パパゲーノ効果は存在するか?ー実験/エビデンスの具体的な内容とその「質」について
はじめに:本記事の目的
この度、『メディアと自殺: 研究・理論・政策の国際的視点』という書籍が人文書院さんから出版されました。この本は、トーマス・ニーダークローテンターラーとスティーブン・スタックという、自殺(とメディア)に関する研究をしている者であれば知らないことはない二人が編者となって作成された学術書で、広く読んでもらいたいと思いはするものの、一般の方が読むにはややヘビーな内容かな、という感じの本になっています(監訳者の太刀川弘和先生も同テーマの国内の第一人者であり、体制は万全です)。自殺(とメディア)に関する研究そのものに興味がある人や、院生には是非読んでもらいたい一冊です。
この本全体のレビューは原稿依頼をいただいておりますので別にゆずるとしまして、ここでは、焦点を絞って、パパゲーノ効果の話をしたいと思います。本書の第11章はパパゲーノ効果の話で、しかも、その効果の名づけ親であるトーマス・ニーダークローテンターラーその人が執筆しています。本書の刊行予定があることを風の噂で(?)知って以降、この章を読むのを心待ちにしていました。
というのは、これまでに、以下のような記事を私自身が書いてきたからです(パパゲーノ効果の定義や提唱までの流れなどについては、以下の記事をお読みください)。
まぁ端的に言うと、私自身、パパゲーノ効果(とりあえずここでは、メディアを介して自殺の危機に陥った人が回復する物語を示すことが、自殺の危機に陥った人に何らかの自殺予防的な保護的効果をもたらす、くらいの意味で理解すればOKです)が実在するか否かという点について、現状のデータでは懐疑的にならざるを得ないと思っているからです。とはいえ、研究が進めば、もう少しこの現象が存在することを信じるに足るデータが出てくるかもしれません。そして、当然、その状況は提唱者本人であるニーダークローテンターラーその人が一番よく知っているでしょう。というわけで、これを読んで、新しい何かが出てくるのか?ということが知りたかったというわけです。
結論から言うと…「いや、やっぱりまだ、パパゲーノ効果があるっていうのは厳しくない? 少なくとも、これに基づいて政策・対策考えるとか、時期尚早じゃない?」というのが私の中での結論です。その論拠について、以下、本書11章の中でニーダークローテンターラーが取り上げている実験を詳細に読み解いていきたいと思います。ほとんどの人は興味ないような気もしますが、まぁ、もの好きな方はお付き合いください。
紹介する研究1:映画視聴実験
一つ目の論文は以下のものです。リンク先から直接読むことができると思います。これが一番良く出てくるし、ニーダークローテンターラーのお気に入りなのかもしれません(笑)
この研究は、オーストリア在住の95名(女性65名、男性30名、平均年齢27.32歳(S.D.=10.43))をランダムに三群に分け、「Night Mother」(群①)、「A Single Man」(群②)、「Elizabethtown」(群③)という三つの映画を見せ、映画の視聴前後に7つの心理尺度に回答し、その変化を分析したものです。参加者は、ウィーン大学等の施設でポスターやチラシで募集した一般人ですが、元々100人募集し、その内、基準以上の自殺のリスクが見られた5名を対象から除外しています。
三つの映画の主人公はみな自殺の危機を迎えますが、群①では主人公が自ら命を絶つという結末を迎え、群②では主人公が心臓発作を起こして死ぬという結末を迎え、群③では恋人と恋に落ち、危機を乗り越えるところで終わります。仮にパパゲーノ効果が存在するとすれば、群③において視聴者/実験参加者に自殺予防的な変化がみられるはず、ということになります。
で、結果なんですが、群③のうち、自殺傾向が高い上位半数の群の中では、映画の視聴前後で人生満足度(Life satisfaction)尺度の得点が統計的有意に上昇しており、それが、パパゲーノ効果の存在のエビデンスの一つとされているわけです(リンク先論文のTable.2参照)。人生満足度尺度はディーナーのものが使用されており、これは世界標準のものです(尺度得点は、5-35点で変動し、得点が高い方が満足度が高い ≒ 幸福、と解釈できます)。この得点を見ると、視聴前 25.4 → 視聴後 26.4点 でこれが統計的に有意だと言うわけです…
本研究の限界は色々あります。第一に、この参加者は自殺の危険性が高い人達ではありません。自殺の危険性の高い人は除外されており(これは、研究倫理上仕方のないことなので、やむを得ないことはとても良く分かります)、本来、研究対象としたい人ではありません。というより、おそらく、この人たちはかなりハッピーな人たちです。ディーナーの人生満足度尺度には文化的な差異があることが知られているとはいえ、参加者の平均26点は高いです(自殺の危険性が低い群の人たちに至っては平均で30点を超えています)。日本人の大学生の平均は20点いかないくらいが相場です。また、そもそも、ディーナーの人生満足度尺度は2時間の間に変化するような代物なのか(人生に対する満足度が映画1本見たくらいで変化して良いのか、どんな内容であれ)とか、35点満点の尺度で1点変化したからといって、それで人生満足度が上がって自殺の危険性が減ったと言えるのか?という問題があります。さらに言うと、最後に主人公が自殺しちゃう映画をみた群①でも、視聴の前後で人生満足度尺度は同じくらい(1点ほど)あがっています…(ダメじゃん…)
さて、ここから皆さんは、「パパゲーノ効果はあります!」と言うことができると考えるでしょうか?
