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大切な場所と「これから」

私にとって大切な場所であるミャンマーでクーデターが起こって、2週間ほどが経つ。ここ1週間、実は日常生活も滞るくらい気がかりだった。傍目には普通に生活しているように見えるだろうが、家のことも、やりたいと思っていることも、やらなきゃと思っていることも何も手につかなかった。朝起きるのも辛いし、ゴミ出しすら出来ない。うっすらと疲れているのを感じながら自分に向き合った時、日々目に入るSNS投稿に心が揺さぶられていることに気が付いた。

どんなに気をもんでも、私一人の力では何も変えることは出来ない。ただ静観していることも難しい。ではどうすればいいのか。私に何が出来るだろう。一つだけ言えることは、私が行きたい、暮らしたいと思っているミャンマーの姿が、今は変わってしまっているということ。穏やかで強く優しいミャンマーの人たちが対立し、争っている今、外部の人間が新たに入り込む余地がなくなってしまったということだった。ただでさえコロナ禍で、元々人の行き来は制限されていた。行きたいと願えば願うほど、再訪できる可能性が低くなっていることに、落ち込んでいた。

私が初めてミャンマーを訪問したのは2003年だった。当時はまだ軍事政権下で、日本人の旅行者も少なかった。内閣府の国際交流プログラムで、派遣団の団員としての訪問だった。21日間、その当時周遊できたミャンマー国内の様々な地域を訪ねた。現地での色々な経験を通して感じたのは、123もの民族が暮らすこの国を動かすためには、軍事政権という手段を使うしか、あの当時はコントロールが難しかったのではないか、ということだった。軍事政権を肯定するつもりはないが、ミャンマーという国として立つためには、他に手段がなかったのではないかと思ったのである。

時が過ぎ、民主化を経て、再訪が叶ったのは2017年のことだった。車を持っている人は限られていて、道を走るのもボロボロの中古車だったのが、今やヤンゴンは大渋滞、高級ホテルやブランド品の溢れるデパートが立ち並び、まさに経済成長真っただ中という雰囲気に驚かされた。自由に経済活動が出来る、やりたいことを自由に出来る、そんな喜びを感じる空気がある一方で、お金で買えないミャンマーの素晴らしさが、グローバル資本主義の大波にさらわれ、失われてしまうのではないかという一抹の不安を覚えた。日本語を学び、豊かな日本に憧れ、日本で働きたいと話すミャンマー人にもたくさん出会った。しかし、日本の背中を追いかけることで、ミャンマーの人たちは本当に幸せになれるのだろうか。信仰をなくし、生きづらさを感じて、年間何万人も自ら命を絶つ人がいるこの国。自分のことも他人のことも気に掛ける余裕がなくなってしまっているこの国は、ミャンマーより豊かだと言えるのだろうか。日本を好きだと言ってくれるミャンマーの人たちと話しながら、いつも「この人達にずっと日本のファンになってもらうためには、私たち日本の方が、彼らのあり方から思い出させてもらわなくてはならない」と思っていた。

何度も繰り返すが、私は軍事政権を肯定はしない。軍事政権が実権を握ってしまえば、国際社会は経済制裁を始める。それはすなわち、グローバル資本主義とつながりをある程度持ってきた民衆にとっての困窮につながっていく。情報が遮断されたりして、再び自由が奪われそうになっているが、完全に国際社会とのつながりを断つことなど出来ない。コロナ禍で人の行き来は制限されているが、このグローバル社会において、ウイルスと同様、目に見えない情報を完全にシャットアウトすることは不可能なのだ。軍事政権が実権を握ることは、今のミャンマーにとっては「百害あって一利なし」なのである。だからこそ、人々は声を上げている。かつての民主化運動の時代より、はるかに冷静に、賢く、穏やかに。

しかし、私が大切だと思っているのは、民主主義やグローバル化の先にあるミャンマーの姿だ。本当の意味でミャンマーが豊かさを取り戻し、人々が幸せに生きるために大切なことは、既存の政治体制やイデオロギーに囚われない、ミャンマー独自の理想を語りあうことで、本当に必要なのは互いに対話できる「場」なのだと私は思う。これは日本においても同じだ。どんな社会に生きていたいかに、政治体制もイデオロギーも関係ない。一人ひとりの違いを尊重し、お互いに描く理想の中に共通点を見出せる場ができ、広がっていけば、点は線に、線は面に、一人ひとりの思いは「総意」となっていく。

一人ひとりの力は小さいが、集まって「総意」になれば、大きなうねりとなる。まずは近しい立場の人たちの声を聞くことから始めたい。そしていつか、ミャンマーの人たちの願う「これから」に耳を傾けたい。どんな世界に生きていきたいか、互いに心を開いて聞きあえば、目指す世界に共通するイメージに気付けると思う。気学でやりたいことも、ミャンマーでやりたいことも、全て私にとっては同じこと。つまるところは、私がどんな社会に生きていたいか、であり、共感してくれる仲間と共に学びあい、生きていくことが、一番の喜びなのである。

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