昭和的実録 海外ひとり旅日記 予測不能にも程がある トルコ編 14
日記_016 そろそろ、見納めか
8/may 1978
昨晩はIlfanの叔父の家に泊めてもらった。
これが一般のトルコの家かと思わせる、床から腰壁まで全てカラフルな絨毯やラグで巻き込んだ部屋は、小さいがとても居心地の良い部屋であった。
Ilfanと市内散策をして、バスの別れも遅くなってしまった。
Ereğli経由のZonguldakまでの道のりは、僅か60kmなのに2.5hも掛かる程、険しい。
山並みが複雑に絡み合い、海側は断崖絶壁で殆ど海を見ることもできない。
トルコのオトビュスは大半がベンツの最新型なのだが、この急カーブ・急勾配に翻弄されることのないオンボロバスの方が適任ということなのだろう。
突然車窓が変わった。Zonguldakの勇姿が現れたからだ。
今まで見ることがなかったクレーンや巨大な煙突を持ったコンビナートの光の怪物たちが(俺たちがトルコの産業を背負っているのだ)と誇示するように。
エイャッと飛び込んだホテルは遅い到着もあって、既に満室。
「廊下の簡易ベットでよければ」。
(寝るだけだから、寝ちまえば同じ・・・)
9/ 10/may 何事もないこと
約束のパスポート返還日もそろそろ秒読み態勢か。
領事館に電話を入れると「音沙汰無し」と。
(オィオィ、ちゃんとに仕事してくれてるのか?)
いずれにせよトルコ旅も終焉に向かっていよう、エピローグのための地になるのか、聞き込んだ地Amasraへ。
ニューと突き出た半島の先っちょに、ヨーヨーをギュッと握り出したような地が膨れ出ていて、しかもそのヨーヨーのくびれた根元が橋となり、kaleとなって街を囲んでいる。
緑の樹々も多く、オレンジ瓦とマッチして印象深い、本当にかわいらしい街だ。
ライトグリーンの海に鋭利な角度で突き刺さった積層の千畳敷の上の一枚岩に、上半身裸になって寝転んだ。
脇に買い込んだ1kgのオレンジとパン、これさえあれば終日ここで時間を過ごすことができる。
(一と月後なら確実に泳いでいただろう)
忘れた頃に視界に漁船が顔を出す。
あとは何ごともない、繰り返す波以外・・・。
11/may 白のエピローグ
約束(パスポート返還予想日)の1週間目、重い腰をあげるか。
イスタンに戻る直通バスに乗るためBartınにドルムシュで向かう。
久し振りのドルムシュに気持ちが浮き立ってきた。
(満員になれば発車するその臨場感が堪らないのだ)
澄んだ空気を切り裂いて、新緑の樹々に送られるようにドルムシュは進んで行く。
春嵐のような風も出てきたようだ。
(んんっ!雪っ!ではない!)
ふわふわの綿アメのようなものが降り注いできて、その横殴りの風が強くなると視界が一瞬にして真っ白に変わった。
ゾクゾクっとして、咄嗟に車掌に降りる意思表示をしていた。
(確かもう街は見えていたような気がした、ここからなら歩いても大した距離ではない!)
ドルムシュの外は、ブルーの空に猛烈な勢いで白い吹き流しを一面ぶん撒いたよう。
あっという間に道の両サイドも白の吹き溜まりに様変わりしている。
手に取るとふわふわの本当に綿のようで、コブシ大以上の大きさが両手から撥ね溢れて逃げていく。
何だろう、これ、(「風花」は雪だし)このファンタジーの源は・・・。
(よしっ!)
