CDBさんの証言とコメント/春馬さんがおしえてくれたこと
―生を記憶しよう―
1.コロナ禍での舞台あいさつ
三浦春馬の最後の舞台となった『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンドー汚れなき瞳ー』2020年3月27日の昼公演は、政府と東京都の自粛要請によって本当にとつぜんの千秋楽となった。
CDBさんは、「偶然見た観客」として主演の三浦春馬がその日、カーテンコールで語ったことばを、「彼に関する一つのメモとしてできるだけそのまま手渡して」くれた。それは彼の急逝のわずか4日後(7月22日)に文春オンラインにのった記事だ。
真っ先にのべた「子役たち」への気遣い
この舞台には、あたかもキリストのように手と足を負傷して納屋に逃げ込んだ脱獄犯の「ザ・マン(その男)」に対して、子どもたちが彼をかこんで歌う場面がある。『No Matter What』(何があろうと)わたしはあなたを信じると歌われ、とまどいながらも子どもたちの純粋さをうけいれ、こころが通い合う印象的なシーンだ。
CDBさんの証言によると観客に礼を述べた後、まっさきに小学生くらいの年代の子役たちの紹介をはじめた。
突然の公演うちきりでの無念や自らの心情を語る前に、まだ幼いかれらへのポジティブな祝福と拍手を観客にもとめた。こどもたちに暗い影を落とさないように、「おめでとう」「ありがとう」という言葉をちりばめた。
「たくさんの笑顔と無邪気さをくれて、いつも勇気づけられた、そんな毎日だったなと思います。」
Unsettled Scores(独白)
(シンシアコンサートで披露/日本語)
最後のカーテンコール
「圧倒されるほどすばらしい本編が幕を下ろしたあと、このみごとな舞台が今日で突然の打ち切り千秋楽を迎えてしまうことについて、主演の三浦春馬が何を語るのか、固唾を飲むように静まり返った。」
「この『産業』はとても血の通った仕事だと自負している」
本日は本当にありがとうございました。私ごとですが、この状況になってから、ある公演を見させていただきました。
そして僕は、ひとりの男として、俳優として、このエンターテインメントで生きさせてもらっている人間として、その演劇からもらうエネルギー、元気というものにとても胸が熱くなりました。
僕はそのときに、エンターテインメントというものは、もしかしたらこの状況におけるいちばん不必要なものかもしれない。
だけどこれから先、みんなに余裕ができて、そしていつの日か、このエンターテインメントがみなさんのきもちを少しでも軽くするようなお手伝いができたら、そういうことを信じて走っていくべきなんだとおもわされました。
「短いスピーチには彼の信念と思考が凝縮されていた」(CDB)、三浦春馬の最後のカーテンコール。
2.「彼の死ではなく、彼の生を記憶しよう」
記事の反響は大きく、掲載直後には300近いコメントがよせられている。現在でもネット上の記事とともに読むことが可能だ。
わたしがこの記事にたどり着いたのは、2か月後だった。何度もよみかえしたいと思わせてくれプリントアウトした日付は9月21日となっている。ほんとうに気持ちを救われて、それまでのわだかまりが流れていくような気がした。
その後も春馬さんにかんする記事はあまたあったが、そのスピード感と内容のインパクトで、ファンの想いの歯車とおおきくかみ合った、その時、一番ちかい形で一番欲していた人に届いた、奇跡の一文だといまでも感じている。
今回、ひとつひとつコメントをよみなおすと、当時の情景が思いうかんだ。この7月で4年となるが、よせられたそれらの想いはいまも普遍だと感じた。そして今も、わたしたちが大好きになったそのままの三浦春馬がいる。
「なぜ死んだのかではなく、彼がどう生きていたのか」
CDBさんからの引用です。
彼の死ではなく、彼の生を記憶しよう。
もしかしたらこれから先、各社の報道は彼の死の理由を探るのかもしれない。僕らの知らない「このような理由があって死んだ」という報道は、まるでラストシーンが映画の意味を決定するように、彼の人生の意味を塗り替えようとするのかもしれない。
でもそれは間違いだ。2020年7月18日に起きたことは、彼が30年生きた日々のたった1日でしかない。その死は確かに彼の人生の一部だが、それは大きなジグソーパズルの一片でしかなく、オセロゲームの終端に置かれた駒のように、人生の意味をパタパタとひっくり返して色を変えていくものではない。
