フィリピンで鉄オタ活動をしていたらスラム街に迷い込んだ話
私は鉄道オタクである。前回の記事では中国へわざわざ鉄分補給に行ったのだが、ちょうどその1年前にはフィリピンに行っていた。今回はそのお話。
前回の記事はコチラ。
なんでフィリピンへ?
実はフィリピンへ行こうと思った理由は鉄道のためだけではない!
というのも、日常会話の英語力が伸び悩んでいた当時の私は「実際に英語をゴリゴリ使う環境に身を置けばいいじゃん!」と考えていた。
そんなわけで英語が日常的に話されている国としてフィリピンと香港が候補に挙げられた。ちなみにフィリピンではタガログ語、香港では広東語がそれぞれ第一言語であり、英語が日常生活で使われているかというとそうでもないのだが、当時の私はそんなこと知らなかった。
二択に絞った後にフィリピンに決定した理由としては、
1.元国鉄203系電車が客車として運用されている
203系は常磐緩行線で使われていた車両で、東京メトロ千代田線に乗り入れるため地下鉄対応仕様となっている。
(またしても手持ちの写真がなかった)
そんな203系がフィリピン国鉄においてはまさかの客車として使われ、機関車に牽引される日々を過ごしているそうなのだ。これは乗りに行かないと!
そしてもう一つの理由として、
2.私の大叔父がフィリピンにて命を落としている
私の父方の祖母の兄(つまり大叔父)は太平洋戦争にて徴兵され、フィリピン戦線で命を落としたそうだ。
具体的な場所はわからないのだが、とにかくフィリピンへ行って手を合わせたいという思いがあった。
……と書くと、何か大きな使命を背負っているようでやたら重たい内容に聞こえてしまうが実際にはそんなことはなかった。近所のスーパーに買い出しに行くレベルの軽いノリである。
マニラ観光
そんなわけでマニラのニノイ・アキノ国際空港に到着。東京からは5時間ほど。
マニラでの滞在期間は移動日を除くと丸3日間で少しタイトである。
初日は半日ツアー+少しだけ観光、2日目は観光地巡りと撮り鉄、最終日は市内観光と乗り鉄といったスケジュールだ。
Grabタクシーでマニラ市内へ行きたかった
さっそくSIMカードをアクティベートし、配車アプリのGrabを起動。Grabは東南アジア版Uberと言った感じで、基本的な操作はUberと同じである。
宿を目的地に設定し予約! ……を試みるものの、一向にマッチングしない。平日の夕方というバリバリ帰宅ラッシュの時間帯だったため来れる車がいないらしい。
バスを使う
そんなこんなでGrabが使い物にならないのでバスを使うことにした。普通のタクシーは選択肢に入らない。ニノイ・アキノ空港は市街地に比較的近いため時間はあまりかからない。
……というかこの距離なら公共交通機関を通してほしいところである。一応20分くらい歩くと国鉄の駅があるが、絶妙に遠い上に本数が地方ローカル線レベルなのでおすすめしない。
バスは空港から近いジャンクションであるEDSA駅まで行く。料金はまさかの20ペソ(40円)という驚きの安さ。これが東南アジアだ!
バスの中には旅行客は私以外におらず、物珍しいのか隣のお姉さんに声をかけられた。実践英語教室スタート!
そのお姉さんはマニラ出身だが現在は別の島の大学で勉強をしているそうで、親族の葬式があるため飛行機で戻ってきたとのことだ。多くの島で成り立っているフィリピンでは飛行機がかなりメジャーな移動手段らしい。
大学では数学を専攻しているらしいが、「線形代数とかやってる?」と聞いても何も答えなかった。きっと日本とフィリピンでは大学で学ぶ内容も違うのだろう。きっとそうだ。
EDSA駅に到着後はそのまま宿に直行して爆睡。
コレヒドール島へ
初日はマニラ湾に浮かぶコレヒドール島へのツアーに参加した。
この島はフィリピン戦線における激戦地の一つで、島には日米両軍の軍事施設や大砲が残されている。マニラからはフェリーで2時間ほど。
米軍の施設の廃墟。ぶっ壊したのは日本軍。
大砲も大量に残されている。ほーだいが見ほーだい。
めちゃくちゃでかい。
一応観光地化はされているようだ。
そして所々に日本軍の慰霊碑が立っている。
合掌(-人-)
カジノに行く
マニラに戻った後はオカダカジノというカジノに入ってみた。
残念ながら年齢制限でカジノエリアには立ち入れなかったが、隣接するモールは散策できた。かなり豪華な作りとなっている。
撮り鉄
そして2日目は撮り鉄である!
