インドネシア語 雑談 インドネシア語は簡単なのか、難しいのか
今回は雑談をしたいと思います。
外国語の難易度に関する意見を読んだり、耳にすることがあります。
この難易度はつまり、どの外国語はできるようになるのが、簡単だ、いや難しいという、そういう難易度です。
アラビア語は難しいですとか、その人が何語話者なのかで難易度は変わるので一概に決められない(例えば英語話者にとってのドイツ語の難易度と、日本語話者にとってのそれは異なるというやつ)ですとか、そもそも言葉を習うのは必要性や興味の問題であって、難易度について云々すること自体が不適であるという身もふたもないものまで様々な意見や考え方があります。
いま、いちいちそれらの是非には触れませんが、当然インドネシア語の難易度に関するものもあります。
その多くは、インドネシア語はやさしいというものです。
私が学生の時に、ある先生が授業の中で
「インドネシア語というのは、世界一簡単な言葉なんだ」と話しはじめ、以下のエピソードを紹介したことがあります。
なお、このエピソードは固有名詞が含まれていましたが、真偽あきらかではないので、それらをぼかして、いわゆる信用できない都市伝説として紹介します。
曰く「あるアメリカの大学教授が、『インドネシア語は4時間あればマスターできる』と言っていて、その大学では(インドネシア語は)1コマしか授業がないらしい」と。
後半の1コマしか授業がないというのは、明らかにウソだと思いますが(もしかしたら、いわゆる語学の授業ではなく、世界の言語紹介などの中のひとつなのかも知れませんが)、前半の4時間あればマスターできるというのはどうでしょうか。
もしも私が誰かに「インドネシア語は数時間でマスターできる世界一簡単な言語ですか?」と聞かれたとしたら、どう返事をするでしょうか。
おそらく、まずは目的(インドネシアに旅行するのか、仕事をするのかなど)や会話(聞く、話す)だけで済ますつもりのか、文章(読み書き)まで必要なのかを尋ね返すと思います。
といいますのは、インドネシア語は確かに難しくない(簡単だという)感覚はあります。
また、簡単だという理由として、
・代名詞や動詞、形容詞が変化しない
・時制による変化もなく、時制を表わすときは昨日や来週など具体的な時間帯をつける
あたりが挙げられることが多いです。
(例えば英語だと、I my me mineやgo went gone going、tall taller tallestと格や時制で単語が変化します)
その意味で、語彙力(知っている単語の数)勝負といえますので、4時間とはいかないとしても、わりと短期間で会話ができるようになることは可能だと思います。
しかし、これはあくまで会話(口語)の場合です。
読み書き(文語)となると、話はそう単純ではありません。
インドネシア語の単語は接頭辞や接尾辞がついて文章中での意味(品詞)が変わります。
なんなら、この接頭辞・接尾辞がつくことはインドネシア語の一大特徴ともいえます。以下に列挙しますが、形が変わっていることだけ見ていただければ充分ですので、意味はつけません。
kata がberkata 、besar がmembesar 、masuk がmemasukkan などとなります。(日常会話では接頭辞・接尾辞をつけずにkata, besar, masuk で押し通すことが可能です)
正直にいいますと、この文法特徴については「何だよ、格変化するじゃないか、嘘つき」と言いたくなりますが、どうやら英単語の変化や日本語の活用などとは違うようです。どう違うのかは文法学者にお任せしますが。
話を戻しまして、インドネシア語の文語は、この接頭辞・接尾辞がつくあたりからなかなかに難しくなってきます。
普通の人はとても数時間でマスターとはいきません。
なお、インドネシア語(というかインドネシア人)のもう一つの特徴として、略語が多いというのもあります。
小学校を意味するSD (sekolah dasar)のようにイニシャル(頭文字)をとったものはまだ略語とわかるのでいいのですが、高齢者を意味するLANSIA (lanjut usia)のようなものは、特に初学者にとっては略語と分からないので困ってしまいます。
今回はインドネシア語についての雑談をしました。
次回からは、接頭辞・接尾辞の説明をしようと思います。