自殺に関するメディア・芸術表現に研究者が関わるということー『ウツパン』の監修を終えてのあとがき
このたび、初めて監修という立場で関わらせていただきました『ウツパン』が完結し、コミックの発売と相成りました。漫画書籍の方では僭越ながら、解説文を書かせていただきました。解説は書かせていただきましたが、字数にして約2000字ちょっと。どうしても書ききれないこともあり、こちらの方で勝手に、個人的な、作者の有賀先生とは異なる「あとがき」を書いてみました。よろしければ、お付き合いください。
ウェルテル効果とガイドラインー仕事を受けた経緯
監修というと随分と偉そうな感じを受けますが、監修陣がやっていたことは基本的には漫画の内容の危険性の評価と助言/意見、という感じです。『ウツパン』は、「死にたい」気持ちをリアルに描いたコミックエッセイであり、シーンによっては自殺企図(死のうと試みる具体的な行動)のようなシーンが入ります。「死にたい」気持ちを抱えながら生きるとき、そこに、自殺企図というものが入り込んでくることはごく自然なことです。それがなければ、作品としてのリアリティを生み出すことは難しいかもしれません。
一方で、「ウェルテル効果」という現象があります。これは要するに、自殺死亡に関するメディア報道がなされた場合に、後追い/模倣自殺が頻発する現象のことです。自殺方法を詳細に報道すると、特にその可能性が高まります。この現象がなぜ起こるのかという点については諸説ありますが、こうした現象が生じてしまう場合があることは、世界中で繰り返し実証されています。ウェルテル効果のウェルテルとは、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』から来ているわけですが、これは「本」(小説)というメディアが多数の後追い自殺を発生させてしまったことに由来しています。つまり、マンガという本についても、表現があまりにリアリティを持っていると、後追い自殺を発生させる可能性があるということになります。ウェルテル効果についてより詳細に知りたい方は、監修陣(私以外)が監訳者になっている、以下の書籍をご覧ください。
これまでの科学的な知見を踏まえながらウェルテル効果の発生を防ぐため、WHOは「自殺対策を推進するために映画制作者と舞台・映像関係者に知ってもらいたい基礎知識」といったガイドラインを出しています。これはもちろん、マンガの話ではないのですが、マンガであろうと映像・舞台表現であろうと、ウェルテル効果が発生することにはかわりはなく、また、それを防ぐための方法も同じようなものだと考えられます。ガイドラインには、「自殺対策を推進するために映画制作者と舞台・映像関係者にできること」として、「企画を考えるごく初期の段階から、台本の執筆、作品のプロモーションに至るまで、自殺を伝えることに関して専門知識を持つ自殺対策の専門家に制作に参画してもらうこと」という内容が掲げられています。こうした状況を鑑みれば、誰か、それなりの専門家が『ウツパン』に関わる必要があるだろうと、監修のお話をいただいた時には感じました。
自殺に関する芸術表現について評価をするということーやってみてわかったこと
上記のガイドラインの存在も踏まえて、誰かがやらなければならないだろうと考えてとりあえず引き受けてはみたものの、正直に言って、これ(自殺に関わる漫画表現の危険性を評価すること)はとてもじゃないが一人で出来る仕事ではない、と早々に音を上げてしまいました。どこまでがセーフでどこからがアウトなのかという線引きを考えるという作業は、実際にやってみると想像以上に難しいと実感することになりました。通常、研究者であれば、これまでの研究知見をもとに、〇〇の表現は模倣自殺を引き起こすからアウト、△△の表現はそのような現象を引き起こさないからセーフ、という形で考えるだろうと思いますし、制作チームもそのような助言を求めているだろうと思われます。しかしながら、芸術表現には様々なものがありえ、一つ一つのシーンについていちいち上記のような判断ができる実験が行われてきたということは全くありません。そのような中で、これは間違いなくアウトで、これはセーフ、みたいなことを自分一人で判断するのは厳しかったです。
そのような実感から、編集者の方に相談をし、監修チームのメンバーを増やしていただくことにしました(太刀川弘和先生に泣きつき、髙橋あすみ先生も引き込むことができました)。そして、これも実際にやってみてわかったことですが、やはり、(当たり前と言えば当たり前ですが)こうした評価に関わるチームの中には医師が必要だろうと感じました。どのような自殺企図方法の致死性がどの程度かということについて助言ができないと、ここから先は絶対にアウトで、これくらいならギリギリ許容できる、みたいな範囲を決めづらくなるからです。
また、これは連載漫画の特殊事情ではありますが、連載漫画の場合、断続的にこうした評価の仕事をしなければならなくなります。大学教員や医師のような本業を持つ場合、当然のことながら、特定の忙しい時期(原稿の締め切りが重なっているとか、期末試験の評価をいついつまでにしないといけないとか)には、なかなか監修作業の方に手がまわらないという場合もあります。一方で連載漫画にはそちらの〆切もあり… こうしたこともあり、やはり、監修作業もチームでやっていた方がいいなと思いましたが(一人でやっていたら、こちらの意味でもきつかったと思います)、これはいつでもそうというわけではないかもしれません。
「死にたい」に関する当事者性を持った作家や芸術家にしかできないこと