死は逆算して生を定義するものではなく、生の最後の一部として片隅に置かれるべきものなのだ。
これからも「新しいファン」が三浦春馬に出会う。
多くのファンが彼との別れを悲しんでいる。でもたぶん、もっと多くのまだ見ぬファンがこれから初めて三浦春馬に出会うのだ。
だから、少しでも多くのひとが、彼の生の記憶を語り続けてくれることを望む。未来のファンたちが道に迷わないように。
30才まで生真面目に、そして懸命に生きた俳優として、三浦春馬を僕たちの社会が記憶するために。
共感しなくていい。理解してほしいから
未聞のコロナ禍がひたひたと身近にせまってくるなか、わたしも目に見えない恐怖をかんじていた。「三密」が最大のリスクで、現時点ではそれをさけるしか方法がないのだということを思った時、映画や観劇についても忌避したい思いにかられていたことをいまも憶えている。
その渦中にあった方々の想いや状況まで想いを馳せることができたか。はずかしいことだが、経済的保障を充実させてほしいとそのことだけをおもっていた。当面のことしかかんがえられなかった。
それだからなお、当事者としてひとつの舞台の主演の重責をおっていた春馬さんの心境を、記事をとおして知った時の衝撃は計り知れないものがあった。
そこには利己主義でもなく、ただ自分の生涯の生きる職業であるエンターテインメントについて、観客のまえで語った言葉の重み。そしてそれをわたしたちにシェアしてくれたCDBさんの記事だ。
もっと好きになりました
記事を受けとめたファンの声
ー人となりが鮮明にうかんできたー
CDBさんの書かれたものをとおしてコメントでは、「舞台あいさつが目に浮かぶようです」、「こころ揺さぶられる記事」。
「かれは10代のころからアーティストとして、エンターテイナーという職業の意味を探ってきた。それは気持ちよいくらいに一貫している」、「ことさら美化するわけでもなく、ありのままを書かれている記事だからこそ感銘をうけました」、「悲しくなったら、苦しくなったらまた、読み返したい」、「ことばはこのように使うべきものなんですね」。
ーファンを鼓舞してくれた/前をむかせてくれた優しさー
「あなたの『証言』によって、あたらしいファンになりました」、「生き様をつよく刻みつけてくれた」、「(訪問先の人の話から)ほんとうに裏表のない人」、「何て、人として美しい。死んでも惜しまれ愛され心を揺り動かす」、「これからさきの未来のファンのために、いまできることをやっていきたい」。
ー春馬さんの想い―
『起こってしまったことだから、それを一緒にのりこえてるんだっていう、思い出として脳裏にきざまれる、記録になるはずだから』
(NHK『世界はほしいものにあふれている』より2020年春の、春馬さんのことば)
最後に
コメント欄にあふれる言葉のなかに次のような希望がありました。
・この文章を永遠においてほしい
・たくさんの人に読んでもらえたら
わたしがこの記事にふれて、どのような方なのだろうと気になっていたある日、新聞広告の書籍の紹介でみつけた「CDB」という文字。
それは『定点観測 新型コロナウイルスとわたしたちの社会』(2020.9.25発売)の著者のおひとりでした。コロナウイルスに関連して、各分野のかたが書かれるという企画の本でした。
そして、この度『線上に架ける橋』(2022)をよませていただきました。
今回の記事が収録されていることがわかって、コメントの希望にもあったように「残る」ことにとても安堵しました。ありがとうございます。
付記
コメントを読みながら、かんじたことです。
1.圧倒的に書かれてあった「感謝」と、そして「涙」ということば
2.映像で収録され、配信されたらみたかった。産業という意味で1つの助けになったかもしれない(コメント)
3.なぜ惹かれたかに、気づきがあった
・亡くなる報道ではじめて彼の作品や内面に気づき、こころを揺さぶられているひとも多い(コメント)
・うけとりかたは100人いたら100通りだとおもうが、記事は「血の通ったもの」だとかんじた(コメント)
春馬さんも口にした「血の通った」とは、「事務的ではなく、人間らしい暖かみがある」(広辞苑)という意味だ。
三浦春馬は、人間らしい思いやりのある関係が好きだったし、つねにそういう場所をめざしていたと思うのだ。
すてきな記事についた、すてきなコメントを置きます。
「かれが子役たちを祝福したように、わたしも彼の人生という舞台の千秋楽に寄り添って、かれを祝福したい」。