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和歌を現代の言葉にすると

女性と付き合うには
センスある和歌を詠むのが条件
現代のラブレターみたいなもの

だから
LINEよりも手紙はうれしい

1000年前に生きた人が
1000年後に読んでもらえるために
作るわけない

現代語訳にすると
時を超えて大切にされた理由が
初めてわかる

誰もが聞いたことある
和歌5つ


①君が代の原点

「君が代は 千代に八千代に
 さざれ石の 巌となりて
 苔のむすまで」
(古今集/読み人不明)

現代和訳
この土地の守り神さまへ。
私たちの小さな命が、この魂が
どうかどうか、この先、この地で、
何百、何千、何万年と、
ともにあれますように。
いまはこの小さな石が、
大岩となって
苔をまとうようになるその時まで。
それは、小さな私たちの祈り。


言わずと知れた
「君が代」のもととなった歌。 

「さざれ石」は「小石」
「巌」とは「大きな岩」
永遠にも近い長い時間をともに
ありたいと、祈りをこめている

子孫繁栄、平和を願う
それくらい平和はずっと来ない



続いて
②百人一首といえば

「ちはやぶる
 神代もきかず 龍田川
 からくれなゐに 水くくるとは
(古今集・百人一首17番/
 在原業平)


現代語訳
紅葉に染まり、
流れる水が、紅色に見える。
いまだかつて、
神々も経験したことがない景色。
真っ赤な水が、流れているのだ。
そんな時代を、生きたのだ」


映画「ちはやぶる」や
映画名探偵コナン「から紅の恋歌」
でおなじみ

ちはやぶるは「荒々しい」転じて「神」にかかる言葉として使われる

「水くくる」は水面を布に見立てて
おり、「水を染める」という意味

恋人とこんな景色を見たかった
ロマンチックな演出は
人ではなく自然が作るもの

一生に一度の景色を
脳に焼きつけて後世に残したい




③風情はここから始まった

「ひさかたの
 光のどけき 春の日に
 静心なく 花の散るらむ」
(古今集・百人一首33番/紀友則)


現代語訳
これ以上ない
穏やかな春の日差しの中でも
花は気忙しく、激しく散っていく。
散りゆくものは、
どうしたって止められないんだね。
こんなにのどかな光があるのに。


のどかな春の日の光と
花が散っていく様子を対比
日本人の美意識、はかなさの原点

満開のさくらも
散りゆく桜もはかない

紀友則は
古今和歌集の選者・紀貫之のいとこ紀貫之以上の歌人と言われていた




④神業「いろは歌」

「色は匂へど 散りぬるを
 我が世誰ぞ 常ならむ
 有為の奥山 今日越えて
 浅き夢見じ 酔ひもせず」

現代語訳
花の香りが
たちまち消えるように、人は死ぬ。
そのうち、あっけなく。
いっときの焦燥にかられて
勝敗を競う。命をつかう。

そういう世界は、
もう充分楽しんだ。
もう次に行くよ。
その先で待ってるよ。


いつかは死ぬ
事故や病気で明日死ぬこともある

死は避けられない
受け入れるしかない

そして
五十音をかぶることなく並べ、
深い意味を持たせています。
まさに神業。

意味はもちろん
文字並べの美しさも考えたい



⑤悲劇の物語の幕開け

「祇園精舎の鐘の声、
 諸行無常の響きあり。
 沙羅双樹の花の色、
 盛者必衰の理をあらはす
 おごれる者久しからず。
 ただ春の夜の夢のごとし。
 たけき人もつひにはほろびぬ
 偏に風の前の塵に同じ」
(平家物語)


現代語訳
春にはあたらしい命が芽吹くように、私たちはたまに、
何かの夢にとりつかれる。
何も見えなくなってしまうほどに。

でも、
どんな花も、いつかは枯れる。
肉体も、夢も、消えるときがくる。
宇宙からすれば、
人生は「一瞬の風」 

ヒトの考えた成功や失敗に
意味なんてないんだよ。
だからこそさ、自由なんだ。
どう生きるのかは、
自分で選ぶんだ。


有名な悲劇の物語である
「平家物語」の冒頭部分

当時はどうにもならなかった
彼らの分も「自由に生きなさい」
と言われているような。

「祇園精舎」は古代インドで
釈迦のためにつくられたお寺
「沙羅双樹」は釈迦が悟りを開いて亡くなったときにそばにあった樹
淡い黄色の小さな花を咲かせます。

いつの時代も
他人や社会に巻きこまれるもの

令和時代も
どう生きるかは自分次第



シンプルに
1000年もの間
共感され続けた和歌

どんなベストセラー本よりも
SNSバズった意見よりも

チャットGPTに聞いて
現代語訳するのが
1番納得感あるのでは?


いつの世も
悩む理由は一緒

人生がイヤになったら
先人偉人に
聞いてみよう

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ジョーカー 3年毎日更新
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