『インハンド』最終回・前編 自然と人類のバランス
ついに、インハンド の最終回となりました。かなりのボリュームになりそうなので、2回に分けてお送りしたいと思います。今回はあらすじと全体を振り返りながら、後編では、最終回のポイントをじっくりと取り上げたいと思います。
あらすじ(ネタバレ有り)
5年前にタイのある村を襲った、米軍によって開発された新型エボラが、高家の地元でもあり、BSL4施設建設予定の栃木県相羽村で感染が発見され、政府によって、封鎖されてしまった。この新型エボラの感染源は、紐倉の上司だった福山の息子、新太による独自の研究によって漏れてしまったことから始まってしまった。
高家の友人棚橋は、行方不明になっていた新太の研究に協力していた。エボラの惨状を見た福山は、咳き込んで血を吐いてしまう。エボラかと思いきや、末期の肺がんだった。
新型エボラは、インフルエンザ並みの感染力を持ち、感染すると5日で亡くなる凶悪なウイルスだった。封鎖1ヶ月後には町長も亡くなってしまう。そんな中、感染の疑いがある者には、5日分の食料と薬のセルフキットを用意し、生き延びれば感染拡大を防げるという案を出す紐倉。その対象にもなったのが、高家の友人の棚橋だった。セルフキットを用意したのは、棚橋の子供を宿した美園だった。五日後、棚橋はあっけなく亡くなってしまう。人は、エボラという悪意の前に、為す術なく死んでいった。どんなに愛していようが、大切だろうが。死者はどんどん増えていってしまう。その中にあって、母親の漬物が奇跡だと紐倉が言っていたことが、この非常時にありがたみを感じる高家だった。
新型エボラの感染源が、フューチャージーンが所持していた新型エボラだということが発覚し、この事態の引き金になった厚労省の役人は、安全な場所でかき氷を食べながら、マッドサイエンティストの福山が独自にエボラを開発し、ウイルスをばらまいたというシナリオで事を進めていた。厚労省のスパイをしていた御子柴(藤森)は、その姿を見てSM室に着き、厚労省のトップ二人を告発したのだった。
入院していた福山は、死の淵にありながら悔やんでいた。この村を救うにはどうしたらいいか。抗ウイルスを開発してウイルスを倒すしかないと紐倉は考えていたが、福山は他に方法はあるんじゃないか?と可能性を提示する。しかしその顔に生気はなく、紐倉に新太への伝言を残す。
「もっとお前を、知ろうとすればよかった。科学者である前に、一人の人間として向き合えばよかった。せっかく、親子だったのに。」
「紐倉、未来を頼んだぞ」と、紐倉に未来を託すも、「容疑者」扱いのまま、福山は亡くなってしまう。
紐倉は、抗ウイルス剤を開発するのではなく、凶悪なウイルスであっても生物であり、隣人として仲良くする為に「生ワクチン」の開発に取り掛かる。弱毒化したウイルスを発見できれば、生ワクチンを作ることができる。エボラを倒すのではなく、共存できる道を選択したのだった。
山の中にも、動物が感染していないかを調査する紐倉は、新太が潜んでいる可能性を感じ、おびき寄せて確保した。そこで、驚愕の事実を知ることとなる。共に研究し亡くなったジョブズ柏木が、「この村を実験台にする」と、感染した猿を山に放っていたのだった。「科学者は、未来の為に行動すべきだ」と。高家は、「そんなのただのテロ行為だ」と切り捨てるが、「エボラが広まったら何十万人が死ぬ。人間の過ちを正すのは人間しかない。」と語る新太に、高家は「お前に人間を語る資格はない」と激怒し、「お前は、この村で亡くなった230人の人生を何一つ知らない。人一人が死ぬことを想像もしなかったのか!?」と摑みかかる。
新太は紐倉に、「あなたならわかってくれますよね。あなたも言ってたじゃないですか!?未来を見ろって。たった千人の犠牲で、何百万の命を救えるんだ。科学者として、何も間違っていない!」
「間違ってる。大間違いだ。今日が無事に終わらなければ、明日はこない。100年後っていうのは、掛け替えのない毎日の積み重ねによってやってくるんだ。目の前の命を犠牲にする奴に、未来は救えない。」
