昭和的実録 海外ひとり旅日記 予測不能にも程がある 18 ギリシャ編 (4
日記_020 再びの「なんか変」
1(-2)/jun 1978 やっぱりなぁ
Ancient KorintosのAporon神殿の床のモザイクタイルは、外部でありながら鮮やかな色を今に残し、秀逸であった。
一旦Korintosに戻り、(Ancient Korintosからは直通がない)いよいよあのライオン門のMykinesに向かう。
運河寄り道でチョット時間をくってしまったか。
一段と磨きの懸かったオンボロ具合のバスは、鬱蒼とした森の中の未舗装の道をガタゴトとしかし悠然と走り抜けると、見通しの良い舗装道路に出たその瞬間,この世の重力を喪ったかのように宙に舞った。
・・・ガギーーン、ザッ、ザッ、ザッ,グオ〜ン・・・・・・
脚が宙に浮いて、体が右へ捻れ、辛うじて座席前の握り棒を握りしめていた。
(やっちまったぁ!)
自分の所在が懸垂状態であることに気付き、辺りを脚で弄って座席の肘掛らしきを探し当て、脚を掛け、立つことができたのだ。
(しかし直立した頭は、明らかにガラス窓につかえている。)
(バス、横転している)
バス内が見通せるようになると、あちこちで黒マントが乱雑に重なっている。(ギリシャ正教に敬虔なお婆ちゃんたちが多数乗っていたのだ。)
座席に挟まった黒衣を引っ張り上げると、額を割ったお婆ちゃんもいた。(でも傷は浅そう)窓を開け、何人かを、窓の外に送り出したのだ。
概ねの人は外に避難できたようだ。みんな放心状態で三々五々固まって道路脇の草むらにへたり込んでいる。
(やっぱりなぁ,オンボロバスだものなぁ)
横転したバスの暗い腹を覗くと、案の定サスペンションらしきが折れていた。
男たちが集まって横転したバスを引き起こしに懸かった。斜めまで起き上がって止まった。下敷きになっているモノは無かった。
改めてバスの中に戻り自分の荷物を引っ張り出し、俺のしばらくの居場所をこの草むらと決め、携帯バックからのアルミ製の水筒水を(ゴクりっ)と飲んだ。
(これはやっぱり、事故)
多少は平静を戻しつつあるのか、あっちでもこっちでもひそひそ声が漏れる。英語を喋れそうな人は居そうに無い。
(こういうアクシデントの時は何か喋って吐き出したいものだ)
チョット村八分に遭ったような気分もして、居場所と決めた草むらに膝を抱えて、しゃがみこむことにした。(他の人々もその場から動き出す気配はなかった)
(はて、この後はどうすればイイんだ?)
(救急車が来る?警察も?実況検分|事情聴取?メディアも来て、取材|インタビュー?それギリシャ語?取り敢えずの宿泊提供場所に移動?そう言えば腹も空いたし・・・一層のこと、トンズラ?)
いやあ、有りっ丈の?にどうするか、思考停止のままだ・・・。
しばらくすると救援のバスか?徐ろに止まると、人々はザワザワと動き始め,別に特別のことでも無いかのようにそのバスに乗り込み始めた。
(そうなんだ、兎に角一旦現場を離れて何処かで事情聴取ってことね)
自分も乗り込むことにした。(誰も促すような指示はしてくれない)
半時間ほど走ると,どこか目的地に着いたようだ。
救急車や警察が待機しているのかと予測したものだが、辺りにそんな物々しさなどカケラも無く、バスを降りた人たちは、唯三々五々、いつも通りの街に散って行こうとしているのか。
ほんの先程まで、額に血を滴らせていた老婆、脚を引きずっていた黒衣の人たちが、特別の事情を持ち合わせている風もなく、いつものように何事もなかったかのように消えて行く。
(今乗って来たバスは、次のバスが通り掛り、乗り継いだだけだったのか!)
(なんか、変!)
俺の取り越し苦労か、あっけらかんとした薄ら笑いが鼻を鳴らした。
制帽の男に聞けば「ここはMykinesだ」。
(なんだ、終点に着いてるんじゃん!)
2/ 3/4 jun ホームシック?
どうも時間リズムがシックリこない。
昨日のアクシデントの後、Ancient Mykinesまで4kmも歩かされ、Agamemnonの墓に着いたら既に薄暗く、城塞も閉まるところで、入ること叶わず。
今、目の前のライオンゲートに来てみれば、獅子の・・顔がない!
(シュリーマン!獅子の顔、何処へ持ち出したんだっ!)
裏面も(恐らく同じレリーフ彫刻だったか)ゲッソリ削り取られていた。
巨石で造られた威厳のある美しい城塞ゲートも形無しである。
たった一軒の休み処に戻ってみると、1時間前に焼かれていた二匹のLambs(Lion繋がり?)が、既に押し寄せる欧米人ツアーによって平らげられていた。(阿な、恐しや)
Argos経由でNafplionへ。
Athens以前「近代ギリシャ最初の首都」だったらしく、小さいが美しい街並。
険しい丘の上の城から見下ろす街と対峙するように建つもう一つの城と、トルコでのKiz Karesiを彷彿とさせる海に浮かぶ城の眺めは、実にファンタスティックだ。
しかしこの城にたどり着くまでの階段のすさまじく急なこと。
きっと子供にせがまれてのことだろうこの家族以外に、登って来るような物好きはそういないだろう。(父親が苦笑いして,挨拶)
息も耐え耐えに、バスでErmioniの港を目指すもHydraへの船は既に無く、一泊することに。
翌日”Flying Dolfin”という水中翼船で。
Hydraは1000DRX紙幣のデザインにもなっているが、期待程でもなく、若者に人気の観光島の空気が性に合わない気分。
宿もかなり高いので思案をしていたら、Katerigi(Melina&Jules夫妻のhelper)の経営するペンションを紹介してくれていたことを思い出し、渡りに船を得たとばかりに(親父ギャグではない)、再びのPorosへ。
しかし土曜日故か、満室。それでもKaterigiの名を出したら、外にベットを設えて泊めてくれた。
もう一つ驚いたのはこんな処で日本人の女の子に逢ったことだ。New Hampshireの大学で今はバケーションとのこと。19才で”Ayumi”と言っていたが、日本語が喋れると大はしゃぎのその勢いで、男3人女2人でDISCOに繰り出し、一夜を徹して踊り明かしたのだ。
踊り疲れて大の字にぶっ倒れたベット(このベットはペンションの庭の木陰にちょこなんと置いてくれたベットなのだ)は満天の星シャワーの中だ。
(星ってこんなにあるんだぁ)
恥ずかしい程の稚拙な形容しか許さない程、本当に宇宙は夥しい星に埋め尽くされているのだ。
Hanedaでお互い(?)何言うこともせずにゲートを超えて来てしまったという思いが蘇って,この星シャワーが心に刺さって、辛い。