくれ、 そんな様な内容だった事を覚えている。自信があるのか写メを送ってきて見るとマブい女性だった。目鼻立ちはっきりしたツラに太ってもなさそうだった。 その頃彼女がいなくて丁度ええわ〜と思いながら部屋を片し始めた。 ついでにセンチュリーも夜洗車して 次の日仕事だったから夜遅くまで掃除に励んだよ。次の日待ち合わせ場所の千葉県の