Digital Marketing and Suicide Prevention Summit 2024 に参加して:自殺予防×デジタル戦略の未来について
2024年11月12日~13日にかけてMelbourne Business Schoolで開催された「Digital Marketing and Suicide Prevention Summit 2024」(※注1)にOVAの伊藤さんと一緒にご招待いただき、参戦してきました。いやー、本当に楽しかった。本記事は、その過程で考えたこと/気づいたことについてフランクにまとめたものです。長くなりますが、自殺予防(福祉提供)×デジタル戦略の未来について考えてみたい、という方には、役立つ情報も含まれているのではないかと思います。あと、海外での学術的なイベントの運営について学んだところもあり、そういった点に興味がある人がどれだけいるかは分かりませんが、(私が気づいたことで)参考にできることもまとめてみました。それでは、いってみましょう!
招待いただいたきっかけ
ことの起こりは(たぶん)2023年の正月明け、以下の論文の第一著者であり、今回のイベントの主催者の一人でもある Dr. Sandersan Onie(以下、サンディ)から突然の連絡が来たことに遡ります。サンディからのメールの内容は、「面白い論文の査読通したんで、ちょっと話できませんか?」というものでした。その「面白い論文」というのが、これ(↓)です。
この論文を読んでいただければ分かるのですが、サンディはOVAのインターネット・ゲートキーパー事業と同様、ウェブ検索連動型広告を用いた自殺予防のためのアウトリーチ実践と研究を行っていました。そして、この論文は、我々がまだ報告できていないテーマ、ランディング・ページの運用方法によってアクセス者の援助希求行動(コンバージョン率)に影響を与えることができるのではないか?というテーマを追求したものだったのです。そりゃあ、私が絶対に興味を持つ論文だと思うよね……。
その時は色々あって細かい話をする機会は実現しなかったのですが、今回は改めてお金の見通しがついたということで(?)、メルボルンにまでご招待いただきました。その中で、OVAのこれまでのインターネット・ゲートキーパー事業に関する実践や研究についての報告を一つの軸にしながら、「デジタル・マーケティングに関する技術を活用した自殺予防実践は今後どのように展開していくべきか?」ということを大勢の/多様な参加者の方々と一緒に考えてきた、ということです。参加者は必ずしも自殺や自殺予防に関する研究者というわけではなく、これまで自殺予防に関する啓発キャンペーンを手掛けてきたマーケティング会社の方、マーケティングが専門の研究者、ヘルスケア×デジタル・テクノロジーの研究者、法学者、医者、そして当事者など、非常に多様な背景を持つ方々が参加をされていました。
イベント内で扱っていたテーマと全体の流れ
イベントは各専門家/参加者が、まずはこれまでの実践や研究の内容を相互に報告することから始まりました。トップバッターは、OVAのこれまでのインターネット・ゲートキーパー事業に関する実践や研究の話です。
それ以降も、自殺予防に関する啓発キャンペーンを手掛けてきたマーケティング会社の担当者から見たこの領域でのマーケティングを成功させるために必要な考え方についての話(各種プラットフォームごとの特徴)、(今回のテーマに関連する)マーケティングの基礎理論についての話、当事者との共同デザインによる自殺予防活動の重要性についての話(参考資料/論文)、検索連動型広告を用いたアウトリーチ活動今後の研究ビジョンの概要、Chat safe(子ども・若者が自傷や自殺についてオンラインで安全にコミュニケーションするための取り組み、ガイドラインはリンク先参照)の活動報告、デジタル・アウトリーチにかかわる人権/法律/倫理的問題や懸念点の報告、相談事業やハイリスク者特定にかかわるAI利用のガイドラインの構想などなど、多岐にわたる論点が出されました… これらに追加して、我々からはこれらの技術の犯罪利用のリスク(「座間9人殺害事件」のような具体的事件の説明)等も行いました。
いやー、何と言うか、色々と考えないといけないことは多いです……。こうした論点を出し尽くした後に、各報告についての追加の質疑応答や、パネルディスカッションを行いました。ここまででだいたい1日がかりです。
続く2日目は1日目の各報告をもとに、今後の具体的なアクション(実践/研究)のためのアイデア出しのためのブレストが実施されました(1日目は登録すれば参加できるオープンなイベント、2日目はクローズドなものだったようです)。↓の写真のような感じで、皆がどんどん意見を喋り、それをホワイトボードに書き出して行って、論点を整理していくような作業が2時間ほど… とりあえず研究者を集めてイベント/集会をやりましたという感じではなく、「このイベントの後に何か具体的な成果物出すぞ!」という気合いを感じざるをえない感じでして(とりあえずコメンタリーは書けるな、みたいな)、話がどんどん進んでいくのがなんか凄かったです……。
自殺予防×デジタル戦略に関する重要な論点
安全性の重視
