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眼鏡店の男

その男は毎朝立っている。大きな通りに面した眼鏡店の入口に、毎朝立っている。

瀟洒な佇まいの眼鏡店には、似つかわしくない工務店の作業着のような格好で、真っすぐ前を見つめその男は立っている。手には何も持っていないし、鞄も見当たらない。その眼鏡店は、古くからあるクラフトマンシップと現代のファッショントレンドを融合させたことで、幅広い世代に支持されるようになった老舗ブランドである。エリア的にもおそらく旗艦店となるであろうそのお店は、オーセンティックな佇まいを演出しながらも、現代的で新しいレリーフで飾られている。入口の扉は内側に開く両開きの扉で、両脇のショーウィンドウからは少しセットバックした位置に扉がある。正方形のタイルで敷き詰められた小さな表玄関のようなスペースとなっているところに、男が立っている。奥まっているせいか、通りを歩いているとそこに男が立っているのに気がつかないかもしれない。

三密など不要不急などが騒がれていたころ、僕は地下鉄での通勤をやめ3駅程の距離を歩くようにしていた。最近はすっかりポッドキャストに凝って、AirPodsで聴きながら歩く習慣に変わってしまったが、その頃は、街並みを見ることすらも、貴重な体験とひとつと感じるくらい、不自然で抑圧されていた時期だったので、すっかり様子の変わってしまった日常を眺めながらトコトコと歩いていた。毎朝だいたい同じ時間に同じ道を通っている。いつも同じ人たちに会うようなことはなく(もしくはそう感じるだけかもしれない)、ポツポツと同じ方向に歩いている人たちは、一様に前だけを目指し歩いているように思えた。そして僕はぽっかり空いたその空間の歪みのような場所に男が立っているのに気がついたのだ。季節はよく覚えていないが、おそらく秋口に入ったくらいだろうか。誰も気にしないので、そこに男がいたのを空目したかと思った。

朝7時半から8時の間にその眼鏡店の前を通る。僕が気づく前からそこに立っていたのかは、わからない。けれども一度気づいてからは、男の姿を確認することが朝の習慣となった。眼鏡店に近づくときに「今日もいるかな」と思いを馳せているせいか、気持ち早歩きで近づくと、そこに真っ直ぐ前を見つめて立っている。その姿を確認すると「今日もいた」と安堵感のようなものが湧くのはなんとも変な話だ。僕が通りを歩きながら横目で姿を確認しても、決して視線は動かさない。片側三車線の大きな通りにはひっきりなしに車が通っているし、歩道を歩いている人も少なくない。しかし男の目線はそんなものは存在しないかのように前を見ている。決して宙を見ているような目線ではない。

僕の妄想はどんどん広がっていく。「何時から何時まで立っているのだろうか?」、「曜日によって変化はあるのだろうか?」「そもそも何かトラブルに巻き込まれているのだろうか?」。僕が妄想した仮説を紹介しよう。工務店の社長である彼は、扉の修理工事を頼まれた。扉はヨーロッパから輸入した特製品で、直すにもパーツが足らない(この時期は輸出入も思い通りにいかない時期だった)、どうにか有り合わせのパーツで直そうと試みたが、誤って鍵の駆動箇所を壊してしまう。工務店の社長でもあり、自分自身の職人としての腕にも自信があったの彼は、このことに大きなショックを受ける。その代償として、彼はヨーロッパからパーツが届く日までお店の空いていない時間は扉の前に立つことを店のオーナーに提案する。お店側はすでに別の鍵で締めているので、わざわざ立って頂く必要はないと話してくれたのだが、彼の職人としての誇りがそれでは納得がいかず、自分の不始末は自分でつけると言い続け、お互いの妥協案のとして始発の始まる朝5時からお店の開く11時まで立つことが決まった。

