パパゲーノ効果に関する誤解と過剰期待に注意ー適切な自殺報道に向けて理解すべきこと
コロナ禍における自殺
2020年夏頃からコロナ禍での自殺率の上昇が話題となっています。その一因として、夏頃から断続的に続いた芸能人/有名人の自殺による死亡と、その報道が取り上げられることがあります。いのち支える自殺対策推進センターの「コロナ禍における自殺の動向に関する分析(緊急レポート)」において示された分析においても、7月に起きた若手有名俳優の自殺報道後に自殺が増えていることが見てとれます。このような有名人の自殺報道後に自殺が増える現象は「ウェルテル効果」として広く知られています。そして非常に残念なことに世界中の様々な国においてこうした現象が発生することが報告されています。
自殺報道のあり方の変化
有名人の方が自殺で亡くなった際のマス・メディアの報道というのは、昔に比べて(少なくとも私が子どもだった頃に比べて)各段に良くなっています。今でも動画サイトなどを検索すれば、1986年に岡田有希子さんが自殺で亡くなった際の報道の様子を知ることができます。閲覧を推奨しているわけではないのですが、その頃のお昼のワイドショーは、おどろおどろしい音楽とともに、亡くなった方がまさに亡くなっているその現場を映しており、芸能レポーターが現場周辺を走り回っています。こうした過去を思えば、(数十年単位で見た時に)有名人が亡くなった後の報道の仕方は間違いなく改善されています。それは、報道をする側と報道を受け取る側の意識が変わってきたことの表れであり、とても好ましい変化だと思います。それだけではなく、昨今の有名人の自殺の際の報道では、ニュースの後に相談先の電話番号などを示す様子がテレビでも当たり前になりました。繰り返しますが、このこと自体は、とても好ましい変化だと思います。
パパゲーノ効果とは?
このような風潮の中、最近、ウェルテル効果と並んで「パパゲーノ効果」という用語をよく見るようになりました。11月末頃に書かれたジャーナリストの江川紹子さんの記事では、いのち支える自殺対策推進センターの清水康之・代表理事が11月25日に日本記者クラブで行った記者会見での発言を引用しながら、以下のように説明しています。
パパゲーノはモーツァルトのオペラ《魔笛》に登場する鳥刺しの男。人生に絶望し、木に縄をかけて自殺しようとしたところを3人の童子に諭されて思いとどまり、そこに恋人となる女の子パパゲーナが登場して、がぜん未来に希望を持つ。「自殺を考えている人が、自分と同じような状況にありながら生きる道を選んだ人の話に接することで、自殺とは別の選択肢もある、と知ることができる。メディアは、そういう『もう一つの物語』を届けて欲しい」(※この部分は、清水康之・代表理事の記者会見での発言の引用)
果たしてこのような現象は起きるのでしょうか。一応、自殺に関する研究者の端くれである私からしてみると、このような事象が起きることが実証されているとは言い難い、と一言言いたくなってしまいます。「パパゲーノ効果」というのは非常に魅力的な概念ではありますが、ウェルテル効果のように繰り返しその存在が実証されてきたものではありません。もちろん、今後研究が進めば状況が変わる可能性はありますが、少なくとも現状ではこれは言い過ぎだと思います(もちろん、パパゲーノのような回復を見せる人もいるでしょうが、全体的な傾向としてこのようなことが起こるかと言われると、どうでしょうか)。
パパゲーノ効果の現実
パパゲーノ効果とはもともと、ウィーン医科大学(the Medical University of Vienna)のThomas Niederkrotenthalerらが中心となって提唱した概念です。自殺に関する研究をやっていれば嫌でも(?)その論文が目に入ってくるほど勢いのある研究グループです。Niederkrotenthalerらは2010年にパパゲーノ効果に関する最初の論文を発表しました(※1)。この論文は、2005年1月1日~6月30日までのオーストリアの全国紙に出た自殺に関する記事と、オーストリアにおける自殺率の関連を検討した論文です。詳細は省きますが、この論文でNiederkrotenthalerらは、自殺企図や自殺死亡を伴わない形式で自殺念慮について言及された記事の数と、その後1週間の自殺率が負の相関を示すことを明らかにしました。これが、パパゲーノ効果という概念のスタート地点です。
そして、少なくとも私の目から見る限り、この概念はそれ以上の発展を見せていません。2019年にNiederkrotenthalerらは2010年以降の約10年におけるパパゲーノ効果に関する研究の発展をまとめています(※2)。そこで示されたリストの中にあるその後の発展において最も重要な論文では(※3)、545名の一般成人を対象に、自殺予防に関する専門家の解説記事を読ませる群(実験群1)vs 自殺予防に関する専門家の解説記事+その専門家が若い頃自殺念慮を抱き危機介入センターに連絡し回復したエピソードを読ませる群(実験群2)vs インフルエンザ予防に関する専門家の解説記事を読ませる群(統制群)の自殺念慮の変化を測定し分析しています。本来、パパゲーノ効果(自殺企図や自殺死亡を伴わない形式で自殺念慮について言及された回復の物語を読むと自殺のリスクが減少する)を実証するためには、実験群1よりも実験群2において記事の閲覧前後で自殺念慮が減っている必要があります。しかし、この実験ではそのような結果は得られませんでした(実験群1・2と3の間に差は見られましたが)。
