昭和的実録 海外ひとり旅日記 予測不能にも程がある 16 ギリシャ編 (2
日記_018 アテネ、変?
21/may 1978 バルコニーのあるホテル
翌日朝、誰かの時計がなくなったと一悶着。どうも空気が違う。
早々と宿は替えよう。
すぐに背の高いバルコニーの扉が、思いっきり放たれたビルを見つけた。
ベットマットを干している気配でホテルだなと中りがついた。
”John’s place”と言った。
相部屋使用なのだが今は空いているから、とその2階のバルコニーのある部屋を案内してくれた。
天井高は優に5mはあって、先程見たバルコニー全面の扉から神々しい光が差し込んでいた。
180DRXと少し高いかなと思ったが、決めた。
22 / 23 may John’s placeという処
John’s placeホテルの1ブロック手前に煉瓦造りのビザンチン様式の教会があった。
由緒ある教会なのかは良く解らないが、小さく可愛いらしい教会で、どう言うわけか道路のど真ん中に、道を左右に分けるように位置していた。
(行政の区画ミスかなぁ)
この辺り愛嬌の無いビル群の狭間を行き来しなければならない訪問者にとっては大いなる目安になっていて、Athens中歩き廻って(あれっ、どの道だっけ)と心細くなってこの教会のある道を見つけると、(やっぱりこの道でよかったんだぁ)と、本当にホットするのだ。
後で知ることになるのだが、この辺りは市の中心地でもあり、アクロポリスの丘へは散策程度で行ける絶好の場でもあったのだ。
そのアクロポリスは、本当にathensの中心に位置し、岩盤の丘の上のそれは二千数百年もの時を全て睥睨しているかのように、何処からでも仰ぎ見ることができる。
“Revive the Golden age of Αθήνα ”(甦れ、アテネ黄金の時よ)
(自前で言うか、”甦れ”? 何か不都合でもあって失ってしまったモノでもあるのか?)
今夜、このアクロポリスを一望できるPhilopappou Hillの”Sounds & Lights”(現地ツアーイベント)で絶叫するこのアナウンスの意味とやらを確かめようと登り詰めてきたのだ。
イベントが始まるや、暗闇に柔らかな昼光色の光に照らし出されたアクロポリスは、過去に国立上野博物館で見たあの”ミロのビーナス”の、大理石でありながらヒトの汗ばみを感じさせてくれたあの光を想い起こさせ、思わず息を飲むかのような圧巻の時間をもたらしてくれた。
余韻のまま、ホテルに帰りバルコニーに出てタバコを燻らしながら、前のビルの舗道に張り出したタベルナ(食堂)も今日の営業を無事に終わろうとしているのだろう、卓席が三々五々に一つ二つと片付けられていくのを、ボーと眺めている。
(あぁ 黄昏ている)
昨日の朝「そろそろ客が増えるから、その時は相部屋になる。今日からは、150DRXでイイ。」
(John’s placeの親爺、粋だねェ)
今晩のシメかな、毎晩このタベルナに来る流しのオッさんが、最後残された卓席に脚を掛けながら、得意の喉を聴かせている・・・。
・・・しばらくアテネに長居しそう・・・。
コラム_26 道のど真ん中の教会
John’s placeの近くのあの正教会のあまりに不思議な空間は現実だったのか、はたまた俺の思い違いではなかったのかということで、調べてみることにした。(2023.12.)
在りましたョ、
Holy Church of Hagia Dynamis アギア ディナミ (聖なる力) 教会・・ビザンチン様式のギリシャ正教会の教会。
1830年になってオスマントルコの支配からようやく逃れ共和制となり、新たなスタートをきるため、また道路拡幅のため、教会周囲の建物が取り壊された。
(年数の空白がかなりあるが、この資料によると、この間は書かれていない)
1950年になって教育宗教省を建設するに当たり、教会の土地を取得しようとしたが正教会はそれを拒否、結果上空に市庁舎を建てる(何かの嫌がらせ?)こととなり、地上2層分程の空間を開けた構造柱の狭間に教会をすっぽり治めること、となったとか。
自分が見たときは市庁舎すらも無く(撤去されていた?)、左右に狭い道を抱えた大きながらんとした敷地の奥の方に、仕上げもしていない建物壁面の隣地に(隣のオーナーは敷地境界ぴったりにビルが建つと思っていたんじゃないか)へばり付くように、チンマリと教会は佇んでいたように思う。
聖母マリアを崇めており、現在も妊婦が安産を祈りに行く教会として地元では愛されているらしい。
そう、日本で言えば街の路地にあるお稲荷様のようなモノ?