細かい話をしているときりがないのですが、個人的に今回のイベントを通じて感じたのは、一言でいうと、「安全性」がものすごく重要視されているのだなということです。イベント運営の方法についてもそうですが(こちらは、下の小見出しのところで改めて書きますが)、自殺予防活動の内容についてもそうです。例えば、デジタル・マーケティングの理論や手法を用いて相談や援助希求を促すというこれまでの(?)「大方針」よりも手前のプロセスに焦点を当てながら、どれだけ潜在的な被援助者のニーズを正確にくみ取ることができるのか、とか、そういった人たちの主体性や人権を奪わないための配慮として何ができるのか、ということが相当に重要視された議論が行われていると感じました。
それは、当然のことながら、単に自殺を予防しさえすればいいという話にはならないということです。というよりも、自殺を予防する目的のための行動や政策であったとしても、パターナリズムを適切に排除したり、様々な人権により慎重な配慮をしていく必要があるということを意味しています。より具体的に、自殺予防×デジタル戦略という文脈では、「(ある程度のコンバージョン率を維持しながら)倫理的なマイクロ・ターゲティングをすることは可能か?」みたいな感じの話になります。ざっくりと言えば、ですが。
実際のところ、例えば、自殺関連語の検索の後に「相談しませんか?」といった広告を見ることが必ずしも検索者の持つニーズとは合致しておらず、何なら不愉快だったという報告がSNS上で流れることは珍しいことではありません。倫理的なマイクロ・ターゲティングを実現するということは、そういった問題をより真剣に扱っていこう、ということでもあります。だからこそ、政策や介入は単にエビデンスに根差していればいいというわけではなく、エビデンスがあることは当然として、加えて当事者との共同デザインが必要、という話になるわけです。
安全性重視の潮流の影響
こうした「思想」が今後の自殺予防に与える影響としては、いくつかのポイントが考えられます。
第一に、相談や危機介入が始まる手前の部分のプロセスがより精緻化されていくことになると予想されます。要するに、相談者が自身のニーズをかなえるためのオプションが多様化し、選択可能な状況を作っていくことが標準的になるということです。具体的には、「死にたい」とか「自殺方法」といったワードが検索がなされた画面に広告が打たれるとしても、それは、「相談して下さい」とか「話を聞かせて下さい」一択ではなく、他のオプションも同時に示される必要があるということです。「相談して下さい」が検索者のニーズに合わないとしても、もし他のオプションも示されるようになるとすれば(それがどのような広告の文言になるかはさておき)、こうした広告に不快感を感じたりすることも減るでしょうし、何より、相談する以外のオプションで何とか状況に対処したいと考えている検索者にとってみれば、よりニーズを満たせる可能性は高まることになるはずです。
また、相談を促すとしても、その相談活動がどのようなイメージのものであるかがより具体的に提示され、その提示された相談を選択できるようになるはずだろうと思います。現在でも、話を共感的に聞くということを重視する相談活動を実施している窓口/団体もあれば、より問題解決に焦点を当てながらソーシャルワーク的なことを重視する窓口/団体もあります。現状では、こうした方針は必ずしも相談が始まる以前に十分に説明されているわけではなく、潜在的な相談者が相談を開始する前にそれを十分に理解しておくことも難しいという問題があります。一口に「相談する」と言ったとしても上記のように様々な相談があり、それは、可能な限り事前に相談者が選べるようにしておくことが望ましいということになるのだろうと思います(もちろん、そんなことができる状態ではないという場合もあるわけですが、だからといって最初から選べないのも違うだろう、ということです)。
ちなみに、この種の問題については拙著『「死にたい」と言われたら――自殺の心理学』の『第3章「死にたい」と思ったら』でも扱っておりますので、興味のある方はそちらもご参照下さい。
第二に、こうした安全性の重視という方向性がさらに加速化されていくと、「相談」によるつながりの形成という現状の「大方針」とは異なり、パーソナライズされた物語の提供による(疑似的な?)つながりの自主的な形成、という方向に自殺対策的な介入は変化していくのではないか?と予想されます(その方がより安全なので)。こうした傾向は既に一部では見られており、それは、「パパゲーノ効果」の重視といった流れと軌を一にするものです。以前にも書いた通り、私自身は「パパゲーノ効果」の存在そのものには、研究の水準から考えてまだ懐疑的ではありますが(↓の記事参照)、今後研究が進んでいけば(というよりも、誰にどのような物語を提供することが効果的ななのかという観点からの研究が進めば)、より明確な効果が見られるようになるかもしれません。
NHKの『わたしはパパゲーノ』や『ももさんと7人のパパゲーノ』は現状では公共放送の電波にのるものであり、十分にパーソナライズされたものではありません。しかし、今後は、誰がどのような物語に触れることがより良い効果を生み出すか?という研究が進み、こうした物語の提供が様々なニーズに合わせて(例:活字がいいのか、動画がいいのか?)、デジタル・マーケティングの技術を用いて提供されるようになっていくのではないかと予想されます。
このような流れは、よくよく考えてみると、私の研究の原点である『自殺サイト』の自殺予防効果の話に戻っているとも言うことができます。もう随分と昔になってしまうのですが、いわゆる自殺サイトの利用者や管理者の方々約30名に協力していただいた質的研究『自殺系掲示板の持つ自殺予防効果の構造』という論文で、私は、自殺サイトというのは「共感の自動販売機」としての機能があるのだ(それが予防的な効果を生み出しているのだ)、という話を書きました。今から見ると表現についてはもう少し工夫の余地もあったかなと思わないでもないですが…… 要するに、自殺サイトの掲示板に投稿される様々な物語の中から、利用者は自分の好みにあった(苦難と回復、それに対して他の利用者が寄せる共感という)物語に接し、癒しを得ている(ようだ)という趣旨のことを書いています。
