間違いだらけの「どもり」

フジテレビ、ぽかぽかで「どもり」が不適切発言と番組内で謝罪。

炎上を避けるために
「どもり=言ってはいけない言葉」
という方向に動きがち。

でも、
それだと 「どもり=触れちゃいけないもの」 になってしまい
逆に本人が話しづらくなる。

SNSでどもり治す方法調べて
テクニックでどもり隠そうとして
うまくいかなくなる負のスパイラル


・テレビの対応が逆効果になる理由

1.問題は「言葉の使い方」になる
→ 「どもりは言っちゃダメ」となると本当の話しづらさという課題が
置き去りになる

2.どもる本人も「どもっちゃダメ」と思いこむ
→「どもる=悪い」のように扱われると余計に話すのが怖くなる

3. 周りが過剰に気を使って話す機会が減る
→「この人にどう接すればいいんだろう?」と周りが迷って会話が減る

・言葉狩りにどうする?

「どもりをなくすこと」が
ゴールじゃない,

どもっても話しやすい環境を作る
→本当はテレビで
「どもりってこんなもの」
「どもっても楽しく話せる」
視点を伝えるべき。

でも、
SNSの言葉狩りでテレビは
「誤解を生むリスク」を恐れて
根本解決に踏みこめない。


だから
どもり受け入れられる
コンセプトの番組作って
リアルな経験を持つ人が会話や
発信するのが一番いいのでは?


それなのに2023年
水ダウで笑いとったどもりの芸人
インたけを日本吃音協会が

「どもりながら話すのを
バカにするように受け取られかねない」と抗議した。

これって結局、
「どもり=笑ってはいけないもの」
という扱いを強めてしまう。


・この流れの問題点

1.「どもり=ネガティブなもの」
と固定される
→ 笑いにできる=受け入れている
証拠 なのに
「どもり受け入れた芸人がネタにするのはダメ」となると
番組も世間も対応しづらくなる


2. 「どもる」を隠す方向に進む
→ どもる人が「どもりを隠さないといけない」と感じるようになる

3. どもりの話題自体がタブー化する
→ 「じゃあ、どもりの話題は扱わないほうがいいね」 となり
ますます議論が進まない


どもる本人が
「これも個性だよ」
と前向きに発信しているなら
問題ないはず。


「どもりを笑いにするのがダメ」
ではなく
「どう扱うか」が大事。

どもる本人がどう思っているか?
を優先するべきなのは
外野の抗議や議論では
根本解決より解釈に注意いくから。


やっぱり
「どもりを隠さずに会話を楽しめる環境づくり」にフォーカスすべき


・根本解決

受け入れる閑居で
「どもる現象」と「笑われた解釈」を切り離すのは、めちゃくちゃ大事

どもった → 笑われた = 「話すこと=笑われる」 という解釈が強化されると
話すこと自体が怖くなる

でも、
本来の事実は 「話した」 という現象があっただけ。

こう考えてみては?
1. 話した → どもった(現象)
2. 相手が笑った(相手の反応)
3. 「バカにされた」と解釈するか
「楽しくなって笑った」かは
自分次第

ここで
「どもったけど話せた自分を評価」
できれば次につながる。

どもりタブー化ではなく
肯定されやすい環境作りが
周りの支援では?

どもりは「結果」じゃなくて
「会話の一部」 として扱う。


そして
「たとえ、どもりがなくなっても
会話が楽しくなるとは限らない」
ことを知る

「人と仲良くなる力」 がないと
スムーズに話せても会話が楽しくない。実際にどもりでなくても
ストレスの9割が対人関係の現代


むしろ
どもっても、
話してて楽しい人 になれば
どもりは問題じゃなくなる

相手との関係性が深まるほど
どもりの影響は小さくなる
どもりの症状に意識向かなくなる


だから
「どもらないようにする」よりも
外に出て対人関係増やして
「どうすれば会話が楽しくなるか?」にエネルギー使う方がいい


・結論
どもるかどうかより
「話したいと思えるか」が大事

「どもらないこと」を目標にすると
失敗するたび、ひどく落ちこむ


インタスレディングたけしさん
応援してます。

インたけみたいに
どもるわたしも

症状のどもりよりも
「話したいと思えてるか?」
を評価にしたい

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