恰も自分が地元に住んでいるかのような行き帰り途中の気分で、何かとても愛おしい空間に思えた記憶が、今でも鮮明に残っている。
コラム_27 建築物というより彫刻
この周辺の丘々はAcropolisに限らず、巨大な石灰岩の岩盤で形成されているように見える。
時にはツルツル滑りそうな岩がむき出しになっているところは、明らかに大理石だろう。
そんないくつかの丘の最大がAcropolisで、そこを中心としてアテネの街は放射状に拡がっている。
別の丘から眺めてみると、逆に放射状の街が、Acropolisの丘を捧げ持ち、押し上げているようでもある。
丘を散策していると、またあることにも気付く。
丘陵にへばり付く劇場のひな段席は、当たり前に石を立ち上げて造り上げられているように思うが、実はそうではなく、階段状に削り出されているのである、すべて大理石製である岩盤の丘丸ごとから。
当然、神殿には崇めるための祭壇を、アゴラには議論のための議場を、劇場には舞台と観覧席を収容すべく建築物を計画・設計し建ち上げる訳だが、どうも現代のわれわれのその計画のためのモチベーションとは大きなズレがあって、本来岩盤が持っている姿・機能・ポテンシャルをそのまま現出させていくかのような行為、場合によっては岩盤の中に秘匿されていたご神体をも世に送り出そうとする、そんな行為から発想されているようにも思えてくるのである。
恰もフランク・ロイド・ライト(米:建築家)が「落水荘」で、滝・岩・自然を邸の中に取り込むことで自然と一体となることを試みた、逆の発想を感じることができる。
だからこの行為は築き上げるというより、正に(ココロまでをも削り出そうとする)彫刻の行為に近いのかも知れない。
ポリス国家の人々のココロに特別な場所、聖なる領域が形成される必然がここにあるように思える。
24/ 25 may 安かった授業料
やっと見つけ出したルートで、スニオン岬へ。
アテネ市内からのツアーだと350DRX、路線バスで行けば往復109DRX(おんぼろバスだけど)。
ホメロスの”ワイン色の海”、エーゲ海の名の由来となるエゲウスの身投げの岬など、いろいろなところで登場するスニオン岬は逃すわけにいかないだろう。
わざわざ日没に合わせての出発であった。
しかしツアー客の多さを差し引いたにしても、想像以下の神殿(Acroporisのパルテノン神殿でさえも未だ復興当初の様で、前がかりのファッサードエンタシスが立ち上がっただけの姿で、足元に崩れた大理石の巨大な塊を見るばかりであった。全貌を堪能できるのはまだまだ先のようだ)と岬のミスマッチの散漫さは拭いようも無く、ポセイドンのヒト臭い野卑さも感じることかなわず、意気消沈の夕映えであった。
今日は雑用を済ませよう。
ランドリー(アテネは都会です)を済ませ、日本の友人の結婚祝いの電報を送ろうと郵便局に飛び込んだら、「電話」を勧められたので、いざ国際電話!(初めての経験にテンション上がったか)
終わってチェック、820DRX!
勧めてくれた金額と大分違う。140DRX/min.ではなく140DRX/point points=minutes×1.2だと今更の説明。
(分の1.2倍がポイントだなんて聞いてない!しかも7分も話してない!)
余りに腹が立ったので(職員への腹いせに?)、思わず他の友人に追加でcollect call!(国際電話初めてじゃ、ないっ!?)