「自殺とメディア」の11章(P163)には、本実験を紹介する、以下のような文章があります。これは果たして、実験の内容を正確に伝えるものでしょうか?
もしかすると、翻訳の問題があるのだろうか?と感じ、念のため原書を購入し、原文の確認をしました。原文は以下の通りです。
原文にも「reduced suicide risk factors」と確かに書いてあります。しかし、これは繰り返しますが、元の実験に立ち返って考えてみると、人生満足度尺度がほんのちょっとだけ変動したことを意味しているはずです。ウソではありませんが、誇張表現なんじゃないか、と感じるのは私だけでしょうか?
紹介する研究2:記事閲覧実験
二つ目の論文は以下のものです。以下のリンク先から直接全文閲覧はできませんが、research gateの方に論文は落ちています。google scholarなどで論文名を検索していただければ、リンクが表示されるはずです。
この研究は、オーストリア、ウィーン大学のコミュニケーション科学入門コースに在籍する学生112名が対象となった実験です。95名(84.8%)が女性、で17名(15.2%)が男性、参加者の年齢は18歳から46歳(M = 20.49, SD = 3.43)なので、ほとんどは若い女性大学生だということになります。
実験参加者はランダムに3群に割り振られます。群1は、対照群で、自殺とはまったく関係のない記事を読んだ人々です。群2と群3は実験群で、パパゲーノ的エピソードを読まされる群です。具体的には、主人公マーティンが、親友の妻を妊娠させてしまったことを知り、絶望し、自殺の危機に陥る(自殺の準備をする)が、クライシス・ヘルプライン(例:いのちの電話)に電話をし、危機を乗り越える、的な内容です(なぜこのシチュエーションが選ばれたのか…)。実際に読まされた実験素材は以下の画像のような感じです。
ちなみに、群2では、マーティンは54歳の未熟練労働者とされており、群3のマーティンは、24歳のコミュニケーション科学の学生ということになっています。つまり、社会的類似性の度合いを変えた2つの実験群が作成されたということです。とはいえ、実験参加者のほとんどが女性だから、親友の妻を妊娠させたという話を読んで、どういう感情が喚起されるのか… あとどうでもいいですが、対照群のマーティンは自殺とは無縁の生活を送っており、湖畔に鉄道の線路を敷設する作業をしている話になっているようです。
これらの記事を読み終わった後、参加者はいくつかの項目の測定をされます。一つ目は、主人公にどの程度同一化したかという質問(5項目)で、「主人公のようになりたいか?」みたいなことを聞かれます。二つ目が、自己と生(self and life)の関連の強さで、これは、潜在連合テストという手法で測定されます。これは反応時間ベースの課題で、生死に関連する刺激語をカテゴリーに分類するのに必要な反応時間をミリ秒単位で測定して分析します。参加者は、PC上に表示される20個の刺激語(例:死ぬ、生きる、私、彼ら)を4つのカテゴリー(私、私でない、生、死)に分類するよう求められ、その反応時間が測定され、その結果から、参加者の中の無意識的な自己と生概念の結びつきの強さが分かる、みたいな仕組みです。
分析の結果、パパゲーノ的な材料を読んだ参加者では、自己と生の関連が強くなったが、この効果は、主人公(マーティン)と自己との同一化の程度が低い人たちに限定して見られた、ということがわかったと論文にはあります。まぁここまでは、科学的な論文としては分からなくはありません。ただ、読者の皆さんは「だから何よ???」みたいになっているかもしれません。これでも分かりやすく書いているつもりなのですが…
で、この実験の紹介が、本書「メディアと自殺」の中では、以下のようになります。
これは明らかに無理があると思います。この日本語で表現されているものが、本当にこの実験から言えることなのか… で、仕方ないので、再度、原書の方で実際にどのように書かれているか確認しました。当該部分の原文は以下の通りです。
争点となっているのは、suicidal cognition の訳出です。この suicidal cognitionは、正確には、潜在連合テストで測定されたミリ秒単位の反応時間のことです。これを死にたい/自殺したい気持ちの強さのような意味合いを日本語で持つ「自殺念慮」と翻訳すると、意味の広がりが大きくなりすぎると思います。だからといって、適切な日本語訳があるわけではありませんが…
いずれにせよ立ち返って考えたいのは、我々が「パパゲーノ効果」という言葉に期待している現象が本当に発生するのだという根拠に、この実験が該当するのかという問題です。皆さんは、この実験が、皆さんが思うところの「パパゲーノ効果」の存在を支持する根拠だと感じられるでしょうか?