紐倉は、福山の伝言を新太に伝える。新太は脱力し涙する。そして、警察に捕まった。
封鎖から9ヶ月。未だにワクチンは完成しない。そんな中、気晴らしにでもタイムカプセルを掘り起こす。紐倉は「普通だな。全く興味がない」と言いながら、高家や美園の手紙を覗き見る。20年前、誰も予想できなかった事態になっていたが、20年後に向けて、もう一度手紙を書こうと、村人たちは手紙をタイムカプセルに入れる。その時、臨月を迎えていた美園が破水する。しかし、助産時はいない。村を出すという特例も認められない。御子柴が、遠隔指示できる産科医を探須賀、高家は危険だと反対する。しかし、高家以外にできる人はいない。牧野も、紐倉と同じくらい、すごい人間なんだと説得する。紐倉も助手をすると言い出し、高家は覚悟を決める。
手術は無事成功し子供は生まれ、産声をあげる。湧き上がる村人たちと牧野たち。多くの命が呆気なく失われる中で誕生した、希望の命だった。
封鎖299日目、紐倉は感染者が増えていないことに気付く。高家を呼び出すが、高家は倒れてしまう。不運にも、エボラに感染してしまっていた。高家から電話があり、その事実を知り、「どうしてお前がそこにいる?」と隔離された場所にいる高家の姿に信じられない様子の紐倉。牧野もその事実を知り、高家が感染して5日、相羽村に駆けつける。研究を続けていた紐倉に牧野は、「高家君に会ってないんだって?」と言うが、「僕は忙しい」と冷たく返す。「現実から逃げないで。今できることは、研究じゃない。ちゃんとお別れ言うべきじゃない?あなたの助手でしょ?」
紐倉と牧野は高家に会いに行く。「ワクチンが間に合わなくて、すまない。」そう謝ると、「お前の助手で、楽しかったぁ。20年後に、高家春馬は、今の倍の給料で、紐倉哲の助手でいるだろうって、叶わなかったぁ」と言い、手を出す。紐倉はその手を握らず、「僕は、虫と同じくらい、人間が好きになった。お前が僕を変えた。僕はもっと人間のことが知りたい。お前に聞きたいことが沢山ある。だから、これからもずっと僕のそばにいてくれ。」そう言い手を握ろうとすると、高家の手はだらりと落ちた。牧野は外に出て声を出して泣き、紐倉は、
「20年後も天才的に研究をしているだろう。優秀な助手と共に」
と、出さなかった20年後への手紙を握り投げ捨てる。改めて手を握ると、高家には脈がまだあった。感染したウイルスは、弱毒化したウイルスで、入谷が弱毒化させたウイルスデータと酷似していた。高家は助かる。その理由は、エボラを抑え込む何かがあった。それは、母親の野菜にあった。「衛生仮説」と言う、昔ながらの人糞を肥料にする野菜作りによって寄生虫がいたのだ。
「この村を、日本を救うよ」と、高家が感染した弱毒ウイルスと、実家の野菜にいる寄生虫を調べ、生ワクチンの開発に成功し、相羽村封鎖から約一年後、ついに封鎖は解除される。村を離れていた家族たちが帰ってきた。
高家は紐倉にお礼を言うと、
「自然の力は、人智を超えている。君を助けたのは僕じゃない。小さな虫たちだ。だからこれか一生、虫を敬って生きろ」
と答える。封鎖が解けてすぐ紐倉は「さ、帰るぞ」と、感傷に浸る間も無く嫌がる高家に、「僕は忙しいんだ!お前はクビだ!」と言うが、牧野と紐倉、高家は手を合わせ、労をねぎらった。
今回のことで、牧野は外務省に見事復帰する。高家は国境なき医師団参加が決まり、アジアに行くことになる。紐倉は内閣総理大臣憲章を断るのと引き換えに、念願のパスポートを手に入れた。
アジアの小さな村に旅立った高家。現地の子供たちと遊んでいると、紐倉が現れる。フィールドワークと称し、高家に助手をさせる。離れても、高家は紐倉の助手だった。
感動の最終回
ついに最終回を迎えてしまいました。毎回見応えがあり、重みのあるテーマでした。「ドラマのTBS」と言われるだけあり、人それぞれ好みはありますが、個人的にはTBSのドラマは強いという印象です。今期はフジとテレ朝はゼロでした。日テレも「あなたの番です」くらいですかね。
話を戻しますが、人間を、人の目から見るのではなく、寄生虫や生物という視点で捉えた他にはないドラマで、生きていることは当たり前ではない、人間にできることは限られている、ということを突きつけられた作品ではないかと思います。
