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なくてもよかったもの


平日施設での生活をきっかけに娘にiPadを持たせるのをやめた。

最初こそiPadを探したり、手を引いて「例のブツ、出しな。」的なアピールをしていたけど、数分で諦めたらしい。(あまりにも潔すぎる)
娘はディズニー映画が大好きなので、テレビで作品を垂れ流すことにした。そしたら自分で操作しようと、一生懸命にテレビ画面を細い指でスワイプしてる愛おしすぎる光景が見られた。ラッキー。

ないとダメだと思っていたものは「これさえあればいいんだ」と思っていたもので、なくてもよかったものだった。

10ヶ月通所した児童発達支援サービスを辞めることにした。


現在私が住んでいる地域は児童発達支援サービス事業所が少ない。事業所を見つけて空きがあれば飛び込みたくなるほどに。「藁にもすがる思い」まさにこんな感じだったと思う。


娘の成長のために。娘が少しでも生きやすくなるように。娘の言葉が聞きたくて。会話ができるようになってほしくて。少しでも定型発達の子に追いつきたくて。普通の母娘に近づきたくて。



支援内容は「これでいいの?」と思うものだった。
1時間自由遊びのみ。作業や訓練の時間は、発達年齢1歳の娘には"まだ必要ない"という理由だった。そういうものだろうか。
娘は1時間ずっと室内テントに引きこもり、その中でゴロゴロしながらおもちゃをしがみ、「ウーウー」と唸りながらヨダレをだらだらと垂れ流していた。それをテントの小窓から座って見つめる支援員さん。娘をテントの外から見つめる支援員さんの背中を見つめる私。

ん?なにこの時間?

支援計画には「自由遊びの中で発語を促す」とあった。じっと見てるだけで発語が促せるなら家でもできるわい!(こんなことは思っても当然口には出さないのだが)

送迎に苦労していたのもあり、もっと早く通所を辞めていてもよかった。(ここには書かないが他にも疑問に思う対応や不安がいくつもあった)意固地になって通所を続けた結果、私の心がダメになってしまった。


自力でやっと見つけた事業所。問い合わせ、見学、体験、担当者会議、契約手続き。あちこちに連絡を取りながら、クタクタになって辿り着いた居場所を手放すわけにはいかない。この居場所さえ確保しておけば大丈夫。「これさえあればいい」という私の勝手な思い込み。支援内容なんて二の次だったのかもしれない。

事業所の少ないこの地域でやっと見つけた居場所。ここを辞めたらまた一から自力で事業所探し、問い合わせ、見学、体験、会議...考えただけでたまらなく不安で憂鬱だった。


私の体調悪化と娘の一時保護と施設入所をきっかけに事業所への通所を辞めた。

辞めてから、というより辞めることを決めてから心が一気に楽になった。次の事業所のことも(一旦は)しばらく考えなくていい。もう「ん?何この時間?」と思うような時間を消費しにいかなくていい。苦手な支援員さんの態度や口調を気にしなくていい。


ないとダメだと思っていた居場所は、「ここさえあればいい」と思っていたもので、なくてもよかった居場所だった。思い込み。自己満足。


きっかけがないと難しいことだったかもしれない。私の体調悪化も娘の一時保護も、もしかしたら必要な出来事だったのかもしれないと思えてくる。
「雨降って地固まるだよ。」と言っていた心療内科の先生の優しい表情が浮かんだ。

なくてもよかったものに気付き、手放しながら、少しずつ足元を丈夫にしていく。強い雨が降っても、やわらかくなった地面を踏み踏み。固める。娘といっしょに。



またきます。
読んでくれてありがとうございました!


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