まとめ
というわけで、見落としがなければですが、「自殺とメディア」の11章の中で紹介されるパパゲーノ効果の存在に関する出版済の論文を全て紹介しました。パパゲーノ効果という言葉は大変魅力的な響きを持っています。しかし、実際に、その存在の根拠となっている「実験」というのは上記のようなものです。一人一人がいちいち元の英語論文を読んで内容を吟味するのは不可能だと思うのですが、上記解説を読んで、どのように感じられたでしょうか。(もちろん、↑の解説は私の観点から行ったものですので、できればご自身で元の実験の論文を読まれることをおすすめします。無料でネット上で読めますので)
また、パパゲーノ効果という概念が提唱された論文や、私自身がこの現象をめぐって重要だと感じた論文については、以下のリンク先でまとめを読むことができます。こちらでは、また別の実験論文の解説も行っています。
これが冒頭に結論として書いた、「いや、やっぱりまだ、パパゲーノ効果があるっていうのは厳しくない? 少なくとも、これに基づいて政策・対策考えるとか、時期尚早じゃない?」の意味です。
一方、これらの知見は、パパゲーノ効果が存在しないことを示すものでもありません。というより、そもそも、「〇〇は存在しない」ということは科学的に立証しえないかなと思います。もしかするとあるかもしれないが、それが十分に立証できていないだけ、という可能性は十分に残されています。というのも、我々は生きていることがデフォルトの状態なので、死んだという変化は測定しやすくとも、生きている状態を強化するような何らかの変化があったというのは、測定が難しいいからです(まぁ、自殺死亡そのもののカウントの妥当性についても色々な難しさがありますが、そちら方面に興味のある方は、Voice, 2023年8月号「政府公表「自殺者数減少」は真実か?」の方を読んでみて下さい)。
重要なことは、パパゲーノ効果に則った介入/政策を行う時には、慎重な効果の検証が必要だということです。ウェルテル効果のような非常に頑健な研究結果があるようなものは、相当な可能性で結果の再現がなされると考えられます。ウェルテル効果は、世界中の様々なグループによってその存在が確認されているからです。ウェルテル効果の発生を防ぐような対策の重要性は自明であるということができます(さすがに、もう効果の検証の必要はないだろうと言っていいくらい、ウェルテル効果に関する研究は山のようにあるということです)。
一方、パパゲーノ効果というのはもっとずっと新しい概念で、ウェルテル効果のような頑健性を持つものではありません。実験があるといっても上記に紹介した程度のものです。だから、どんな形でも回復者のストーリーさえメディアにのせれば自殺予防的な効果が得られるはずだなど考えるのは、時期尚早だということです。
そして、効果の検証が必要だというわけにはもう一つ理由があります。現状では、パパゲーノ効果を裏付けるような知見は上記のようなものしかありません。しかも、これらの研究は全て、ニーダークローテンターラーが絡んだものです。敢えて言うのであれば、「〇〇細胞はあります」とある研究グループ/研究者が言い、それが別の研究グループ/研究者では再現されていない状態に似ているとも言えます。。。
とはいえ、もし仮にパパゲーノ効果が存在し、もっとましな研究成果が発表されるようなことになれば、世界中のメディア関係者がそれを真似した(応用した)記事を作成することができるようになるはずです。チャレンジなくしてイノベーションは起こりませんので、チャレンジは必要です。しかしながら、チャレンジをするときには、それがうまくいったかどうかの反省も必要です。反省をせず、やりっぱなしでいれば、向上は見込めません。それは、個人であっても、社会全体であっても、同じことなのではないかと思います。