昭和的実録 海外ひとり旅日記 予測不能にも程がある 20 ギリシャ編 (6
日記_022 エーゲ海クルーズの楽しみ方
11/ jun 1978 クルーズ快調
島から島へのフェリー便はルートが限られているので、いつもPiraeusからの仕切り直しとなる。
行き先やら時間やらを合わせるのは至難の技、今回もMikonosのつもりでNaxos|Thira行きのフェリーに乗ってしまったようだ。
しかしお蔭で、そのフェリーの途中下船の選択肢のSyrosを選ぶことができて大正解、穏やかで美しい島だ。
(Athenにも引き返さず、そのままの足でPiraeusからUターン乗り換えしたおかげで、Syrosに巡り会えた)
かなりの傾斜にへばりつくAno Syros(anoは上を意味するようで、Syros山の手って感じか)の家並みを統べるように教会の鐘楼が厳かで、背景の風車も妙に涼やかだ。
500段以上の階段を一気に天辺へ。
古い家並みのクネクネした迷路が続く。
汗がドッと吹き出る。
頂の教会が一旦の目標なのだが、見え隠れすれど一向に着く気配がない。
突然、狭い道がひび割れそうに大きな鐘が打たれた。午後5時。
鐘の音が道を開くように、目前に教会が現れた。
汗がキーンと引き締まる。
日本に船乗りで滞在したと云う、そのカリヨンの主に声をかけられ、話し込んだお蔭で街へのバスに乗り遅れ、Ermopolisに一泊。
質素な夕食をとり、ギリシャ流に外に三脚椅子を持ち出し、足を投げ出し、広場を見渡してみる。
黄昏につれ、ゾロゾロと村人が集まって、忽ち広場は一杯になった。
知り合いと横一線で二人三人と今日1日を語り合っているよう、乳母車に子を乗せた人も、行きつ戻りつ何をするでもなく唯、黙々と広場を往復している。
これがギリシャ時代からの人々の連綿とした変わらぬ光景なのだろうと、俺は勝手に熱くなっている。
(日本とは根本的に違う、日常での広場=パブリックの在り方|使い方に、思わず、こころが動いたのだ)
12 / 13 / 14/ jun もう一つのMikonos
噂のMikonos。
確かに純白の家々、粉を挽く風車、教会と勢揃いの風態で、既にシーズンに向け、壁の塗り替えも真新しい。
家並みのコーナーはアールが施され、そのまま通路のステップになだれ込んでいるのが、Syrosの丘に重なるマッチ箱状の家々の連なりより、流麗な印象で、見栄えも遥かにモダンである。
2・3の写真を撮り、思いあぐねていると案の定、”Paradis Beach”と言う処があることを教える者がいた。
(俺は余程、このMikonosには似合わないと見えたのか)
言われた通り、バスで島の丁度裏側に回り込み、砂浜で漁船のようなボートに乗り換えると、先ほどのフェリーの港とは比較にならない鮮明度の高い、砂浜のある小さな入江に到着した。
しかしここで驚かされた。
全く聞かされていなかったのだが、砂浜に寛いでいる人々の多くは、全裸であった。
目を疑った、後悔の念が翳めたが、もう遅い、振り返ると先程のボートは既に岬を回って消えかかろうとしている、簡単には帰れないのだ。
教えてくれた彼奴の、悪戯っぽい笑みが浮かんだ。
(実害はなかったのだから・・・)
この入江の外れに唯一のレストランがある。
どうやらこのレストランが執り仕切っているプライベートビーチの体裁で、50DRXの先払いをすれば宿泊代とビーチ使用料込みということらしい。
湾曲する砂浜の後ろは2m近くの茅が生い茂っていて、レストランの脇を抜けると簡易に作られた茅葺き屋根に隠すように、ロッカー・洗面所・トイレ・シャワーがずらーっと並んでいる。
貴重品はここへとロッカーの鍵を渡され、再び茅の通路を行くと視界が開けてきた。
30m直径程のまるーい空地になっていて、全面、藁が敷き詰められていた。他には仕切りも壁も何もない。
周囲はチューブ状に藁が一段とうず高く盛られ、(はは〜ん、これはベットになるんだな)とすぐ理解することができた。
(ひょっとして、ここはキャンピングサイト?ヌーディストの?)