各回を通じて、様々な病気やウイルス、ドーピング問題などを描き、最終回では日本にはあるはずがない「エボラ」が登場しましたが、気候変動や温暖化により、日本も今までと環境が変わってきました。亜熱帯化してきて、夏に猛暑である35℃は当たり前。ゲリラ豪雨による洪水も多く、沖縄ではバナナが作られたり、伊豆では熱帯魚が見られたりと、確実にここ十数年で変化しています。必ずしも、エボラに限らず、日本にはないはずの病気が発症しないとは言い切れません。
変化していくことが、生き延びること
ドラマの最後にも、「自然は人智を超えている」と述べられましたが、人間が住まうこの地球は、人の手でどうこうできるものではありません。そもそもあらゆる生物は、生かされています。そのことを忘れ、傲慢に生きるからこそ、ウイルスや寄生虫は自らの危険を察知し、人間を襲うのではないかと思います。それは地球環境にも同じで、森林伐採、水質汚濁などにより、公害を生み出して改善はされてきましたが、もっと身近な問題として、マイクロプラスチックやペットボトルなどの問題もあります。今や、ペットボトルを「悪魔の発明」と呼ぶ人もいるほどです。
食事などでも栄養よりも見た目や味を重視することで、化学物質が使われています。Youtubeで、コンビニで販売している食品の闇についての動画を見てから、コンビニ弁当はもちろん、おにぎりやパンなど、必要最小限にしか買わないようになりました。
これらは、人工的に起こした変化と言えます。便利な世の中になり、便利なものが増えました。しかし、「便利」だからこそ、その裏に潜む悪魔もいるものです。
人類が絶滅せずに生き続けているのは、環境の変化に対応してきているからだと言えます。自然に対して変化していかなければ、生き延びることはできず、人間にとって都合のいい変化では、その先に待ち受けるのはバランスを取り戻す為の自然の猛威なのかもしれません。
自然の摂理を知った上で、バランスよく生きる
『インハンド 』第7話では、「救世主兄弟」というものが取り上げられ、「デザイナーズベイビー」などの存在を取り上げましたが虫を愛し自然の摂理を重んじる紐倉は、救世主兄弟の存在を認めませんでした。それは、倫理的、人道的な問題はもちろんですが、何より「不自然」だからです。我が子を救う為に、他に方法がないかもしれませんが、救世主兄弟によって我が子が救われたとしても、さらなる不幸が生まれることだってあります。仮に、救世主兄弟として生まれたことを知り、家族を逆恨みして殺すことだってあり得ます。もちろんそうならないかもしれませんが、そうなるかもしれません。
「ありのままの自然を受け入れる」という、生き方もあります。病気になるのも、自然の猛威も、何の抵抗もなく受け入れ死んでいく、という生き方をする人やそういう民族も実際にいます。生きている以上、自然との関わりや他の生物との共生は不可欠です。動物だって、生き延びる為に弱肉強食の世界で他の生物を食べます。それも、自然の摂理です。ただ、食べ過ぎると、獲物がいなくなり、自らも滅ぼすことになります。注意すべきはそういう所だと思うのです。過剰防衛、過剰攻撃によって、バランスが崩れ、バランスを戻す為に問題が起こるんだと思います。
人間関係でもそうです。「Win-Win」という関係がありますが、一番良くないのは「Lose-Lose」ではなく、「Win-Lose」という、アンバランスな関係性だと思います。「Lose-Lose」が良いとは言いませんが、お互いLoseなら仕方ありません。どちらか一方が得をし、一方が不利益を被る方が、問題が起こると思います。
この関係性を、人類と寄生虫という視点で描いたのが、『インハンド 』という作品なのではないでしょうか?
さて、長くなってしまいましたが、まだまだ最終回から取り上げたいことがあるので、後編にお送りしたいと思います。
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