昭和的実録 海外ひとり旅日記 予測不能にも程がある トルコ編 05
日記_007 Haşmetという男
1/apr 1978
今日は特段予定もなし、天気良し土曜日だし、月も変わって休日か。
朝カンフー好きの親父がやっているレストランで、チャイ5杯をご馳走になり、昼まで駄弁る。
(トルコ語ができる訳もなく、ただ彼が一方的にカンフーらしきことを喋っていられるのが、嬉しいらしい。自分はそれに乗っているだけ、俺もトルコ流井戸端会議が身に付いてきたか)
(夕食にも立ち寄ったら食事ロハにしてくれた。決して計算しているわけではない)
ベヤジット広場に行って、手紙を書く。
陽がイイと蝶々のように人も寄ってくるのか、今度は金髪、口髭の風貌の若者で自分と同年代程度だろうか。イズミールではカンフーの先生で有名だという。
(自分で言うか、胡散臭い奴)(ほらほらドルを貯めている、とやっぱりお金の話さ、聞いてみれば沖縄でカンフーを修行してまた沖縄に行くためにはお金が必要だと)(だよね!)
(とにかくトルコ国内はカンフーブームであることは確か。カンフーって、日本発祥?)
(俺も言えた義理ではないが、ここでまた騙されるようなことがあればこの先どうなる・・・そうでないことを祈ろう)
2/apr
朝突然、彼(ハシュメットと言う)がカグラヤンホテルに押し掛けてきた。
(例のトルコ語意味有り名からいくと、Haşmet =威厳 陛下[Majesty]
→→→「ヤメてくれ〜」)
昨日は彼のホテルに来いと散々勧めておきながら、今度はしばらくここに泊まると言い始めた。(身勝手な奴、一日でおさらばと思ったのだが、俺のこと、カネ蔓と踏んだのか)
彼の拘束から逃げるように乗り込んだのは先日のカドゥキョイ行きの連絡船だった。所在無く波止場に着くとドルムシュに”MALTEPE”とあった。トルコに来てから自分の吸っている煙草の銘柄だ。
何もなさそうなマルテペの町で結婚式に鉢合わせた。
太鼓とラッパに合わせて三人の男が踊っている。割け入るように花飾りした車が走り抜けていく・・目出度さとはチョッピリ裏腹の哀愁と気だるい沈黙を残しながら。
朝ホテルでハシュメットに無理強い指圧された効果が今頃現れたのか、何だかフワーとした穏やかな心地が湧き上がってきた。
コラム_09 トイレの話
トルコのトイレは汚い。
と言うより水浸しの感じが馴染めないのだ。
水洗口のある器具は最近のものなので、このホテルのトイレは当然自分処理となる。
またドアには鍵がないのが正式らしい。
因って便器のレイアウトも扉側に向かう方が前だ。
全面タイル張りの床に薄く凹んだ陶器の便器が嵌め込まれている。同じく陶器製の足型に木製のサンダルに履き替えて跨ぐようにしゃがむので、油断は禁物である。
とても数cmの穴に命中させる自信はないものだが、実際はかなりの確率をもって命中する。(幾何学の伝統が感じられ、感慨に打たれる)
用を足すと、缶カラに水を溜め、流す。
また紙は使わないような気がする。(即ち指で・・・。あくまで推測)
因みに紙を使用する場合、ティッシュペーパーはキオスクのような売店で売っているが、メンソールのものとそうでないものがあり、売店で必ず聞かれるのでしっかり確認しよう。曖昧なまま購入して、大変なことになった経験あり。
また排水も完備されていないことが多く、洗面台も詰まっているのをよく見かける。
時には小便器の配管がしていなくて、ホッと息を抜いた瞬間、靴を濡らしていることに気が付くことも少なくない。
それでも公衆トイレなどでは500ks(クルス)〜1TL取る。
3~5/apr 憂鬱な日々- 1
領事館通いがしばらく続く。
予測された裁判所召集の日が近づいてはくるのだが、一向に連絡の気配もないのだ。
領事が言うには、状況はかなり逼迫していると言う。
(お互いの楽観がこのザマか)
「裁判は7月のようだ。」
(何を云ってるんだ)と喚いたところで、今日明日に覆るような話ではないのは自明の理。
全く憂鬱な日々が続く、走馬灯のように・・・。
領事館には問題を持ったいろいろな日本人がやって来る。
所持金50万円持っているというのにホームレスのような身なりの人、
「日本の新聞をくれ」とがなり散らす病人など、など・・・。
領事館の人もどう思っているのか、諦めているのか・・・
全く意味不明・・・。
6~8/apr 憂鬱な日々- 2
全ての街はカセット売りの騒々しいトルコ流行歌で侵略されているのに、時にうって変わってブズーキ(弦は6本)の愛おしい音色が聞けるのも、この街。
またホテル周辺でよく出くわすのだが、どういう訳かモザイクタイル画の何処からか剥がしてきたような石パネルが、無造作に路地脇に立て掛けてあったりする。明らかに持ち主がいる感じはない。
しゃがみ込んではしばらく撫で回して見たりする。指先に遥か謂れもないデジャブな感触を感じたりする。
通りかかる人々はというと気にする様子もない。
(これっ、美術館ものだろっ! とても動かなそうだけど、今度トルコに来るときは絶対回収して、商売しよっ!)
イスタンブールは、意外にも偶然が織りなす屋外芸術の街なのである。
ホテルでは相変わらずオカイ爺さんのアラビア幾何学講座が絶好調。(バックグランドは必ず「樫の木モック」の主題歌♫。因みにトルコでは「ピノキオ」のタイトルで放映されていた。)
ハシュメットがIzmirに明日帰る(ホッ!)と言う、「Izmirに来た時には寄れ、友だちだから」
(嗚呼、鬱陶しい!誰に対しても「shilly guy」というのが彼の口癖なのだが、お前がshillyだろう!)
今日はPierre Loti cafeに行く。イスタンでは有名な店らしい。
バクラバがあったので勇んで食べたが、あの自転車オジさんのバクラバには値しない。(毎夕ホテルへの帰り道の楽しみとなっているのだ)
店で先日領事館であった日本人に出くわした。何とハシュメットを知っていた。
(アイツ、日本人と見たら誰にでも食い付いてくるのか)
日本語をカタコト喋るポリスと言っていたジプシー風の顔立ちの女の子
に明日また逢おうと誘われたが、止めた。
もう何処でもいい、兎に角ここから脱出したい思いが圧倒していたのだ。
(嗚呼、もうイスタンブールを抜け出したい!
これ以上の長居はここの印象を悪くするばかりだ)
明日は裁判所も休みだし。
ハシュメットがやっと帰って行った。一息。
天気もイマイチ、映画でも観るか。
一本は香港のカンフーもの、実に他愛がない。
もう一本は途中から入ったので仏映画とは知らずに、おっとトランティニアンに似てるなあ(トルコ映画も仲々だなあ)、あれっこっちはロミーシュナイダーみたいと思いながら後でクレジットを観てたら、本人たちであった。
共に吹き替え(勿論トルコ語)で内容は流石に解らなかったが、サッカーニュースでは観客が手を叩き大歓声だったのには、思わず池袋の文芸座地下の熱を思い出したものだ。
映画館の恋人同志に触発された訳でもないが、グランバザールで450TLで見掛けたイヤリングをこの店で150TLで売っていたので思わず購入。
例の盗まれた(正しくは届かなかった?)と同じスイスアーミーナイフも見つけ、(よし、200)で交渉と意気込んだのだが、この店主、実に頑固、250TLより値を下げなかった。
何だか清々しい気持ちがする。