不公平な空
ドカっと太陽に温まった藁の匂いの中に、全身を大の字にして放り込めば、一気に宵闇が迫って来る。
経験済みとは言え、Ydra、Mataraとは比べものにならない外寝の開放感の中で、東京とは違う空なんじゃないの、と思える生の光のプラネタリウムは圧倒的で、不公平に過ぎる。
だって、星の数無尽蔵(東京だと良く見える時でも数十個?:無尽蔵=勝負にならない)、その輝き度、何等星よりふた回り程明るい、よって夜空の中天ドームが押し寄せるように接近して大迫力、流れ星引っ切り無し、容易に虚空に没入できる故、妄想回路全開可能、孤独〜虚無の夜を満喫できること請け合い・・・などなどバカな不公平比較を許せるなら、数え上げれば切りがない。
Get Cool !
大半の人は波打ち際で日光浴・談笑・読書、うつ伏せの全裸で・・・。
こっちは助平根性旺盛なのだが、老いも若きも、これほどあっけらかんと衒いなくされると、こちらの度量の狭さが浮き立って、木っ端恥ずかしい。
(やってやろうじゃないか!ソリャっ)と水着を脱いだは良かったが、その水着、摘み上げたまま、果てさてどこに置くのか、保管するのか。
(これはダメ、冷静を保てない!)
咄嗟に、水着を摘んだまま波打ち際まで何食わぬ顔で但し足早に、そして海にダイブ。
(水泳部だった経験を、こんなところで魅せようとは・・・)
そのまま沖合に出て(こんなリゾートで、泳ぎ自慢する輩なんて一人もいない)、海岸線からは遥か外れの岩場まで泳ぎきり、必死に握り込んでいた(握りこぶし状態でクロールはキツイ)水着を着けたのだ。
(間抜けだよな、一人で来てる奴なんて誰もいないじゃん)
それでも昨晩の満天星の感動と孤独の夜を迎えるため
・・・もう一泊と、決め込む。
ヤーメタッ
オチャラケモード過ぎたかなと思っていたら、隣の島Delosへのボートを見つけたので寄ってみる。
現在は1軒のホテル以外は人の住まない小さな無人島だが、都市国家時代は同盟の中心地で、アポロン神殿に始まり、床の精巧なモザイクなどに当時の財の面影を残すまだまだ発見のありそうな島で、泊まってもと思ったのだが、些か高かったので断念し、MikonosにUターン。
ここからだとIos〜Naxos〜Thira(Santorini)のルートは確保されているのだが、島巡りもいささかマンネリ化(Delosでぼんやりと充電すべきだったか)して来たようだし、とにかくピリヒリと暑いっ!
Piraeusに帰る〜ゥ(?)Thiraも、ヤ〜メタっ。
コラム_37 自然としつらいの拮抗の仕方
ギリシャの代名詞、白い家々の理由は、強烈な光による陰影のコントラストを和らげるためらしい。
一瞬、白は目に痛いように感じるが、反射率の高い”白”によって、光が分散・乱反射して陰影を薄める効果が大きいのだと云う。
加えてMikonosの家の入隅・出隅にはアールが施され、道との入隅、階段のステップも全てアールに、純白に塗り固めていることもこの陰影を和らげる効果を助け、結果人々に、流麗でやさしくメルヘンな印象をもたらしているのだろう。
とかく観光に偏りがちな視点も、元を正せば自然との拮抗への知恵の結果ということになる。
そんな陰影の濃淡と風の揺らぎの合わさった地点が、今日の自分の三脚のあり場所なのである。
三脚に身を任せ、広場を茫洋と眺めれば、今日一日の疲れもわだかまりも石畳に沁みていくようだ。
広場が、とかく神事や非日常の行事に厳かに使われがちな日本と違って、人々の連綿と変わらぬ日常を刻んでくれ、噛みしめる場こそ人々の広場なのだとAno Syrosの広場が教えてくれる。
”こころが熱くなる”理由はどうやらこの辺にあるらしい。