電話を受けた相手だって恐らく国際電話のcollect callなど経験がないだろうから、てんやわんやの風、ギリシャー日本間で何をやっているのか。
(ハタ迷惑な話)
無鉄砲も時には効果ありか気分も晴れて、午後は国立考古学博物館、どういう理由か今日は入場無料、でも1日あっても観きれる量ではない。
ミケーネ〜アルカイック〜黄金期〜ヘレニズム〜と、時代など解らなくても必ずや教科書でおなじみのスタチュー・レリーフにお目にかかれて、俺の脚の行方もあっちにこっちにサーフィン状態だ。
そんな夥しい神々の正系の展示から逃れるように、ミュージアムの片隅に息苦しそうにしている2体の”ミノタウロス”を見た。
ピカソのゲルニカでは現代の巨悪の象徴であるかのような牛頭人身のミノタウロスではあるのだが、神々や親たちの身勝手さが分かって心を乱すのか、はたまたその奇形の所以なのか、思うようにならないもどかしさに歪んだようなこの表情は、何を語ろうとしているのか。
コラム_28 ミノタウロスの嘆き-1
確かにギリシャは”神々に祝福された国”なのかも知れない。
海の青さと島々の多様性を有し、ギリシャ人自らがフィロソフィーを、民主制を、そして神話を創造し、その神々からの賜物をも糧として現代を活きているからである。
正系の神々の系譜があるとするなら、傍系の奇形のモンスターたちもここアテネの考古学博物館では豊富に観ることができる。
中で特異なのはこのミノタウロス。
十二神と冥界王との違(たが)いから、牛頭人身の奇形を生来背負い、荒くれ者を強いられることとなるミノタウロスが、半神半人の英雄(テーセウス)に殺される。
(その際の逸話がダイダロスの迷宮であり、アリアドネーの糸である)
この神話に教訓は不要だろうが、このミノタウロスのトルソーは何かを語ろうとしているのは明らかだ。
博物館を出ると、まだまだ陽は高く、暑い。
Syntagma広場辺りで(喉を潤そうと)店探しなどしようものなら、必ずツーリスト・ゴロ(何と言えば良いのか分からない)がにじり寄ってくる。
一人目はやり過ごしたが(ミュージアムでも相当歩き回って疲れてもいたので、まぁイイか)、二人目に付いていくことにした。(怖いもの見たさもあるし・・・)
Barであれば入り口はオープンで明るいものだが、狭い扉を開けた中は昼だというのに薄暗い。
ハイカウンターを勧められ座ると、男はタバコを巻き始めた。
grassだとすぐ分かった。
入った瞬間から店内は異様な匂いが充満していることに既に気付いていた。
とにかく喉は渇いていたので差し出されたgrassをすかすように、カウンター越しにcolaをオーダーした。
(ここは踏ん張りどころ、どうでるか)
男も悟ったか、一瞬の沈黙を打ち消す様に、grassを自分の唇に運び、深い煙を吐き出したのだ。
(俺は息をのむ)
男が、店の外のSyntagmaの観光客の多いこと、を語り始めた。
俺は黙って頷くと、男は暗い中空を見据えながら、”過去・現在のギリシャ”を嘆き語ろうとしている。
(えぇ、もうハマってるのか。grassで重い世界には行かないはずだけど。
やってないけど、ひょっとしたら俺を同類と認めたのかも・・・)
結局、男が一方的にかなりの時間語る内に、
考古学博物館で出逢ったばかりのミノタウロスのあの表情とこの男の語りが、俺の頭の中でダブり、重なり、合点となり、一連の講義のように収斂していく、それでも授業料は僅か250DRX(cola付)だった。
(あの男 カッコ良かったなぁ)
コラム_29 ミノタウロスの嘆き-2
”確かにギリシャ人はその歴史が示す様に賢い人種であった。・・・だが今、歴史の堆積の中でその使い方を忘れてしまった・・・。”
(アテネにゴマンといるツーリストゴロのコメント。
それ程、傷は深いのか。)
”神々から授かった大地を、後世の人々は観光に明け渡し、その恩恵で生き始めようとした瞬間、大地も遺跡も文化も加速度的に風化し始めた。
それを自分のもてる力で跳ね返す反発力に利さなくなる時、歴史は止まる。死出の旅だけが残る・・・。”
(これが一杯250DRXのコーラを売る(ぼったくり)Barで、土地のアテネ人が吐露してくれたコメントであった)
(明らかにgrassの匂いを漂わせながらではあったけど・・・)
奇形を終生負わねばならなかったケンタウロスの苦渋の表情と、一大文明を持ったはずのギリシャ人、現代の死火山と化すかも知れない国ギリシャ、という二重苦を思い描かざるを得ない哀しみと嘆きの表情が、俺の中で俄かに一致し始めている。