不易流行考|俳句修行日記
「『不易流行』を知らんようでは弟子じゃない」と脅されて、仕方なく徹夜で調べ上げた。どうやら芭蕉の切り開いた境地で、俳句のベースとなっている理念のようだ。
ネットで見つけたサイトを開いて、師匠の前に直立。スマホに目を落としながら、「変化しない中にも、新味を取り入れていくこと」と答えると、師匠、「それだけか?」と。そうは言われても、それしか書いてないんだから、答えようがない…
「調べものをする時は、その出所を吟味して、他人の言葉を鵜吞みにするな。知識というものは、他者に見せるためのもんじゃないぞ。それをもとに実践してこそ、意味あるものになるんじゃからな。やから、得られた資料にも疑問を抱いて、常に自分の立場に照合させよ。」
「去来抄で『不易流行』に触れた芭蕉の高弟は、それを、『千載不易』と『一時流行』からの造語としておる。そこでは『不易をしらざれば基立がたく、流行をしらざれば風新にならず』と言っておる。おまえならどう解釈するぞ?」
ややこしい宿題をもろて、気分はブルー。家に帰って『去来抄』を探す。そこに『不易流行』を見つけて分かったのは、芭蕉が『おくのほそ道』の旅を終えてつかんだ俳諧理念ということ。ということは、『軽み』の原点か?
それにしても、去来抄は分かりにくい。これを書いた去来自身、句を詠む中で独自に『不易流行』を模索していたような気がするな。まっ、師匠ならばきっとこう言う。「教えというもんは、伝わる中で変遷していくもんじゃ」と。
ならば、ボクも勝手に解釈。字面から見れば、「容易くはない道を流れて行く」ということになるだろうが、「其元一なり」と書くからには、二相の混在を示したもんやな。それなら『不易』を固体に、『流行』を液体に置きかえてやる。これなら根源はひとつ。
「押し寄せる波や氷河のひとかけら」
どうじゃ、俳句は科学だ!あつくなってきた…(つづく)