自殺の報道はどうあるべきか?ーマス・メディアの責任と「できること」について
ネット心中や特異な自殺方法による自殺、インターネットを介した自殺幇助や嘱託殺人(のように見せかけた単なる殺人事件)などが起こると、それなりの数の取材依頼をいただきます。自分の置かれた社会的な立場を考え、こうした取材の依頼にはなるべく応答しようと思ってはおりますが、こちらにはこちらの生活や仕事がありますので、必ずしも依頼をお受けできるわけではありません。また、取材で受ける質問には共通するものも多いものですから、あらかじめここに回答を示しておきたいと思います。
なお、WHOの「自殺対策を推進するためにメディア関係者に知ってもらいたい基礎知識」のようなガイドラインには目を通していただいているという前提で、その上でさらにこちらからあらかじめ理解しておいていただきたいことを以下に説明しておきます。
よくある質問1:なぜこのような事件/自殺が発生した/するのでしょうか?
一番よくある質問はもちろん、「なぜこのような事件/自殺が発生した/するのでしょうか?」というものになります。が、答えは「分かりません」という味気ないものになります。
自殺死亡が発生した場合、我々は当然、「なぜ?」「どうして?」と思うものですが、死亡した特定個人の死亡直前の心理状況を明確に特定する方法はありません。もちろん、それを私がどうこう推測することはできなくはありませんが、それは科学的な意見ではなく、居酒屋談義とそれほど大きな違いはありません。紙面掲載までの時間が限られており、取れている情報が限られているのは分かりますが、自殺の専門家であればその限られた情報から正しい推定ができる、というわけではありません。「分からない」では記事にならないかもしれませんが、「分からない」ものは「分からない」のであり、無責任に原因を断定するのは避けるべきではないでしょうか。
自殺の背景には様々な事情が折り重なっていることが通常であり、何か一つの原因をもって、こうした事象が発生したと説明することの方が難しい場合が多い、というのが科学者のコンセンサスかと思います。自殺が発生した場合、その個人の背景にある事情として可能性が高いもののリストとしては、以下のものがあります(WHOの「自殺を予防する」p31より)。こうした危険因子があったのかなかったのか、ということを中心に取材をされると良いのではないかと思料します。
よくある質問2:どうすれば防げたでしょうか?
連続してつまらない答えになりますが、この質問の答えも「分かりません」となってしまいます。なんてつまらない取材対象でしょう。こんな奴に取材しただけ無駄だった、と思った人も過去にはたくさんいたはずです…
とはいえ、なぜ起こったのか、正確なところが分からなければ、どうすれば良かったのかも分からないというのは、当然のことです。。。つまらない結論ですが、これが正確なところです。そもそも、1件1件の自殺死亡に対して、こうすれば良かったみたいなことは、科学的な意味では分からないと思います。これも、無理やりコメントすることはできないくはないのでしょうが、それは先ほどと同様、居酒屋談義レベルの話です。
とはいえ、分からないこととできることがないこととは同義ではありません。こうした取材を受けていて私が最も気になることは、マスメディアの皆さんが(全員ではないですが)、自殺対策はどこかでやっている自分達とは関係のないものであるかのように取材をされているところです。もちろん、取材をする以上、客観的な態度を保持しておくことは重要なことだと思いますが、自殺対策は皆さんの実施される取材や、その結果として生成される記事/紙面と無縁のものではありません。
それでは、マス・メディアには何ができるのでしょうか。
マス・メディアにできること1:支援先情報の提示方法の工夫(のための分析)
自殺報道がその後の後追い自殺を誘発し、自殺率を高める可能性があるということ(ウェルテル効果)については、随分と理解が社会に浸透してきたと思います(ウェルテル効果についての日本語レビューは末木(2011)参照)。一方で、自殺報道は社会問題を提起する側面も有している場合もあり、自殺報道を全面的に規制した方がいいというのもそれはそれで極端な考えです。そのため、昨今では、自殺方法などの危険な情報を伏せた自殺報道をすると同時に、支援を受けられる相談先情報を合わせて提示することが一般的な報道方法となってきました。
これはこれでけっこうなことですが、やや強い表現で書くとすれば、「自殺報道をすることの免罪符として、とりあえず相談先の電話番号を書いておけばOK」といった風潮もあるように感じます。マス・メディアの報道においても、もっと本気でこうした取り組みを実施することが、自殺を減らすための社会的取組として必要だと思います。では、(それほど大きな経済的コストは必要としない形で)どのようなことが実施可能でしょうか。
その相談先情報は活用されているのか?
現在では、新聞紙面だけではなく、インターネット上で記事が配信されることも普通のことだと思います。そこに、支援先情報をリンクとして貼っておけば、読者はすぐに活用できるはずですが、支援先情報の電話番号が全角ベタ打ちで、リンクになっていない記事をよく見ます。こういうのを見ると、自殺報道のためのアリバイ作りのためにとりあえず書いている感じがとてもよく出てしまっていて良くないと個人的には思います… こうしたものをリンクにしておけば、支援先情報のリンクのクリック率は簡単に分かるはずです。そうした情報を分析することもなく、「自殺対策として何ができますか?」と取材で質問するのはおかしなことではないでしょうか…?
