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引越しバイトのセレナーデ
岸正彦さんの「断片的なものの社会学」を読んでいたら、随分昔のことを思い出した。まさに断片的なエピソードだ。
学生時代、少しの期間だけ引越しのアルバイトをしていた。CM放映しているような大手の引越し屋さんではなく、地場の〇〇運輸といったかなりローカルなところだ。当然、やんちゃな人たちが多い職場環境で、ある意味とても刺激的な環境だった。パンチパーマでとても怖い親方や、中学卒業して既に働いている若人(ヤンキー)、髪の長い自称ギタリストや、歌舞伎町のホスト見習い、プロレスラーのような体格の人たちなど、さまざまな人が働いていた。そのころの僕は、髪の毛を様々な色に染めることに夢中で、ちょうどこのバイトをしているときは、藍色に染めた色が抜けてしまい、金髪に近い茶髪の大学生だった。そんな身なりだったので、初日から格好の標的となり、引越し屋のバイトにも関わらず、一日中焼却炉で一人でゴミを焼かされていたりした。「どんな環境に追いやられても、全力で取り組むことで、回り道しても、一定のポジションを確保できる」という謎のバイト成功哲学をもっていたので、どのタイミングか忘れたが、気がつくとヤンキーたちからも慕われるような存在になっていた(はず)。体力勝負の引越バイトの休憩時間に文庫本を読んでいる僕は彼らからみると奇妙な存在だったせいもあるかもしれない。
こんなこともあった。トラックを運転するだけで、自分は動かず、指示だけして、僕らが全てを運び、大きな荷物を持っているとき以外は常にダッシュさせていたプロレスラー(僕の記憶では長州力のような風貌)のような先輩。ある日突然いなくなったのだが、実は随分前に免取りになったらしく、そのまま会社に報告せずに無免で働いていてクビになったと他の先輩から聞いた(子供が3人いて職を失うわけにはいかなかったらしい)。だいぶ古参感を出していたが、彼もただのバイトだった。とっぱらい(当日現金払い)だったので、人の出入りも多く、とにかく動物園のような環境だった。
色々なバイトをしてきた中でも、映画のような人間社会の縮図を経験できた貴重な場所だった。お客様がたまに差入れの缶コーヒーやジュースだけでなく、心づけ(お小遣い)を頂けるときに、先輩たちの人間性が現れる。玄関で確実にもらっているところを見ていたのに、「今日はもらえなかった」と嘯く人もいれば、ドライバーやアシスタント関係なしに、全員に均等にしっかり配ってくれる方もいる。Nさんは後者のタイプだった。一人暮らしや、夫婦で住んでいるような比較的軽めに引越しの場合、たいがいドライバーの先輩と組んでペアで2トントラックで出かけていく。Nさんは信号で止まる度に、人差し指で膝やハンドルをたたきリズムを取る。鼻歌こそ唄っていないが、今にも奏でそうな雰囲気。間違いなく音楽好きだろうな、バンドマンでメジャーデビューを目指しているのかなと思い、「バンドやってるんですか?」と聞いてみたところ「〇〇(バンド名)って知ってる?」と、すかさず僕は「知ってます!中高の仲良かった友人が良く聴いてました。彼もバンドやっててベーシストでした。結局高校卒業したら自衛隊に入って今は習志野にいるので、しばらく会っていないのですが」と余計なエピソードも加えて返事をする。「俺そのバンドのボーカルだったんだよ」とNさんが告白。「え!メジャーデビューしていたんですか?すごい!」、元ハードロックバンドを組んでいたように見えない風貌だったので、とてもびっくりして、おそらく失礼な驚き方をしていたと思う。そのあと、「もう音楽やっていないんだけどね」とつぶやいた横顔が印象に残っている。それから何度かペアで働く機会があったが、何となく悪い気がして、その話を持ち出すことはできなかった。本当は聞きたいことがたくさんあるけれど、Nさんが一緒に住んでいる彼女と喧嘩した話とか、今度お互いの相方含めて飲もうとか実現しそうにない他愛もない話ばかりをしていた。後々知ったことだが、その事実を知っている人はバイト仲間では誰もいなかった。何かの拍子で、Nさんは僕に話してくれたのだと思う。音楽の道をあきらめてしまったのかどうかは、聞かなかったのでわからないが、少なくとも僕には彼は幸せそうに見えた。前向きに今を生きていて、自分自身に誇りをもっていると感じた(心づけもごまかすことなく分配するし、ドライバーだけれども一緒にたくさんの荷物を運んでくれる)。話し方がFMラジオのDJのように、テンポよく明るく話すNさんが僕はとても好きだった。
猛獣や小動物が群生していたそのバイト先で、それぞれが、それぞれの事情を抱え生きている市井(しせい)を見た。今思い返すとNさんへの期待や想いは、社会に出る目前の僕自身が、ただそう感じたかっただけなのかもしれないと、Nさんよりも随分と年上となった今、そんなことを思い返す。
意味も理由もなく、覚えている人生の断片的なエピソードは、やっぱり物語の欠片だ。バイト先の店長が、レジのお金を持ち逃げした挙句、結局怖い人たちに捕まってバイト全員の前で土下座させられる話もあるのだが、これまた濃い話なので別の機会に。物語の欠片たちは、自分の人生に随分と影響していると思う。書くことで昇華、いや消火させているのだ。