風上に向かって歩き出していた、街とは正反対の方向に・・・。
風に気圧されそうに前のめりになりながらも、この不思議な光景の正体を見納めようとしている(見納め、何の?)。
滔々と流れる川に沿ったこのポプラ並木(ゴッホは糸杉か)道のパースペクティブに真っ直ぐなこと、(誰かにこの正体を聞こうと思えど、この風じゃ)30分程格闘するも人っ子一人出食わさない、目指すべき正体の源は、白一色に掃き消され、遥か遠くの視界は未だ朧である・・・。
クタクタに歩き疲れた足を、オトビュスの狭い座席の間に目一杯伸ばし、それでも俺は落胆していない。
(見極められなかったからこそ、挑戦する甲斐があるというものだ)
(いよいよトルコも・・見納めかな・・)
イスタンブールには8時間後、夜半を廻った頃には着くだろう。
足もココロも、ジーンとして・・心・地・よ・い・z ・z ・・・
12/ 13/ 14/may やっぱり、雨
イスタンブールは、やっぱり、雨。
朝の1時か。ホテルの鍵を開けてもらい、そのまま寝る。
午後、領事館に行く。何処かに電話をしている風。
「3日後のようだ」
(パスポート?・・・俺は何も驚かないゾ。いつも通りだから)
ホテルに帰って、Okay爺さんにそろそろの別れを告げたら、(感傷を感じたのか)サッカーに連れていってくれた。
Galatasaray 3 vs 0の勝、天気はいいのだが、何だか気も虚ろ、意識もボヤけている。
(サッカーオンチ故だけではなさそうな)
15/may パスポートと別れと
午前中、裁判所に行ってパスポート受領。
領事には鄭重に御礼しようとするのだが、気持ちが上滑りして儀礼としてしか表現できないままの別れとなった(感謝一杯です)。
列車は夕刻の出発のため、いつものロカンタであのローストチキンの食べ納めをしてSirkeci駅に行くと、Okay爺さんが見送りにきてくれていた。
(そう言えばこれだけ近くのホテルに滞在していたにも関わらず、この駅構内に入ったことも、その存在すらも意識したことはなかった。トルコでは列車は隅に追いやられている)
しかし列車の別れというのは映画だけのものではなかった。
(あぁ「男と女」 ダバダバダ ダッダ ダバダバダ・・・)
寒々とした構内で、目頭を濡らしキスをする家族らしきを隣にして、Okay爺さんとの別れにどう接すればいいのか、些かギクシャクしてしまう。
そして確かにタラップに乗り出して(あのOrient expressではない)手を振れば、列車はホームをお構いもなく滑り出していったのである。
トルコ 充分楽しんだ 好きだよ〜
ありがとう〜
イスタンブールを離れると、列車はスピードアップする。
呆気なく過ぎ去ってしまったようにも思える日々を、これでもかという位
変わらぬ景色の続く車窓にもたれながら、なぞっている内に眠りについていたようだ。
コラム_23 トルコ滞在集計報告
bus走行距離 4,663 km
train走行距離 263.5 km
ferry走行距離 36.5 km
総走行距離 4,963 km
bus移動時間 58 h
交通費 1,710 TL
宿泊費 3,122 TL
滞在日数 57 days
日記に克明に記されていた数字です。
せっかくだから集計してみます。
総走行距離5,000km弱、トルコ全土のほんの1/3程度を齧ったというところでしょうか。
世界はとんでも無くビックなのでしょう。(当たり前!)
bus走行距離も時間で割ってみれば、
出ました、約80.4km/hです。これ市内バスやら乗合バス含めた時速ですからね。(怖いです)
交通|宿泊の滞在費は概ね4,800TLで、当時のレート換算するのは簡単で、0(ゼロ)を加えれば良く48,000円となり、概ね2ヶ月なので、833円/日(ホテル代の二重払いも含む)、あとは食費3食|煙草|嗜好品他で1日45TL位でしょうか。(旅の訪問1カ国目ですから、多少贅沢したかも)
いやぁ 充分過ぎるほどトルコを楽しみました。
この程度のデータからしてみても、これだけの体験を可能にする「旅」って、やっぱりスゴい。
16/may ギリシャ やばッ
駅に一時停車。早朝6時20分。
他の客も寝起きのためか、プラットホームにあるカウンターにわーっと飛び込んで、çaiをすする。
俺も追いかけるように遅れて入ると、人々は早々に今度は駅の構内の方に移動していく。
降りる人かなと思うと、皆、切符売り場のようなガラス越しに並んで、小さな開口窓にぐいっと手帳を差し出しているのだ。
そうここは、国境の駅なのである。
(戻ってきたパスポートって、やっぱり役に立つんだぁ)
列車がゆっくりと走り出して、座席にドタッと座った瞬間、
ギョッとした。
流れていく駅標にこう書かれていた。
「Π ί θ ι ο ν」
(ええぇ〜っ 読めないじゃん!)
(ギリシャ語!やばっ!)