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中学受験 サピックス5年生 平城京・平安京 (2)

今回は、サピックス5年生の歴史第三回になります。
写真は桓武天皇をまつった平安神宮です。

桓武天皇の時代
奈良時代の八世紀後半になると皇族、貴族の争いおこったり、寺院の僧侶が政治に口出しをしたりしました。そこで桓武天皇は東大寺などの寺院を奈良に残したまま794年に都を現在の京都市にうつしました。人々が平安であることを祈って平安京と名付け、以後およそ1100年間にわたって都でした。また、鎌倉幕府成立までのおよそ400年を平安時代と言います。
 桓武天皇の政治は律令制度の建て直しを図るものでした。一部の地方では防人や衛士などの兵役をとりやめ負担を軽くしました。また都から地方に赴任する国司を厳しく監督をしました。当時、東北には言葉も習俗も異なる蝦夷(エミシ)と呼ばれる人たちの住む地方でした。朝廷は今の宮城県に多賀城を築き支配を進めていました。桓武天皇に征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂は胆沢(現奥州市一帯)で蝦夷の長であったアテルイを降伏させ、この地に柵(キ)を建て北へと支配地域を広げていきました。
 平城京の寺は新都に移るのを禁じられましたが、最澄空海は天皇に保護されました。二人は804年ににわたり帰国後新しい仏教を興しました。空海は真言宗をおこし和歌山県の高野山に金剛峰寺を建てました。最澄は天台宗を伝え比叡山延暦寺を建てました。これらの宗教は密教と言われ、病気回復や平安を繁栄などの現世利益をもたらすとして都の貴族にも受け入れられました。


一緒に覚えておく人物・同時期の人物としてまとめておくのがポイント。
奈良時代:
聖武天皇、行基、鑑真、  +阿倍仲麻呂、山上憶良、吉備真備。

平安時代初期:
桓武天皇、坂上田村麻呂、最澄、空海


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