双極性障害と運
昔は驕っていた。
私は専門学生時代からOL時代、最も人生を謳歌していたと思う。
それも自分の努力あっての事で、努力を怠る人間を軽蔑していた。
私が通っていたのは服飾専門学校だ。
作る方の服飾を学ぶ際には大きく三つ、カテゴリが分かれる。
デザイン、パターン、縫製だ。
私はパターンと縫製が上手かった。デザインも平均以上にはできた。そしてお洒落だった。自分で言うけれど、お洒落であることは学内ヒエラルキーと直結する。成績が良くてもセンスが悪ければやや軽んじられたように思う。
そして私は希望していたパタンナーになった。
なって2年して、双極性障害と発覚して辞めた。
社会経験が乏しい未婚のこどおば。それが今の私である。
努力というのは努力できるだけの素地があって始めてできるもので、努力できない環境に身を置かれた時に人生の不条理を知る。
私は1度10代の時に鬱になっているのだが、その時も運だけで助かった。友達に恵まれていい出会いがあって。
でも家庭環境は最悪だったのでそもそも努力できる素地が無かった。
マズローの5段階欲求がボロボロだったのだし。
そもそも日本に産まれたのも運が良かったからだし、親に虐待されなかった人は、家が貧乏でなかった人は、障害を持たずに生まれた人は、みな幸運だ。
私たちはそれを時々忘れてしまって、極端に驕ったり極端に悲嘆したりする。
今不幸でも幸福でも、ある程度は運なのだから、風向きが良くなるまでは、まあしょうがないか、と思っていればいいのだ。