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#3心と身体の関係

NOTEのページへお越しいただきありがとうございます。
ここまで心と身体がそれぞれ社会と物理環境の影響を少なからず受けるという内容を書いてきました。それぞれとの関連はまた少しずつ書いていきますが、その前に「心」と「身体」の関連がいつ頃から深くなってきたのか、僕が感じているところを少し書いてみます。

心と身体はあるタイミングが一つポイントになっているようです。
それは1948年健康の定義の変更です。(WHO:世界保健機構)

それまでは健康は「疾病であるかそうでないか」という単純にわかりやすいものでした。しかし、この時期を境に健康の定義が変わりました。

「健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」
HEALTH IS A STATE OF COMPLETE PHYSICAL, MENTAL AND SOCIAL WELL-BEING AND NOT MERELY THE ABSENCE OF DISEASE OR INFIRMITY.

https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000026609.pdf

この定義の変更の意味は、疾病は肉体的な原因のみではなく「心や社会の影響がある」という点が新しい視点となります。背景には先人の方々の多くの努力によって、医学が発展してきたことはいうまでもありません。

1950年までは「生物・医学モデル」という考え方が浸透しており、基本的には病気と人は別々の視点で考えられていました。疾病は身体の外から内に侵入するものであり、原因はウィルスなどのはっきりとしたもの。責任は個人にはなく「身体」の治療のみを対象としていました。しかし、この定義の変更以降、「生物心理社会モデル」が少しずつ浸透し始めます。疾病はウィルスなどの単一の原因ではなく、個人の生活習慣やその個人が属する社会の影響もある。そのため「身体のみ」の治療だけでなく、個人の心も含めた行動変容等も同時に考えていく必要がある。こういった考え方へ変わっていきました。

様々な論文を読んでみるとよく理解できますが、多くの先人の方々の苦労をもとにやっと現在の考え方が生まれています。日本の医療制度の中でも総合診療科が様々な病院で増えてきているのはそういった背景もあるようです。

さらに昔の話に戻しますと、心と身体はもともと別々のものと捉えられていました。

17世紀に哲学者のデカルトが「二元論」を発表し、心と身体は区別するものと提唱していました。当時からそれを批判する学者と肯定する学者に分かれて議論がされてきていたようですが、1950年代には結核と脳卒中の死亡率が逆転して、ウィルス性の疾病よりも生活習慣などが影響する疾病が上位を占めることになりました。それに伴い、心理社会的な影響がよりクローズアップされるようになってきたと考えられます。心理学が学問として発展を遂げ始めたのもこの頃のようです。この辺りは非常に多くの学問が発展を遂げており、心身が別々の視点で述べられていたものが徐々にその繋がりの発展に変わってきたポイントのように感じます。

文章の要約

しかし、様々な学問が発展した結果、難しいことは「心」というものを専門的に学ことと「身体」というものを専門的に学ぶことは非常に長い時間が必要になります。私自身もまだまだ勉強の途中です。というか、自分の人生の中で学び終えることはないという事が最近よくわかってきました。

私自身が理学療法士を志そうと思ったきっかけは、高校バスケでの自身の怪我です。でも今振り返ってみると、目に見えているところは「靭帯断裂」という身体の怪我ですが、実際はチーム内での優劣の関係やうまくプレーできないことへの苛立ち、チームメイトへの遠慮など心理的な面があったようにも思います。今になってもわかりません。ただ身体の痛みの治癒が遅くなったりしたのは心理的な影響があったように思います。

全ての面がカバーできるわけではありませんが、JOINでは「痛み」という部分に関しては心身のサポートができるようなサービスを心がけていきたいと考えています。次回は心身が繋がってきている背景をもとに「痛み」との関係性について書いてみます。
今回も最後までお読みいただきありがとうございます。今週もみなさんにとって良い1週間になりますように。

藤井 隆太

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