色々と妄想したが、結局このエピソードが一番お気に入りで、この物語の続きを毎朝楽しみにするようになった。変化のない毎日が一ヶ月続いた頃だろうか、平日決まった時間に通勤している僕は、他の時間の物語を確かめたくなり、自分自身の時間をずらし始めた。出勤時間を1時間早めてみたり、1時間遅めてみたり、朝7時に通る時にはいる。8時もいる、9時もいる、5時はいないと、、僕はすっかり観測者になってしまった。土日は流石に行かなかったのでデータはない。そしておそらく眼鏡店がオープンする11時頃にはいなくなっている。そうして数ヶ月一方的な観測者の僕とその男の関係は続いた。彼は何も手に持っていないので、スマホで時間を潰したり、文庫本を読んだりすることもない、ただ職人としての彼の誇りだけがその時間を創っている(妄想だが)。秋から冬に季節が変わり、寒くなってくると彼も作業着の上に同じような種類のジャンパーを着始めた。寒い日はジャンパーのポケットに手を入れていたような記憶があるが、見間違えかもしれない。自ら立つことを決めた職人の彼が、そんな妥協をするわけがない。

僕自身の仕事の環境も、感染症の蔓延が少しおさまってきた頃から徐々に変化してきた。相変わらずマスクを欠かせない毎日ではあったが、抑圧された非日常から少しだけ世界は日常を取り戻しつつあった。ジャンパーは必要なくなり、元の作業着に戻ってきた頃、男が随分と痩せてきていることに気がついた。毎日立っている結果なのだろうか、どこか体の調子が悪いのだろうか、まっすぐ見据えていた目線もどこかしら微睡んでいる様にも思える。考えてもみれば、数ヶ月も朝立っているのである、疲労も溜まるだろうし、精神的にも疲弊するはずだ。だんだんと現実的な心配をするようになったある日のことだ。その日は、午前中に別の場所でミーティングがあり、11時半を過ぎた頃に眼鏡店の前を通った。当然、男はいない時間で眼鏡店はオープンしている。店の中に入って、ことの顛末を店員に聞いてみたい衝動に駆られたが、「野暮なことだ」と呟いてやめた。その時、何のきっかけはわからない、店から数メートル進んだ場所に停まっていた運送会社のトラックの助手席に目線がいった。男がいた、助手席に身体をうずくまるように支えながら座っている。眼鏡店の前に立っている時は見違えるように、心細い姿に見えた。職人としての誇りや社長としての威厳はどこに消えてしまったのだろうか?トラックの裏では、運送屋のユニフォームを着た筋肉質な体型の青年が、テキパキと荷物を運んでいる。助手席に座っている男はその運送会社のユニフォームは着ていない。なのに助手席に座っている。どういうことなのだろうかと思案しながら、次のアポイントのため、足早にそこを離れた。

そこから出張続きだったのか、仕事の関係だったのか、とにかく眼鏡店の前を通る機会がしばらくなく、僕の心の中には、助手席で心細そうに座っている男の印象だけが残っていた。結局、もう二度と男を見ることはなかった。あの時が最後の瞬間で、ゴールとともにトラックの助手席に乗れたのだろうか、それとも毎日の日課の中でお店がオープンすると助手席に移動していたのだろうか、不自然なのは運送会社のユニフォームを着ていない男は、一体トラックの運転手とはどのような関係なのか。この話はここで終わりである。エピローグもないし、伏線の回収もない。現実の話だから。

「たぶん」と声に出してみる。
たぶんいたはずの男、今となっては僕自身の妄想であったのかもしれないと疑ってしまう。何かがどこかで決定的に変わってしまったのだ。男は消え、そして静かに現実が歩いてきたのだろう。いや歩いてきたのではない、指を鳴らしてパチンと変わっていた。

コロナ禍。最初にこの言葉を目にした時、渦だと思った。新型コロナウィルスの蔓延がもたらした渦巻。その渦巻はどす黒い印象が強いが、台風一過の空のような色の時もある。虹のような色彩のこともある。その渦は場所や時間を問わず、世界のどこにでも現れて僕らを巻き込んでいく。有名な観光地であったり、小さな料理屋の一室であったり、インターネットの中であったり、そして場所に規定されない渦は、一人の人間の心の中にも渦をつくる。禍々しい渦。世界は不確かなもので満ち溢れていて、切取り方で色が変わる、湿度も温度も匂いも変わる、そうでなければこんなにもたくさんの物語は世界に存在しない。そして僕はそんな物語の欠片たちを集めて、こうして書いている。世界はこんなにも可笑しくて、少し悲しい。

「そういえば、男はマスクをしていたのだろうか。」

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