また、記事後の支援先情報の提示の仕方を数パターン作成し、それぞれの記事でのリンククリック率を比較するといったことをすれば、支援先情報をどのように提示することで、より効率的に支援先情報を周知できるのか、ということも分かるはずです。こうした地道な作業の積み重ねが、自殺対策であり、紙面をより良いものにしていくはずです。そして、こうした活動は、マス・メディアが今すぐに自分達の力だけで出来ることのはずです。(もちろん、必要であれば、協力は惜しみません)
WHOのガイドラインは重要なものです。しかし、ガイドラインに書かれていることは十分ではありませんし(過去の研究の積み重ねにすぎませんし)、今後、研究を積み重ねることによってより良いものにしていける可能性があるものです。こうした人類の叡智の蓄積こそが、社会を少しだけ住みやすいものにすると私は思います。そして、マスメディアの皆さんは、それをできるだけの場所にいるはずです。(繰り返しになりますが、もちろん、必要であれば、協力は惜しみません)
自殺報道の記事を読む人は、どのような人?
そもそも、取材の結果として生成される自殺報道の記事を読む人は、どのような人でしょうか。自殺報道は、自殺の危険に追い込まれた人の背中を押してしまう側面があるものですが、紙面を読む人のうち、自殺の危険に追い込まれた人はどの程度の割合でしょうか。もし、自殺の危険に追い込まれた人はほとんど読んでおらず、精神的に健康で元気な人が読んでいる人の大半を占めるとすれば、その元気で健康な人に、周囲の落ち込んでいる人を気遣うような行動を促す方が良いかもしれません。
どのような人が読んでいるのかについて把握をすることは、紙上で適切な自殺予防活動をするためにまっさきに必要なことです。例えば、紙面に自殺のリスクを評価するアンケートを設置し(参照情報:短縮版自殺念慮尺度の作成)、回答を促せば、一定の回答は得られるだろうと思いますし、そこから読者の傾向を見てとることができるはずです。
マス・メディアにできること2:支援先として提示する情報/団体はそれでいいのか?
「精神的に健康で元気な人が読んでいる人の大半を占めるとすれば、その元気で健康な人に、周囲の落ち込んでいる人を気遣うような行動を促す方が良いかもしれません」と書いたのは、そもそも、自殺報道をすると、ただでさえパンク気味の相談先が、さらにパンクをして、電話相談にしろメール/SNS相談にしろ、余計に相談がつながりづらくなるからです。有名人の自殺があると相談件数が増えることは支援団体も分かっていますので、当然、それに対応しようと努力はしますが、爆発的に相談件数が増加してしまえば対応は不可能です(それも、そういうことがいつ起こるかも分からないわけですから…)皆さんが記事の最後に付け足した相談先の電話番号、応答率(かけた電話がつながる確率)はどのようになっているでしょうか? きちんと調べた上で、書いていますでしょうか?
寄付を呼び掛けることもできる
支援先の情報を提示してもつながりづらく、また、記事そのものを自殺ハイリスクな人が読んでいないのだとすれば、相談先情報を提示するよりも、その支援団体への寄付を呼びかけるような内容にした方が、その記事は自殺予防効果を発揮するかもしれません。つながらない回線に相談を呼びかけるのではなく、回線を増やす努力を先にする方がいいと考えるのは自然なことではないでしょうか。
その場合には、当然、自殺予防を実施している団体について色々と調べることが必要になってくると思われます。その団体はどのような団体でしょうか。会計は明朗でしょうか。また、そもそも、そこで実施されている活動は、科学的な観点から考えて自殺予防として有効に機能していると言える根拠はあるのでしょうか(自殺予防活動の効果を検証している例)。こういう情報を調べて周知し、しっかりとした効果のある活動をしている団体への寄付をすることを自殺報道の記事の中で実施することができたら、何が起こるでしょうか。
自殺対策を作っていくのは「あなた」である
こういう活動の効果の検証は、これまで世界的に見ても、ほとんどなされていないので、「意味がある」ということが保証されているわけではありません。しかし、大事なことなので繰り返しますが、自殺報道のためのWHOのガイドラインは神から与えられた完璧なものではなく、これまでの研究をまとめて、「だいたいこういう方向がいいんじゃない?」と人間が考えたものに過ぎません。ここに書かれている以上の新しいより効果的な自殺対策は今後も開発されていくはずですし、それは、今取材をしているあなたの手によって実現されるかもしれないのです。
とはいえ、こうした活動は、一朝一夕にできるわけではなく、自殺が起きた時だけそのことに注目して達成できることでもありません。事前に準備をしておいて、継続的に考えているからこそできることです。世界は自殺の話題だけで動いているわけではなく、忙しい状況にあるとは思いますが、大きな事件が起きて取材をされたのであれば、それを機に自殺の問題に関心をもって、「継続的に」取り組みを実施していただければ幸いです。無関心こそが、人を死に追いやるのですから。
お読みいただき、ありがとうございました。