こういうのを「宇宙の采配」と言うのかな。
そのはじまりはいつだったのだろうか。
点描画家ののりみちさんが急逝した翌年、
ある方の退行催眠を受けていた時、
私は亡き母親に会いに行ったはずなのに、
そこに出てきたのが、のりみちさん。
なんで?
ふざけてるように、あっちいったり、こっちいったりしていた。
施術が終わり、その方の翌日の予定を聞いた時、
あ!っそういうことだったのか。と合点がいった。
それは、2年前。
のりみちさんが福島で参加した最後のイベントでのことだ。
私はなんとなく、お会いできるのはこれが最後かもしれない。
と感じて前日夕方、空席はないと思ったがメッセージを送った。
すると、すぐに、「ひと枠だけあいてますよー。」
即、そこを押さえて行ってきた。
そこで言われたのが「紀子さん、いい加減、突き抜けていって。
だいぶ前から準備は出来てるからね。」
いままでだって十分、好きなことしてきたのになぁ。
まだなにがあるのだろうか。
その時はわからないでいたけれど。
それから1年後。
ちらちら、来ていたのは、
紀子さん、明日、代わりにお礼をしてきてよ。という事だったのだ。
早速、明日のイベント会場の参加者数を聞き、
当日、作り始めたばかりの米粉パンを手土産に
主催者の方とそのことを報告したのだけど、
元々そういった関連のイベントだから、
そうなんだと思う、という話に落ち着いた。
その時以来、ことあるごとにやってきていたのりみちさん。
あるとき、はじめて福島にイベントにいらしていた、
手相家のタカハシヒデキ先生は、
「のりみちさんが生前、郡山に紹介したいパン屋さんがいるんだよね。」と
言っていたと主催者に呟き、それならジョインズハウスの安田さんしかいない、と
確信し、繋ぎますか?となり、それならば、とまず福島へ、私がヒデキ先生の鑑定を受け、
その場で郡山での開催を取り付けるという流れ。
翌日、どうせなら2日間は、いるだろう、と
早速、日、月連続で空いているのはいつか?と問い合わせ、
最短の3ヶ月後をまず抑え、30分の鑑定を1日10名、合計20名を
facebookのみで募集開始すると、なんと2時間で全枠埋まることに。
その流れの早い事、はやいこと。
諸々をヒデキ先生にメッセージすると、
「だから、紀子さんは凄い、って言ったでしょ。」という
のりみちさんの天の声が聴こえたとの返信に笑うしかない。
そして、3か月後の郡山開催日が一昨日と昨日だった。
あ~、前置きだけでこんなになってしまったけど、to be continuedということにしまーす。