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タブーと写生について|俳句修行日記

 ぜんぜん俳句が上達しない。酒焼けした師匠を横目に、「カッコいい俳句が詠みたいな」と独りごとを言うと、師匠は「おまえにゃ無理」と一刀両断。なんでじゃー(涙)
 師匠のたまう。「かっこよさの第一条件は、自分の世界を持つことじゃ。」
 ボクにも自分の世界があると主張すると、「いつも他人のことを愚痴っとるじゃないか。今も、ワシの悪口が聞こえてくるぞ。他人を評価することで自分の立ち位置を確認しているようでは、自分を生きとるとは言えんもんじゃぞ。」

「カッコいい俳句を詠みたいなら、日頃からの鍛錬が必要じゃ。そのために、まずは悪口を慎むこと。他者を評価しようとする心は、制圧願望という弱みに端を発し、物事の本質を見誤らせる。俳句とは、対峙するものとの掛け合いであると心得よ。」
 そうは言われても、師匠こそいつもワイの悪口ばっか…
「師匠はいいな。いつも言いたいことを言っていられる」と独りごとを言うと、「ばかモン!」と雷おちた。
 分かり申した。カッコいい俳句への道、第一条件復唱いたします。
「他者の悪口を言わない。」
 なんだか小学校からやり直しているみたいだな。俳句の世界は厳しいな…

 第一条件を復唱し終わると、次は第二条件だと強要されたので、「だまさないこと」と、もうヤケクソ。こんな、日常の禁忌が「俳句の道」なのか???

 師匠のたまう。「この二項は、言葉の闇を深くする。とは言っても、使ってしまうのが人の性。その代償として、言葉の重みを失ってしまうもんぞ。そうなると、どんなに言葉を飾り立てたところで、誰の心にも響きはせん。」

「もちろん、自分の心にもな。そのような奴が吐く俳句ちゅうもんは、他人がどう動くかということが基準になっとる。」

「俳句とは、自らの生きざまを見つめるためにあるんじゃぞ。そのために、宇宙に身を置き、他者に心をあずける。それを俳句の世界では『写生』という。つまるところ、写生で明らかになるもんは、自分の姿じゃ。そこにこそ、俳句を詠むことの意味がある。」
 師匠、むつかしすぎる…

 師匠が何と言おうが、やっぱり他人に認められたいんじゃ。だれかに「かっくいい!」と言って欲しいんじゃ。
 身もだえながら「風光る頭も光る目覚めかな」と詠むと、師匠は「なんじゃそれ」と言いながら出て行った。(つづく)