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重いか軽いかよりも


2024年12月に更新した娘の療育手帳は、等級が「中度」から「重度」に上がった。


娘の療育手帳を初めて発行したのは、娘が3歳と8ヶ月の時。生まれて初めて手に触れた"療育手帳"なるもの。29年生きてきてたったの1度も見ることも、触れることもなかったそれは、娘が障がい者であることを証明してくれている。


手帳に載っている当時3歳の写真の中の娘は、にんまり顔でiPhoneのカメラの向こう側にいる夫を見ている。夫が撮影したベストショット。(グッジョブ夫!)
2年ぶりに更新した手帳と並べると、写真の中の娘の顔は2年でずいぶんとシュッとして、耳に髪の毛なんかかけちゃって。すっかり「お姉さん感」を醸し出している。表情は相変わらず、にんまり顔なところが娘らしくてお気に入り。


発語はゼロ。ひとつもない。ママパパはもちろん、単語ひとつ言えない。娘は生まれてから一度も、自らの意思で言葉を発したことがない。(マ!マ!と言って"音声模倣"をしたことはある)


手帳更新のために実施してもらった発達検査結果の数字は、妥当なものだろうなと思う。検査当日娘は機嫌も良く、最後まで(彼女なりに)頑張った結果なこともあり、納得がいっている。



納得はしている。納得はしているが、それは娘が重度知的障害だということを完全に受け入れているということではない、と少し前に気付いた。


娘のことを愛している。くすぐったがりでよく笑って、楽しい時はその時間を噛み締めるように目をきゅっと閉じ、機嫌がいいと前後にぐわんぐわんと大きく揺れる。「あちゃ!あちゃ!」と言いながら園舎から両足でぴょんぴょん跳ねてくる娘。仕草、表情、ひとつひとつが愛おしくてたまらない。

それをめちゃくちゃにしてくるのが障害とかいうやつ。(品のない言葉遣いでごめんなさい)なんなんだこいつは。こいつさえなければ娘は激しい癇癪を起こし自分を傷つけることはない。予定変更の度にパニックになったり、一部の決まったものしか食べられず空腹で低血糖になることもない。今頃、おませで拙いおしゃべりが止まらない娘の髪の毛を結ったり、幼稚園であった出来事を毎日「うん。うん。」と聞けていたはずだった。


障害があっても娘は娘だと、障害ごと娘を愛していると、ハッキリと言い切れる自信が私にはまだない。そう思えるようになるまできっと何年も何年もかかるんだろうな。そして私はあと何年も何年も、「障害さえなければ。」と思い生活を続けていくのだと思う。幼稚園の園児たちや、公園にいる親子を見て羨むのもやめられないだろう。

娘が障がい者であることを証明し、必要な支援を受けるために作った手帳で、手帳の等級を決めるために行った検査であり結果であるだけ。私にとって娘の障害は「重い」か「軽い」かよりも、「ある」か「ない」か。まだその次元で立ち止まっている。ある日朝起きたら突然娘がお喋りして障害なんてなかったことにならないかな。なんて考えながら、夫と一緒に娘の寝顔を見つめる夜がある。

写真の中のにんまり顔を守ることだけを考える。今の私なりの思いと価値観で、その生活の中で、「今日はいい日だったなぁ」と思える日があれば十分かな、今は。



毎週、週末娘が一時帰宅する日を楽しみに自分の体調を観察中。いい週末になるいいな。


またきます。
読んでくれてありがとうございます!


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