もちろん、昔の自殺サイトは、自殺が必ずしも安全に語ることができる「だけ」の場ではなく、危険もありました(例:自殺方法について語り合う)。しかし、現状では、より安全に自殺に関する話をするための工夫を様々なレベルで(例:危険な用語や表現は使えないようにするというプラットフォーム上の技術的な仕組み、Chat safeで提供されているガイドラインによる個人への介入)実施することができるはずです。こうした工夫をこらした上で提供される物語を、自力で探さずとも、よりパーソナライズされた形で(デジタル・マーケティングの技術を用いて)提供されるという形が自殺予防の次の一形態になるのではないかというのがイベントを通じて最も強く感じたことでした。
イベント運営に感じた工夫
イベント開催前の準備ー相互尊重、安全性の確保のために
ここまではイベントの中での話の中身に関して扱いましたが、以下では、話の中身というよりも、イベントの運営の仕方から学んだことをまとめておきたいと思います。主として二点あります。
一点目は、イベント開催前の準備についてです。不勉強で恥ずかしい限りですが、オーストラリアでは、公的な/大衆向けのイベントなどの冒頭において、先住民への敬意を表す「Welcome to Country」という歓迎の言葉を述べる儀式(?)が行われるそうで、本イベントでも実施されていました。歴史認識や多文化主義の重視/維持のためかと思います。さらに、それに加え、本イベントでは、自殺について安全に語るためのレクチャー・ビデオも流されていました(皆で見る時間が設けられていました)。それほど長い映像ではありませんが、コンパクトに要点を抑えたもので、こうしたビデオはおそらくは今回のためというわけではなく、普段から使われているのだろうな、と感じました。
昨今では、学術的な会議等の場においても、ハラスメントのような問題が生じないようにすることが、なお一層求められている状況かと思います(もちろん、とても良いことですが、必ずしも十分に実現されているとは言い難い時もあるかもしれません)。それに加え、特に、自殺のようなセンシティブな問題について多様な人を集めて議論を行う際には、使用すべき用語の問題一つをとっても、感情的な齟齬が起きることは珍しいことではありません。これさえやっておけば大丈夫というものがあるわけではありませんが、こうした工夫をきちんと取り入れていくことは、国内のイベント等においても重要なことだろうと感じました。
相互交流促進のための仕掛け
二点目として、既に上でも、述べたことではありますが、単発的なイベントで終わらず、イベント終了後に何らかの成果を出していくための工夫が施されているように感じるシーンが多々ありました。例えば、各話題提供者が話をする時間と、それをもとにしたディスカッションにかける時間は、全体の割合で見ると3:2くらいはあったと思います。一方、私がこれまで経験した(主として日本国内の)シンポジウム等は、フロアを交えたディスカッションの時間が極めて限定的で、ほとんどは壇上の上の人たち/一部の話題提供者のみが圧倒的な時間を占有して話をしているということが多かったと思います。こうしたイベントを(壇上から)聴衆への上からの「教育」のようなものとしてとらえている場合、ディスカッションの時間が限定的になるのだと思いますが、そうではなく、研究や実践の構想をやるという意図を持っているのであれば当然ディスカッションの時間は長くなるべきでしょう。
また、どこまで意図的なものかは分かりませんが、イベントで使う会議室/ホールの向かいにカフェがあり、イベント会場からそのままみんなで移動して、話をしながらみんなで食事/カフェができるようになっていました(もちろん、大学の周囲には飲食店もけっこうあったので、外で食べることもできないわけではありませんでしたが)。会議からそのままの流れで食事を共にするような設計/導線になっており、参加者間での交流が増えるようになっていたように思います。
イベント終了直前にも、「このまま今後、このグループで連絡できるようにML(?)を作りますが良いですか?」といったアナウンスもあり… 他国から専門家をわざわざ招いて(注2)、こうしてイベントを開催してネットワークを作って研究や実践の幅を広げていくある種の「貪欲さ」をもっと見習わなければならないのだなと感じた2日間でした。
おわりに
戻ってすぐにやらなければならない仕事もあり、遊ぶ時間はほぼなく、2泊4日の強行軍でしたが、とても良い経験になりました。円安の進行する厳しい経済状況ですので、今後も論文を読んだ海外の研究者から招待していただけるくらい、頑張って良い研究をしたいと思いをあらたにしました(笑)
注1:本イベントの主催者および所属機関は以下の通りです
Dr Brent Coker (University of Melbourne)
Dr Louise La Sala (Orygen/University of Melbourne)
Dr Sandersan Onie (Blackdog Institute)
注2:日本(我々)・オーストラリア以外の国からも、もちろん参加者がいました。