マニラには都市鉄道3路線と国鉄が走っている。
都市鉄道の1号線と3号線は全区間高架複線というハイスペック路線だがなぜか車両は路面電車規格。
運転頻度はそこそこ高いものの、車体の小ささもあり完全に輸送力不足で混雑しまくり。
しかし路面電車の大きさでこの長編成はなかなか違和感がある。
2号線は路面電車規格ではないが運転頻度がちょっと低め。こちらも全区間高架複線で一部地下も通る。
撮り鉄スポット探してうろちょろ
実は事前のリサーチで撮り鉄スポットはある程度探してあったのだが、具体的な場所についての情報がなかったため、Google Earthを利用してだいたいこの辺だろうと予想をつけるだけであった。
そのため、現地に行ってからスポットを見つけ出すのだがうまくいかないこともあった。
例えば、「Recto駅付近の高い場所で北から2号線を撮影」という情報があっても具体的な場所がわからない。
とりあえず高い建物を探すものの、中へ入れる建物はほとんどなかった。
裏路地からどこかへ登れないかと入ってみる。
しまった……。明らかにルートをミスっている気がするがとりあえず進んでみる。引き返したら負け。
スラム街に迷い込む
しばらく進むと開けた場所に出た。
なるほど、スラム街に迷い込んでしまったのだとようやく確信する。
そしてまごまごしているとあっという間に近くにいた子どもたちに取り囲まれてしまった。
外国人が珍しいのか、めちゃくちゃ質問攻めしてくる。
たぶん30分くらいはわちゃわちゃ喋ってた。
しかしまあ、スラム街と言えば治安も悪く悲惨な生活が送られているのかと思っていたがどうやら違うようである。
そこには貧しさとはかけ離れた世界が広がっていた。喜びとか、幸せとか、そういったものがあふれていた。
現代の日本は物質的に本当に豊かだ。圧倒的な経済力のもとで、欲しいものは何でも手に入る。
モノだけじゃない、知識も、経験も、経済力がなければ手に入らない。経済力は自分の欲求を満たすための手段であり、お金を多く持つことが幸せで、お金がなければ不幸である。そういった価値観に支配されていた。物質的に恵まれていても、精神的には貧しいのかもしれない。
自分の世界を外へ広げていくこと、新たな知識を身につけること、知らない景色を見ること、それが私の幸せだった。
だけど、大切なことを忘れていたのだと思う。自分の世界の中で、物質的豊かさという絶対的な価値基準によって見失われてしまった価値があること。他人の評価ではなく、自分自身の価値観を大切にすること、普段の生活の中に楽しさや幸せを見出すことが重要である。
そんなことをスラム街の子どもたちから学んだ。
……と、意識高い系の文章に片足突っ込んでしまったが、結局、来た道を逆戻りしてスラム街を出た。
ちなみにこの日撮りたかった鉄道写真は撮れなかった。
観光地巡り
ハッキリ言うとマニラはあまり観光資源が豊富なわけではないが、有名所はイントラムロスと呼ばれる地域に密集しているため観光地巡りは楽である。
イントラムロスはスペイン統治時代の中心部で、西欧風の歴史的な建物も多く残されている。
雰囲気出てる。
展望!
都市部の方は高い建物がたくさん生えている。
フィリピンはキリスト教国であるため教会がそこそこある。
宗派はカトリックのため、やはり装飾は豪華。
リサール公園。広々としており市民の憩いの場となっている。
ケソンメモリアルパーク。中心部からは少し離れている場所に位置し、公園の他に無料の歴史資料館がある。
ちなみにこの公園はでかいラウンドアバウトの中にあるのだが、歩道橋なんかはないためバスや自動車で行かない場合は死ぬ気で渡るしかない。
こんな感じで8車線くらいある国道で交通量はかなり多いので注意が必要だ。
ちなみに私は行きも帰りも気合で渡った。意外とどうにかなるものである。
(Googleストリートビューより引用)
ドブ川。東京も大昔は川の水質汚染がひどかったと聞くが、こんな感じだったのだろうかと体感できて嬉しかった(さすがにゴミは放棄されてないと思うが)。ドブ川をみて大喜びな変態は私くらいかもしれない。
マニラ湾に沈む夕日。海はめちゃ汚いが夕日はすごくキレイ。
乗り鉄
正直乗り鉄は写真もなく書くこともない……。とりあえず都市鉄道全線乗車と国鉄の203系客車乗車は果たしたので満足。
これが203系。塗装も塗り替えられ、5両編成の客車になっている。ちなみに発電機を積んでいるためドアは自動で開く。意外とハイテク!
そして最終日、なんと偶然にも撮りそこねた写真のスポットを発見してしまう!
それがコチラ。
手前のスラム街が私が迷い込んだところである。
線路の手前、向こう側、さらに向こう側で経済格差がハッキリ表れている。これを撮るまでの過程も含めて、いろいろ思い出深い写真となった。
ホスピタリティ溢れまくり
旅の中で感じたのが、フィリピン人がホスピタリティに溢れまくっていることだ。溢れすぎて洪水が起きるレベル。
めっちゃ気軽に話しかけてくるし、日本人だとわかるとさらにいろいろ喋ってくる。ご飯を奢ってくれたご家族もいた。お世話になりすぎて感謝してもしきれない。
↑青い服の人は交通整理していたのにわざわざ仕事放棄して写りに来た。
おわりに
今回書いた以外にもいろいろな人に出会い、いろいろなハプニングに巻き込まれたのだが、それはまた別の機会に書こうと思う。短いながらも本当に密度の高い旅だった。
……といったところで今回はここまで。
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