これまで書いてきたように、自殺に関するメディア表現をすることは、その内容によっては、ウェルテル効果のような自殺促進的な影響を持ってしまう場合があります。一方で、『ウツパン』のような作品でしか達成しえないような自殺を予防する効果もあるだろう、とも思っています(今回の出版そのものの効果を研究者として直接明らかにすることはできてはいないのですが、もしかするとパパゲーノ効果のようなものも生まれているかもしれません)。
自殺という題材を描くにあたって、間違いなく当事者性を持った作家や芸術家にしかできないことがあり(少なくとも「研究」のような文脈ではやりづらいことがあり)、それは、自殺を引き起こす(あるいは自殺を延期させる)親密圏におけるコミュニケーションとはどのようなものか?というテーマを具体的に描き出すことです。よりざっくばらんに言うのであれば、人を死にたくさせたり、あるいは幸せに頑張って生きていこうと思わせるような親密な他者(家族、恋人等)とのコミュニケーションとはどのようなものか?という問題です。
この問題は、学者によるアカデミックな研究や、自殺発生後の報道によってはおそらく表現しえないものです。研究の場合、実際にデータを収集して分析をする必要があります。例えば、子どもの自殺が起きたような家庭における親子間のコミュニケーションの様子を録画・録音しておき、その内容を分析するようなことができれば、この問題を研究することができます。しかし、実際にはこれは様々な意味で実現不可能です。そんなことに同意する人間はいませんし、そもそも、ある家庭で将来、自殺が起こるかどうかということを予測することが不可能で、データが収集できないからです。(そんなに長期間にわたって家の中に監視カメラがあってデータが筒抜けの状態でまともに生活できる人間はいません…)
例えば、こうした問題を分析するために、中森弘樹 (著)「「死にたい」とつぶやくー座間9人殺害事件と親密圏の社会学」の中では、とある(死にたい人が集まるという)シェアハウスの住人・管理者へのインタビューなどを実施していたりします。面白い試みではありますが、しかしながら、 シェアハウスというのは特殊なシチュエーションであり、ほとんどの人間が経験するような普遍的なものではないという限界も同時にあります(だから意味がないという意味ではもちろんありません)。
アカデミックな研究からは、他者がいること/いないことが人を自殺に向かわせるか否かにおいて重要だということは間違いない、と言えます。例えば、離婚をした人の自殺率はそうではない人に比べて、滅茶苦茶高い、といったデータから、このことはわかります。しかし、これはちょっと雑です。現実には、人生を支えるようなコミュニケーションをしている夫婦(家族)もあれば、そうではない夫婦(家族)もあります。そして、では、人を生きるような気持ちに(あるいは、死にたくなるような気持ちに)させるようなコミュニケーションはどのようなものか?と問われると、研究者はそこまではデータでは明らかになっていないので答えられない、と言わざるを得ません。(誠実な研究者の回答としては、そうなる、ということです)
この状況を打ち破ることができるのが、当事者性を持った作家による表現だろうと私は思っています。『ウツパン』のような形で、「死にたい」に関わる表現が増えていくことが、自殺に関するスティグマを低減させるとともに、我々が生きるに値すると感じさせてくれるコミュニケーションとはどのようなものか?ということに関する考察が深まっていくのではないでしょうか。
監修陣がやっていたことは基本的には漫画の内容の危険性の評価と助言/意見なのですが、私自身が最初のネームを読んで唯一、物語の展開の中でもっとこうして欲しいと言った点は、上記のような視点から家族や周囲の方との関わりについて描いて欲しい、ということだったと思います。
自殺予防学会のメディア表現支援委員会の発足
一応のところそのような目論見を持って、『ウツパン』の共同監修者であり、日本自殺予防学会の理事でもある筑波大学の太刀川弘和先生にお骨折りをいただき、この度、日本自殺予防学会の中に、メディア表現支援委員会なる組織を作っていただきました。『ウツパン』の制作過程にはもちろん間に合わなかったのですが、自殺に関するメディア表現をより良いものにしていくために、様々なコンテンツの制作者が専門家からの支援・助言が受けられるといいだろうと思っています。
というよりも、WHOが自殺対策のガイドラインの一つに、メディア上での自殺に関する表現について、「自殺対策とコミュニケーションの専門家、精神保健の専門家、自殺関連の実体験者の助言を受けること」が重要だと書いているにも関わらず、国内の専門家の方にそれに対応することが可能な体制がないのはそれはそれで問題だろうと思いますので、今回のことをきっかけに体制の整備ができたことはとても良かったと思っています。自殺に関するメディア・コンテンツの制作に関して専門家との協働をお考えの方がいらっしゃりましたら、学会事務局の方にご連絡いただけますと幸いです。
以上、『ウツパン』の制作に関わって感じた様々なことを監修者の追加の「あとがき」として書かせていただきました。作者の有賀先生・編集者の方々は、監修チームから「ここの表現の危険性がー」などの指摘がいちいち入り、そのたびに表現の仕方について検討をいただき、おそらくは通常の漫画以上のお手間がかかっただろうと思います。その分、少しでも安全に、その一方でなるべくリアリティを損なわず、自殺(やそれにまつわる親密圏におけるコミュニケーション)について理解し、考えることができる作品に近づいたのではないかなと思います。
皆様も、よろしければご一読いただければ幸いです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?