ネパール・ポカラでの忘れられない言葉
過ごした時間はほんの数時間。それでも忘れられない出会いがある。その後の生き方に決定的に影響を受けた言葉がある。
15年前の出来事。
行く予定のなかった場所、早朝に登ったポカラのWorldPeacePagoda山頂で、彼と出会った。4日前、僕らはカトマンズにいた。初めて訪れたネパールなので聖地カトマンズを満喫したく、7泊する予定だった。そもそもこの旅は何かに導かれるように始まった。当時上海に住んでいたので、香港からトランジットでカトマンズの予定だったが、ディレイして、経由地にダッカが加わり、結果十数時間かけてカトマンズ着。7泊する予定だったホテルで朝食を食べながら、スタッフと話をしているとカトマンズ7泊するなんてもったいない、ネパールには他にも、たくさんの良い場所があるからプランを変更しろと説得させられる。(ホテルのスタッフなのに、自分のホテルをキャンセルしろと薦めるなんて・・・)
そして湖畔のリゾート地ポカラにたどり着いたのだ。ポカラは、8,000m級のヒマラヤの山々を見ることができる贅沢な町。山の麓で育った性分か山が近くにあると登りたくなる。ネパール政府は登山とトレッキングを厳密に区別している。雪線を越える6,000m以上のピークを征服することを登山、それ以下の山々を歩くことはトレッキングになる。ネパールにおけるトレッキングとは、2~3日間のミニトレッキングから、1ヶ月の本格的なものまでいろいろとある。
ポカラに着いた夕方、湖畔を散歩しながら写真を撮っていると、貸しボート屋の呼び込みの若い男が、こんな景色はぜんぜん美しくない、ポカラの美しさは早朝に見えるヒマラヤにある、だから明日は早起きしろと。朝の澄んだ空気と、群青色の空が少しづつ明るくなる様が、大好きな光景のひとつであるので、近くの山(ネパール人から言わせると丘)を、早朝に登ることにする。
そしてSさんと出会った。
なんと75歳で3週間のネパール一人旅の途中とのこと。5大陸制覇はもちろんのこと、様々な国で、多くの人たちと出会ってきた大先輩。現役時代は、手塚治虫や宮崎駿とも親しく仕事をされてきた映像監督であり、引退後は趣味で始めた水彩画の講師でもあり、水彩画の著書多数。ヒマラヤの絵を描くためにこの山に登って来たとのこと。そんな巨匠だとは思いもせず、旅の途中で出会えた仲間として何気ない会話をしているうちに、彼の会話に引き込まれた「人生において大切なのは、まず健康、歩ける身体」。
世界は広い。社会人人生はもっとも長いので、それが人生の全てであると勘違いをしてしまう。それはあたかも中学生の頃、学校生活が世界の中心だったと感じていることと同じである。もちろん仕事は一生懸命するべきだが、それが人生の全てではないことを覚えて欲しいと(老後に旅ができるだけのお金は稼げとも念を押された)。
「偶然を信じること。運が良い人間は偶然を生かす。僕の人生も偶然の連続で今がある。」
僕はとても運が良いんだよ。と何度も話してくれた。次から次への良い出会いが飛び込んできて、気がついたらとても面白い人生になったんだよと。何年も前に旅先で知り合ったフィリピン人(だったと思う)の女の子が、イギリス人と結婚すると聞いて、イギリスまで結婚式に参加しに行ったと誇らしげに話してくれた。長い付き合いでお父さんと慕われている関係とはいえ、実際に参加するのはとても行動力が必要だ。「本当に行くとは誰も思わないだろう?だから行くんだよ。偶然を機会にして様々な場所を旅をして、人間関係が広がって、だから世界中に友達がいるんだよ。」定年後、年4回(各3週間)の旅をすることを決めているという。結局定年後も、偶然が重なり絵の先生になったので仕事はしていると話すが、旅は欠かさないという。ハワイでコンドミニアムを借りて自炊して3週間過ごすのは、日本で生活するのとそんなに生活費は変わらない、旅での経験は特別なものではあるけれども、旅をすること自体は難しいことではない。別れる際に僕らを呼び止めて、作品である葉書サイズの日本画をプレゼントしてくれた。運命的なことを感じた僕らは、山頂で絵を描くために留るSさんと夕食の約束をした。ポカラ滞在の最後の日だったその夕食は、非常に有意義で楽しい夜となった。偶然と必然、たった5分の時間のずれでも出会わなかったかもしれない。けれども、出会うことができ、話すことができ、知り合うことができた。
Sさんとはその後、一度もお会いしていない。ずいぶん前にSNSを通して亡くなったことを知った。今でも鮮明に覚えているのは「老後は本当に楽しいぞ。」と何度も呟く彼の眼差しだ。大げさではなく生きる勇気をもらった。75歳になってもネパールに一人旅ができるという可能性を知り、一度しかない人生をどう生きるべきかを、ネパールの地で知ることができた。そして偶然を信じて、出会いを繋げることの大切さを考える機会となった。たった数時間しか一緒に過ごさなくとも、かけがえの無い出会いとなる。きっと過ごした時間の累計ではなく、濃度が大切なのだと。結局は旅する力とは、機会をつくり行動することなんだと、Sさんの話を聞きながら改めて実感した。きっとそれは、旅をすることだけではない、どう生きるかも同じことなのだろう。
15年前に書いた文章を加筆、再編集してこの物語の欠片を完成させた。読みなおした結果、自分自身の心が動いた肝心要の部分は何も加筆修正する必要はなかった。出会いに感謝すると同時に、インプット(体験)だけでなく、アウトプット(文章)しておいた当時の自分に感謝したい。凡庸な表現だが、本当に勇気と希望を頂けた出会いであり、言葉である。50歳になった今、改めてここに書き記す。