総括すると(調べ漏れがあったらすいません)、①自殺企図や自殺死亡を伴わない形式で自殺念慮について言及された新聞記事の数とその後1週間の自殺率が負の相関を示す研究は1件ある(ただし、この10年の間にその追試に成功した他の研究グループの研究はおそらくない)、②自殺企図や自殺死亡を伴わない形式で自殺念慮について言及された回復者の物語を読むと自殺のリスク(自殺念慮/自殺関連行動)が減少するという仮説を支持する実験結果は存在しない、というのがパパゲーノ効果に関する研究の現在地点ということになります。そして、少なくとも自殺死亡に関する報道が自殺を抑止するなどというのは、明確な「誤解」です。そのような研究はありません。
適切な自殺報道に向けて
パパゲーノ効果はそのネーミングセンスの良さもあってか、非常に有名になりました。しかしながら、それがどの程度信頼に足る現象なのかということについては、しっかりと見直す必要があると思います(もちろん、そうした情報を発信して来なかった専門家の責任もあります…)。コロナ禍においては従来行ってきたタイプの人と人との絆を回復させていくような自殺対策の実施も難しく(何せ、密になることがコロナ対策の敵なので…)、藁にもすがりたくなるのはとてもよく分かります。とはいえ、ここまで読んでいただいた方の中には、このような生まれたての曖昧な概念にすがるのはやや心もとないと思った方が多いのではないでしょうか。メディアの自殺に関する報道によって自殺予防的な効果を生むということに過剰に期待をすることは、少なくとも現状では得策とは思えません。
また、そもそも、昨今の自殺報道では、最後に電話で相談をできる連絡先を示してさえおけば自殺の報道をしてもOKといった風潮も感じます。自殺の報道はもちろん社会的な問題の告発につながる場合もあるため、全てが問題視されるようなものではありません。とはいえ、報道の繰り返しは情報に曝露した者の自殺のリスクを高めることがありますし、援助先の情報を示したとしても、連絡がつながらなければ意味がありません。単に電話番号を示すだけではなく、電話番号の先の実態にも気を配りながら、より適切な自殺報道のあり方を模索していただきたいと思っています。
(本記事は、元々、2020/12/22にYahoo!ニュース個人に掲載したものでしたが、そちらでの掲載が終了しましたので、こちらに移設しました)
引用文献
※1 Niederkrotenthaler, T., Voracek, M., Herberth, A., Till, B., Strauss, M., Etzersdorfer, E., ... & Sonneck, G. (2010). Role of media reports in completed and prevented suicide: Werther v. Papageno effects. The British Journal of Psychiatry, 197(3), 234-243. https://doi.org/10.1192/bjp.bp.109.074633
※2 Niederkrotenthaler, T., & Till, B. (2019). Suicide and the Media: From Werther to Papageno Effects–A Selective Literature Review. Suicidologi, 24(2). https://journals.uio.no/suicidologi/article/view/7398
※3 Till, B., Arendt, F., Scherr, S., & Niederkrotenthaler, T. (2018). Effect of educative suicide prevention news articles featuring experts with vs without personal experience of suicidal ideation: a randomized controlled trial of the Papageno effect. The Journal of Clinical Psychiatry, 80(1), 17m11975. https://doi.org/10.4088/JCP.17m1197
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